――三度目。“あちら側”の記憶のフィードバック。
膨大な情報量、感情の温度差に圧殺されるようなこの感覚に慣れることは、おそらく最後まで無いだろう。
……最後まで、“こちら”の自分が立っていればの話だが。
「――……、……ぉえっ……」
滲んだ汗を拭う。
「(…………あぁ、水がほしい)」
人の体とは現金なものだ。
絶望の最中であろうと、知ったことかと飢えるし、乾く。
妙な気分だった。
紛れもない自分の記憶、自分の体験だというのに……いや、だからこそ、だろうか。
こうしてうだうだと思い悩んでいる間にも、葛藤し、選択し、恐らくは“成長”していく自分自身に、置き去りにされているような感覚。
――誰も、俺に頼ることを遠慮しなくていい――
――誰も、『俺の頑張り』に、心を傷めなくていい――
――万事において綽々と。万難を前に悠然と笑って――
・・
「(――それは、今も?)」
流石に、万事と言った中に、“この”現状は想定していないだろう。
……皮肉交じりに問うまでもない。あれだって、紛れもない自分自身なのだから。
「(当たり前だ)」
俺の理想。
俺の、欲望。
……絶望が目の前に横たわっている。
俺の道を塞ぎ、視界を遮り、俺を見下ろしている。
既に戦争は始まっている。俺の好きな人達が、必死に、真剣に、恐らくは似たような葛藤を抱えながらも、俺達の居場所を奪おうと戦っている。
正しくはない。
……“正しさ”を説いて止まれるようなものなら、そもそも闘いなどしない。
「(あぁ、詰んでいる)」
最善策、誰もを救える道など始めから存在しない。
…………それを嘆くことは、もう十分に行った。
相手に同情して敗けてやるには、譲れないものが多すぎた。
どちらも等しく尊くて。
どちらにも、傷ついて欲しくはなくて。
……あちらの俺とは事情が違う。要素は既に揃っているのに、“選択”から逃げ続けた。
――なんて、そもそもが筋違いの苦しみに、随分な時間を浪費した。
“自分”を、自分でも気づかぬ内に、勘定に入れていなかった。
「(俺が、闘うと、決めること)」
“自分が最も傷つく”選択。
“尽力する側”を、“選ぶ”こと。
“大切”に優劣をつけること。
悩んでいるつもりで、苦しんでいるつもりで、詰まるところ逃避していた。
「痛い」
胸が張り裂けそうだ。
もう吐くモノもない、胃が引き攣るような感覚のみが起きて、苦い唾が溢れるのを吐き捨てる。
――何故、最初から、“どちらかを救う”前提でいたのだろう。
「……はっ」
滑稽。
最善策? “選べない”?
この葛藤こそが、およそどちらも貶めていたと、何故気付かなかったのだろう。
誰もが。
少なくとも、“当事者”として必死であったというのに。
――それが、俺の今の欲望です。
「……そうだ……それが」
散々痛い思いをして。
苦しい思いをして。
恥をかいて。迷惑をかけて。心配をかけて。苦労をさせて。
“俺”が、たどり着いた解。
「ねぇ、藤久くん」
泣きそうな顔で走り去った彼は、今頃何処で、何をしているのだろう。
露悪的な慟哭で全てを振り切って、戦っているのだろうか。
俺のように嘆き、うずくまっているのだろうか。“どうして”、と。
「幸行…………」
俺のこのザマを見たら、何を思うのだろう。
俺はあの男の期待に背いただろうか。
……こんな有様すら、肯定してくれるのだろうか。
「……コメット」
――まあ、君のことだから大丈夫だろうとは思っているけど
買いかぶりだ。
俺はこんなところで、ずっとべそをかいていた。
……言わずとも知っているだろう。
知っていようと、そう言っただろう。
俺よりも、俺を信じている人。
俺よりも、俺に期待している人。
……俺よりも、俺のことを、好きな人。
「俺は」
「――ああ。
……“大丈夫”、だ」
嘘ではない。嘘はつかない。
……些細な誤りは、嘘とよく似ている。
笑ってしまうような軽薄な強がりを、きっとお前は笑わないだろう。
顔を上げる。前を見る。
これから行う全ての行動が、俺の好きな人達に何をもたらすのか。
勝てば、地獄に送り返す助力になる。
負ければ、地獄へ堕とす道連れにしてしまう。
考えるだけで膝が折れそうだ。だけど、目を逸らしてはならない。
何をしても、しなくても、苦しいのなら。
せめて、自分の意志で進んだ先で、苦しみたい。
「詰みなどで、あるものか」
“何を悔いるか”の選択は、まだこの手の中に残っている。
「(せめて)」
生き方は、選ぼう。
選んだ先で、結果を呪うとしても。