
これは何時かの見たユメの一つ。昏い昏い夢だ。
――首が締まる。細い首が、軋む音を上げるかのように締められる。
……その細い、まだ幼い少女の首を絞めるのは、その少女と何処か似た容姿を持つ白い女。
泣く様な必死の形相を浮かべながら、その白い女は呻くように言葉を発しながら――少女の息の根を止めるべく、首を締めあげていた。
少女の白い首筋に細い指先が蛇の様に絡み、爪が薄い皮膚を破って赤い小さな花を零していく。
当然、少女は苦しかった。か細い抵抗をしようとはした。けれども――
けれども、自分の首を絞める女の人の――母親の表情が酷く悲しげで、痛々しくみえた。
その手を振り解いていいのか、其れを否定していいのか分からない。
わからなくて、それを受け入れていた。
受け入れるべきものだと思っていた。
「リンネ、抵抗しないと、死んじゃうのよ。
……なんで、抵抗、しないの」
ボロボロと泣きながら、その母親は言葉を紡ぐ。
ならば、どうしてこの人はそんな顔で、わたしの首を絞めるのだろう。
少女は痛みと苦しさの中でそう考えた。
「ひ……ぅ、……ふ、ん……」
泣き声の様な苦鳴が少女の唇から漏れる。
少女はもう知っている。
だって、自分は自分は――
その表情を、意味を悟った母は
「……
ぁぐッ……!」
首締める力が強め、少女の口から一際強い声があがった。
……締めるのではなく、ひしゃぐ様に。圧し折るつもりで力を込める。
無色の泡が、赤色に変わり、爪が喉の皮膚を破り食い込む。
幼い少女の首など、酷く脆い。
例えどんな訓練を受けて、他の年頃の少女と比べて強靭な血筋を持とうとも、
本人に抵抗する気がなく無防備に締められれば、行き付く結論などわかりきったものだ。
力無く手は垂れ、身体の力も遂には抜ける。
そして、頸動脈の弾性が意味を失いかけた所で――
ハザマ時間0:00 ~ 1:00
――何処か見覚えのある空の色、風の匂い。
……気のせいでも、間違いでもない。この風景を視るのは二度目。
此処に来るのには始めてではないという事実。
漸く、あの違和感の理由を理解する。
これが〝始めて〟ではない。
今まで蓄積されていた大量の情報が、一度に……無理矢理に叩き込まれてくる感覚。
気持ち良いとは言えない異様な感覚だ。
人間が生きた情報量が……増してや、数カ月にわたる記憶の量はデータにすれば一体どのくらいになるか見当もつかない。
……勿論、前回と同じように自分の本来の役割としての機能が作用して、無理なく終える事ができたが――
「あ、あー……まぁ、記憶の中にはそう言う事もあるのは……仕方ない……のかなあ、これ」
正直、これはどんなものかと思うのだ。
この世界に必要じゃない情報はカットできないのだろうか。
注ぎこまれ、満たされた記憶を確認する様に目を閉じて、その違和感を調べていく。
何かしらの理由で差異が生じている記憶。
明らかに食い違った何かがある理由。
ふと、隣に居る姉の――〝源楔奈〟へと視線をやったが――
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セツナ 「……、……」 |
……何故か、表情を赤くしたまま、口許に両手を当てて俯いて……更にはぷるぷる震えている。
「……ねえさん?どうしたの?」
声を掛けて、一度我に還ると姉の姿を見て。
意見を求める様に首を傾けた。
源 楔奈
その視線を受けてから、少しして。
楔奈は困った様に眉根を八の字に曲げ、緩く首を振った。
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セツナ 「……ええと、りんちゃんは何処まで覚えてる?」 |
何処までと問われて……その記憶を探る様に顔を歪め、思考する。
断片的な、未だ曖昧とはいえる情報を咀嚼する様に、ゆっくりと。
「――少なくとも、〝あの屋敷〟で起きた一件の前後は、所々覚えてはいる……かな」
自分の事をあの時まで育んでくれた、大切な姉と少女をめぐる大きな話。
あの場に居た人らの事を忘れる事は決してできる筈が無い。
そのおかげで、自分の最愛の人も漸く前へと踏み出せたのだ。
それに――自分が信じる事ができそうな人達も、また其処に居た。
だけど、其れはもう既に届かない場所へと置き去りにしてきてしまった。
……そう、今は居なくなった人達が居て、前までは居なかった人達がいるという事実。
若しくは在り方が変わってしまった人、何かが変わった人。
――例えば、前までは顔に傷が無かったのに今はある人。
――例えば、いつの間にか兄妹の双子になっていた人。
――例えば、教祖の守護騎士になりたいと願った人とか。
そんな差異。
以前は……というと、其れを口にするのが何となく難しいあたり、本当に曖昧なものなのだろう。
けれど、その中にはやっぱり一際強く残っているモノだってある。
大切な物をしまってある引き出しに手を伸ばすように、その胸の中にあった想いを起す。
結局、最後まで手合わせ出来ずに終わってしまった少女――〝咲那〟ちゃん。
不思議な距離の近さがあって、何処か惹かれるものがあって……。
自分でも驚いたほどに好いている部分があった。
もう少し、わかりやすいように距離を縮めるやり方を知っていれば……
彼女も、自分も、もっと楽しめて、もっと仲良くなれたのだろう。
……それに、〝夏鈴〟さん。
思えば廃港で起きた、あの一件の時。
彼女は、異能を使った自分の手に触れてくれた。
その暖かみは今でも、忘れていない事が判る。それは自分にとても重要な事だ。
それだけではなくて、彼女には色々な縁があった。
――正直、自分の事やティーナの事で、それまでは誰も頼る心算はなかった。
心を砕き、許して、それで縋り、頼って……そうして
裏切られ、ティーナも自分も傷つけられるのであれば、誰もいらないと。誰も頼りもしないと。
全て自分で成そうと考えていた。
……だけど、其れを少し変えてくれたのはあの人だけだ。
ティーナの本当の姿を知る共犯者は彼女だけ。
背負わせたくは無いけれど、背負ってほしかった。……そう言う人だった。
其れを想起すると、少し後悔が沸き上がってくる。
結局、終ぞ伝えられなかった言葉。
「友達になってほしい」という言葉。
本当はもっと気軽でいい言葉なのだろうけれど……
自分にとっては想いの言葉を伝えると言う事は、とても特別な事なのだ。
……だからこそ、最期まで伝えられずに終わってしまった。
でも……否定も後悔も、きっとしてはいけない事なのだろう。
残された物は確かにあり、そして、新たに訪れた人達を否定する事はしてはならない。
何者かに依って変えられた事実はあっても、遺されたものも事実なのだから。
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セツナ 「……うん。そうだね、どういう理由か分からないけど、居なくなっちゃった人達も居る 少しばかり寂しいけれど、これはそう言う事なんだとおもう。 ……いっそ、忘れてても良かったのかもしれないよ?誰も怒らない、怒れない事だし」 |
「……それを忘れる事はだけは、できないかな。
だって、此処まで辿りつけたものだもの。抱えていくつもり」
その言葉を聞いて、静に楔奈は穏やかな笑みを浮かべる。
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セツナ 「……そっか。さて、それで、どうするの?」 |
「……ねえさんも知っているのであれば、ティーナはこの事知ってるのかしら?
正直、ティーナ辺りには……打ち明けておきたい気もするのだけど」
その問い掛けに、少しばかり難しい表情を浮かべて楔奈はあーと小さく呻いてみせる。
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セツナ 「んー……――どっこい、どっこいじゃないかな。 同じくらいかもしれないし、少し先に確信を持ち始めてるかもしれない。 何にせよわたしが覚えているのは――」 |
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セツナ 「そうじゃなければ存在が在り得ないから……が大半だとおもう。 本来はわたし達は消える筈だったわけだから。 それが証明になってて、其の時の記憶も確かにあるんだとおもう。だから、わたしとクリスはこの世界だと〝イレギュラー〟な部類だろうね。」 |
何せ、関わった人の名前と顔は確りと覚えたままでいるのだから、と小さく楔奈は笑う。
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セツナ 「ティーナが覚えているとすれば、天使様の要因もあるんじゃない、かなぁ。」 |
ほら、我らのお母様は割と万能だし?と楔奈はくりんと首を傾けて、銀糸の髪を揺らしてみせた。
「……成程。どの道、ティーナとは話さないと、かな。
でも、基本的には――」
誰にも言うべき話ではない。
自分と姉だけに留めておくべきだろうと、考える。
……これはきっと抱えていくべきものであるのだから。
それに告げる事で壊してしまいかねないものだって在る筈だ。
だからこれは秘密。密やかに締まっておくべき物語だ。
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セツナ 「……そうだね。そうしよう、りんちゃん。 さて、話はお終い。 ……いい加減、あの真っ赤っかなぐにょぐにょを何とかしようか……」 |
表情は笑顔、声はげんなりとした、姉の整った顎が其れへ、くいくいと向けられる。
今まで敢えて無視をしていた、何時かのアイツ――ナレハテがこっちをずっと見ているのだ。
「……やっぱり初手の相手はこいつ、なんだなぁ」
正直、相変わらず何とも気持ちの悪い不気味なアレだが、多少愛嬌を――
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セツナ 「――感じないでよ?」 |
――武器を静かに構える。
構えて、ふと思い出し事があった。
「ねぇ、姉さん――そういえば、なんかティーナの身体能力がまた元ミジンコクラスに戻っている気がするんだけど?あれも、やっぱり?」
そう、実は少し根に持っている記憶があるのだ。
あの屋敷の一件後、彼女の身体の状態を確かめるために行った組み手。
――彼女は私を負かしている事を。
だから根に持っているのだ。こんな記憶まで何故戻ってきたのかと。
「……まさか、護る側の私に気を使って――」
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セツナ 「本人に聞きなさい」 |