
「 」は、自我が希薄だった。
望まれるままに生きて、常に行動の根底には「誰かのために」があった。
"そう"望まれたらそうやって生きる。半永久的に自己暗示をかけながら。
両親が笑顔を見せれば、その時の行動を繰り返した。
両親が悲しそうな顔を見せれば、その行動を即座に辞めた。
トライ&エラー。両親が望む『御堂翠華』という人物を探し続けた。
──そんな生活も、3年もすれば落ち着いてくる。両親と過ごした6歳までの日々は、穏やかだった。
蝶よ花よと愛でられ、過保護に育てられ、外の世界を知らなかったこども。
愚かなほど無垢だったこどもは、やがて罪を犯す。
美しい瞳が
やわらかい髪が
たおやかな微笑みが
優しい腕が
声が
顔が
足が
優しさが
全て、飴玉に消えた。
「 」は怯えた。
「 」は焦った。
「 」は悲しんだ。
誰か、誰か、誰か!
お母様とお父様をお救いください!
縋っても、泣き叫んでも、すべてが飴玉に変わっていく。
人も、塀も、草も、花も、全部全部全部全部!
両親のために泣き叫ぶこどもは、いつしか化け物と恐れられた。
誰もが「 」から逃げていく。誰も「 」の言葉を聞いてくれない。
泣きはらした右目が飴玉に変わっても、「 」は叫び続けた。
誰か、誰か……私の両親を、お救いください──。
あの人たちがいなかったら、誰が私を呼んでくれる。誰が私を『御堂翠華』と認めてくれる。
「 」は、自我が希薄だった。
「誰かのために」生き続けた。
だから
「私を助けて」の一言さえ、言えなかった。
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???? 「……なんだ、やっぱり効かないんだ。」 |
不機嫌そうに『御堂翠華』が口をとがらせる。
ふわふわと宙に浮き、髪の先から水飴を垂らす姿は正に化け物だ。
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???? 「私の異能じゃあなたに影響は与えられない。存在があなたに食われちゃっているんだ。」 |
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コメット 「そのようだね。だからと言って無害なわけじゃない。腕はしばらくそのまま封じさせてもらうよ。」 |
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???? 「……はあ、嫌になっちゃう。少しくらい狼狽えてくれたっていいのに。面白くない。」 |
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???? 「──ハザマでは異能が強化される。そして今あなたの近くに魔女はいない。 この意味を、ちゃんと理解しているの?」 |
コメット・エーデルシュタインの足が止まる。
自分の手のひらを見て、握りしめる。
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コメット 「……ああ。ちゃんと理解しているとも。」 |
薬で抑えつけた自分の本当の異能──夢幻泡飴。
触れたものを飴玉に変える異能。
──今は、まだ大丈夫。
飴細工のようになった指先を見て、自分にそう言い聞かせた。
ナレハテ、と呼ばれる魔物を倒した。
幸い、何人かの知り合いと喋るゴリラと合流できた。
いくら歩いても赤と黒。地獄のような風景だ。
なまじイバラシティに似ているだけあって余計におどろおどろしい。
知り合いにいくらか連絡をしているけど、返ってくるだろうか。
返ってこなくてもやることは変わらないのだけど。
侵略戦争を信じていなかったわけじゃない。
ただ、実感が持てないだけだ。
あたしは今までどうやって教室で生きていたっけ。
クラスメイトの中に、『実はいなかった人』がいるかもしれない。
もっと前に興味を持っておけばよかったな。今言っても無駄だけど。
──想定通り。敵もいるし味方もいる。
いくらか親しい人は敵に回ってしまったけれど、膝を折るほどではない。少し悲しいだけだ。
だから、まだ前に進んで───
「―――ぁ゛あああぁあぁあああぁあああああぁあああああぁあぁあぁぁあああぁあああああぁああぁあぁあああぁぁあぁああぁあああああぁあぁあぁぁあああぁあああああぁああぁあぁあああぁぁあぁぁあぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
……聞き間違うはずのない声が
聞き間違いであってほしいと思うほど、悲痛な色を帯びて
耳に、飛び込んできた。
──熱い。燃えるようだ。
──痛い。千切れるようだ。
──苦しい。溺れてしまうみたいだ。
──いや、なぜだろう。ひどく冷たい。
怒っているのに、表情が出ない。困ったな。そういうの、得意なのに。
──誰だ
彼を、あたしの英雄を、あたしの大切を、あたしの特別を、あたしの好きを壊すのは。
許せない。圧倒して、踏み倒して、蹂躙して解体して沈めて固めて変えて消して殺して────!!!
──1時間が経過。イバラシティでの記憶が同期された。
溢れ出した怒りが、踏み出した足が止まる。
崇拝に似た感情。あまりに重すぎて、あまりにも間違えた『愛』が、離散する。
そうじゃないだろう。と、あたしの声が聞こえた気がした。
よかった。イバラシティのあたしは、うまくやってくれた。
さて、深呼吸。
あたしのするべきこと、したいことを考える。
悲しんでいる声の原因は考えずともわかる。
でも、『それ』に対して暴力をぶつけに行くのは正しくない。
あたしは、端末の電源をつけた。