
――――。
平凡で、何の取り柄もない、ただの愚かな娘である記憶が、感情が、儂に流れ込む。
これが後、何度続くのか。
アレの思考は、日常は、甘ったるい砂糖の塊のようで、反吐が出る。
口の中に砂利の感覚が広がるようだった。
はっきり言って不愉快だ。
初めこそは、あのがらんどうと戯れる者どもの愚かさに愉悦さも覚えていたが、
そのがらんどうの記憶と感情が儂に流れ込むのが気に入らぬ。
そうだ。ぜんぶ、潰してしまおう。
瀬織が慕う者、懐く者、触れる者、すべて。
恐怖させ、絶望させ、憎悪させ、そして殺して喰らってしまおう。
すべてを喰らえば、すこしは気も晴れよう。
「はずれちゃん…どこ!!」
か弱く、悲痛な声が不意に耳に入る。
友を探し、不安な心を隠そうともしない、その声の主を儂は知っている。
青い空の学び舎の一角。
可憐に咲く花を飾る娘の姿が、脳裏をよぎる。
――――久津見 天音。
「はずれちゃん…!!」
人の群れの中に、知人の姿でも見たのであろう。
無防備に声を上げる事の、何と愛らしく、何と愚かしい事か。
まずはアレからだ。
知人と共に何かを話し込む様子であったが、
こちらに気付くその姿に警戒心は皆無だ。
偽りの名を呼ぶアマネに、儂が接近しきるより先に、此方から駆けて急接近を。
鬼の姿に驚き声を上げるよりも先に、その腕を掴む。逃げないように。逃れられないように。
「せおりちゃん……?」
「せおりちゃんだよね……?」
「……いたいよ……せおりちゃん……」
異形の儂の姿を見て、不安げに。
物言わぬ儂に、不安は増して。
掴んで離さぬその手に、儂の鋭い爪が食い込めばその顔は恐怖で引き攣っていく。
嗚呼、良い。その顔だ。
その顔がもっと見たい。
突き飛ばして、地面に這い蹲らせる。悲鳴が聞こえた。
柔らかな肌が、清潔な服が、土で汚れるだろう。
だが、顔が見えぬのはつまらぬ。
恐怖に引き攣ったその顔のまま、首を引きちぎってやろうか。
それとも、喉を噛みちぎってやろうか。
前髪の束を引っ掴み、無理やりに顔を上にあげる。
口角が勝手に上がる。
愉快だ。愉悦だ。
隣から何か、制止の声が聞こえるも、聞こえぬ。
儂の楽しみを阻害する雑音など遮断するに限る。
「アマネ。……嗚呼、随分と、美味そうな顔を。」
名を呼ぶ。自分は貴様を知っていると。
わざわざ宣言を行う。貴様を知っている儂が、貴様を食うと。
唇を首筋に寄せ、
わざとらしく息を吹きかけ。
「せおりちゃんっ……私たち、友達だよね……?」
それでも尚、友情を訴える悲痛なアマネの喉が恐怖で鳴る。
危機感を煽るように、舌を伸ばしてやれば、ヒッ、と怯む声が聞こえた。
「や、……やだ……!」
「……食べないで!!」
ようやく、拒絶を見せた。友達と呼ぶ瀬織への信頼を否定した。
満足感を得て、その喉を噛みちぎ、…………ろうとしたところで、接触が途絶える。
引き剥がされる。
アマネを庇うように立ち塞がる、赤髪の、触覚の生えた人外。
先程聞こえた制止の声の主だ。先ほどまでアマネと話していた奴と、気づく。
私を羽交い締めにして止めるのは、こちらは人間だ。
イバラの世界の服。鼻に障る柑橘系の香は、香水か?
年の割に随分と派手に着飾った女ではあるが。
「なぜ止める。」
「人喰いか? まぁ待て。そいつは友……知り合いだ、傍に置いときゃ何かと使える。
喰うなら無関係の適当な奴にしとけ」
「ここでアタシらに邪魔されながらチビ助ひとり食うより、
侵略に協力しつつ沢山食う方が腹一杯になるんじゃないの?」
制止の言葉は、確かに理に叶ってはいる。
無差別にハザマに降り立った人間を喰い殺したところで、儂の願いは叶わぬのだ。
ここで一つの戦力を削ぐということは、それだけ目標が遠のく。
儂が納得せぬまま抗ったところで、
二人は諦めぬとあらば、争いは避けられない可能性は高い。
同士討ちは、儂とて望むところではない。
「わかった。離せ。……くそ、つまらぬ。」
目的の為、堪えなければならぬと言われようと、儂の娯楽が断ち切られるのは気に入らぬ。
悪態と共に舌を打つも、未だ、目前で柔らかで弱々しく見せる肢体を見れば、舌舐めずりを。
嗚呼。そうだ。これだけ、美味そうなのだ。
恐怖に引き攣る顔はきっと、格好の餌食となる。
「……儂が短慮であった。
アマネを喰らうのは、よろしくないな。」
「アマネはそのままだ。
いつ、なんどき、化物に寝首をかかれるかわからぬ世界で怯えるが良い。」
「そしてその恐怖をそのまま伝えろ。
ばら撒け。救いを求めろ。
貴様のことを大切に大切に想うオトモダチをおびき寄せよ。
それが出来る間は、貴様は儂の大事な仲間だ。
のう。アマネ。……出来るな?」
目を細める。牙を見せ、微笑みながらの儂の優しい問いかけ。
その問いに、アマネが、
…………確かに首を縦に振ったのを、見届けた。