『――ハザマで最初に出会ったのは、磯の香り漂う人魚だった。』
CASE1:ララフィラ
下半身が魚の人魚。
軽く炙ってタタキにして食うとうまい。
 |
アンジー 「…………………………………………」 |
 |
??? 「…………………………………………」 |
次元タクシーから降りてすぐ、果ての海岸。
オレとその人魚は、暫らく無言で見つめ合っていた。
その顔には見覚えがある。
あっち(アンジニティ)での面識ではない。イバラシティでの面識だ。
名前を確か、ハイロと言った。
魚の尾が生えていただけの向こうとは違い、こっちでは下半身が完全に魚。
ついでに言えば服も着てない。露出趣味でないなら、単純に妖異の類なのだろう。
姿カタチが大きく異なっている事から、恐らくはアンジニティの住民であろう事が推察できた。
とは言え、向こうでの知り合いだからと言って仲良しこよしをする義理はない。
オレは早々に見切りを付け、人魚に背を向けその場を去ろうとする。
アイツがオレに声を掛けてきたのは、そのタイミングだった。
 |
ハイロ? 「ねえ……」 |
 |
アンジー 「……あん?」 |
オレは背中越しに振り返り、相手の出方を待つ。
だが次に出てきた言葉は、本当に突拍子もない話だった。
 |
ハイロ? 「……わたし、足がないから動けない。抱えて。」 |
ん、と真っ直ぐに両手を伸ばして。
その人魚はオレに対し、自分を抱っこをするようせがんできたのだ。
 |
アンジー 「……は? どうしてオレ様がてめぇに手を貸さなきゃなんねえんだ。」 |
当然の反応だろう?
侵略の第一歩から人様の手を借りようなんざ、足手まといもいいところ。
そもそも歩けないなんて欠陥もいいところじゃねえか。
これからどんだけ歩くと思ってる。
歩けねえなら泳げ。外側ぐるーーっと周って川沿いにでも進め。
心の中でそんな罵詈雑言を浴びせていると。
人魚はずりずりと這い寄って、再び手を伸ばしてきた。
 |
ハイロ? 「ね、抱えて。」 |
 |
アンジー 「――断る。」 |
即答する。当然だ。
オレがこいつを背負ってやる理由がひとつも見当たらない。
 |
ハイロ? 「ひどい。女の子なのに……」 |
 |
アンジー 「生魚の間違いだろ。」 |
 |
ハイロ? 「ハイロにはやさしいのに。」 |
 |
アンジー 「知るか。オレ様とアイツ(安嗣)は赤の他人だ。」 |
 |
ハイロ? 「…………」 |
べちべちべち。
尻尾を地面に叩きつけながら、ぷくぅと頬を膨らませて抗議の意を示す人魚。
オレは当然、人魚を無視して去ろうとする。
だがそれに合わせて人魚もずりずりと這い寄ってくる。
オレが小走りで逃げようとすれば、人魚もそれに合わせた速度で這いずり回る。
互いに一定の距離を保ちながら睨み合う両者。
……ていうか、そこまで這えるなら最初から抱える必要無くねえか?
 |
ハイロ? 「ね、抱えて。」 |
 |
アンジー 「……………………」 |
面ッ倒くせえ~……。
こいつ、どこまで付いてくるつもりだ?
こいつを撒く手間と、背負う手間。
――オレは暫しの葛藤の末、ある決断を下した。
(思えばこの決断こそ、ケチのつきはじめだった訳だが。)
 |
アンジー 「おい、お前……」 |
 |
ハイロ? 「……?」 |
 |
アンジー 「何か能力とか使えんのか?」 |
 |
ハイロ? 「水の中、泳げる……」 |
 |
アンジー 「……他には?」 |
 |
ハイロ? 「歌とか、歌えるよ。」 |
 |
アンジー 「役に立つのか、それ……」 |
オレは思わず頭を抱えた。
こいつ、本気で足手まといにしかならないんじゃないのか――、と。
だがまぁ、妥協した。
これ以上相手をするほうが面倒くさい。
 |
アンジー 「どうしてもっつーなら、同行してやってもいい。 その代わりオレ様の役に立て。使えねえようならその場で捨ててく。」 |
 |
ハイロ? 「……ほんと?」 |
大して表情も崩さぬまま、わぁいと喜ぶ人魚。
これからハザマで始まる侵略戦争。
どう動くにしろ、味方が居るに越したことはない。
荷物持ち、弾除け、鉄砲玉。
どう扱うにせよ、好きに動かせる手駒が居て困ることはないだろう。
 |
ハイロ? 「……ありがとう、“安嗣さん”。」 |
 |
アンジー 「…………」 |
オレが何を考えているかも知らずに、呑気に礼を述べる人魚。
だがそんな祝辞より。
不意に聞こえた耳障りな響きにオレは顔をしかめた。
 |
ハイロ? 「“安嗣さん”は、こっちでもやさしいんだね。」 |
 |
アンジー 「……違う。」 |
再び繰り返される、その言葉。
オレは堪らず人魚に対して、訂正を加えた。
 |
アンジー 「オレ様はオレ様の目的の為にお前を利用する。 その代わりオレ様も少しくらい、お前に手を貸してやる。」 |
 |
アンジー 「だがな――、」 |
人魚の目の前に屈み、真っ向から睨み付け、告げる。
 |
アンジー 「オレ様の名はアンジー、『不全』のアンジーだ。
……二度と間違えんじゃねえ。分かったな?」 |
 |
ハイロ? 「……うん。わかった。」 |
人魚はオレの言葉に黙って頷いた。
承知した――というよりは、別になんでもいいといった表情だが。
 |
アンジー 「そんで、お前は?」 |
 |
ハイロ? 「……?」 |
 |
アンジー 「お前の名前は? “ハイロ”であってんのか?」 |
オレがアンジーであるように。こいつにも本当の名前があるのではないかと思い尋ねたが。
人魚はふるふると、首を横に振る。
 |
ハイロ? 「わたしの名前は、ララフィラ。 ……でもね、わたしのことはハイロって呼んでくれても良いよ?」 |
 |
アンジー 「……はぁ?」 |
意味不明な物言いに、オレは思わず首を傾げた。
 |
アンジー 「……どっちだよ。」 |
 |
ララフィラ? 「どっちでもいいよ。」 |
 |
アンジー 「ッッ、ややこしい……!」 |
オレは再び頭を抱えた。
この人魚、あまりにペースが掴めねえ……!
 |
アンジー 「分かった、お前はララフィラだ。オレ様はララフィラと呼ぶ。それでいいな?」 |
 |
ララフィラ 「わかった。よろしくね、アンジー。」 |
 |
アンジー 「……暫く手を組むだけだかんな。」 |
 |
ララフィラ 「うん。」 |
契約成立。
こうしてオレは、渋々ながらララフィラを背中に担いでやる事となった。
 |
アンジー 「………………………………………………」 |
背中にひんやりと感じるララフィラの体温。
……正直、ちょっとヌメってるし磯臭い。服も濡れる。
あと足を抱えれないので背負いにくい。
オレは既にこいつを拾った事を後悔し始めていた。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
・幕間
ハザマを歩き始めてから数分。
オレはララフィラを背負いながら、のたのたとハザマを歩いている。
 |
ララフィラ 「ねえ、アンジー。」 |
 |
アンジー 「あん?」 |
 |
ララフィラ 「……お腹すいた。」 |
 |
アンジー 「………………」 |
「あっそ」と軽く一蹴。
そのまま黙って歩みを進める。
だがその時――、
ぐぅぅ~……ぎゅるるる、ぐぅ~~……
オレの態度に抗議するかの如く、ララフィラの腹の音が盛大に鳴り響いた。
 |
アンジー 「…………」 |
これ以上こいつの我儘に答えてやる義理はない。
オレは今度こそ、聞こえない振りを決め込んだ。
だっていちいちメシの世話までしてられるか!?
36時間くらい我慢しろ。オレは保護者じゃない。
オレが譲歩したのは背負って歩く、ただそれだけだ。
ここからは互いの根比べ。そう思った矢先――、
 |
ララフィラ 「…………(がぶり)」 |
 |
アンジー 「あ……ッ、痛ッ、でででででッッ!!!」 |
突如、電撃のように走る鋭い痛み。
ララフィラの牙が、オレの首元へと突き立てられたのだ!
 |
アンジー 「痛ッ、てェな……こんの、クソがッ!!」 |
オレは首元の肉を少し抉られながら、慌ててララフィラを地面に向かって投げ捨てる。
びたーん!
地面に打ち付けられ、ぴちぴちと跳ねるララフィラ。
じわじわと脈打つ鼓動に合わせて首元からは血が滴る。
オレは異能で以って傷口の修復をしながら、ララフィラを睨み付けた。
最初から騙すつもりで取り入ってきたのか?
こんな事なら手間を惜しまず、最初から息の根を止めるべきだったか――
オレはすぐさま臨戦態勢を取った。
 |
アンジー 「てめぇ、どういうつもりだ。」 |
オレの問い掛けに対し、ララフィラはきょとんとした表情でこう答えた。
 |
ララフィラ 「……お腹すいたから、ごはん。」 |
 |
アンジー 「……はぁ?」 |
ごはん。
オレの肉が?
よく見ればララフィラは口端から血を垂らしながら、もっちゃもっちゃとオレの肉を食んでいやがる。
 |
アンジー 「……うまいか?」 |
 |
ララフィラ 「おいしいよ。」 |
もっちゃ、もっちゃ、もっちゃ……
ごっくん。
静寂が、その場を支配する。
 |
アンジー 「ざ……」 |
 |
ララフィラ 「ざ……?」 |
 |
アンジー 「ッざけんなテメェ、刺し身して食うぞ!!」 |
キレた。
逆に問いたい。自分の肉を喰われて怒らない奴がこの世に居るのか?
一方のララフィラの方はと言えば、1ミリも反省の色が見えない。
パンがないのでオヤツを食べただけなんですけど、それが何か?といった様相だ。
 |
ララフィラ 「…………ふふ。」 |
 |
アンジー 「ふふ、じゃねえ。……あー、殺す。もう決めた。いま殺す。」 |
――磯臭い人魚を拾い上げてからおよそ5分。
オレはララフィラを拾った事について、早くも二度目の後悔をした。