*** Side : アンジニティ
裏返した砂時計の砂は、音もなく流れ落ちていく。
すべての砂が落ちきったとき、何が起きるというわけでもない。
ただ、本来あるべき様に戻るだけだ。
*** Side : ハザマ
さて。どこから説明したものだろうか。
イバラシティのような地形をしているが、荒れ果てた地に転移させられたところ、
眼の前にはふくれっ面の少女。
「……事前に説明できなかった点については申し訳ないと思っているが」
なぜ私は失言をしてしまった政治家のような謝罪をしているんだろうか。
「えっ、普通にダメなのでは……?こかげには、わたしが認識していることが見えるってことはつまり……?」
少女――満月はだんだんと青ざめていく。
「りーねちゃんの卵焼きにノックアウトされてたのも」
「……だいぶ惚けていたな」
「ポポロちゃんに奥義破りされてそうなムーブかましてしまったのも」
「……調子にのっていたようだ」
「疾那さんとまともにしゃべれず大失敗してしまったことも!!!」
「……あのように絆されるようでは単独任務はまだ困難だな」
「クソリプは求めていない!!!」
どうやら最近手に入れた通信機器でいろんな言葉を覚えていっているらしい。
イバラシティでの生活には慣れてきているのは評価しよう。
「ところでこかげ先生、この場合、わたしのいわゆるプライバシーとかいう権利はどうなるんでしょうか」
「権利はあるんだろうが、制御の出来ない狐憑きが狐に対して主張しても意味はないな。
……まあ、隠形して別の場所にいるなど配慮はしよう」
「えええ~~~」
学校での勉強も身に着けているようだ。なかなか感心できる。
閉心術などを会得しておかないと、形だけ私が外に出ても満月が知覚した情報は私にだだ漏れなのだが、
一朝一夕に身につくものではないので黙っておくことにした。そんな時間もない。
閑話休題。
ちょうど問われたこともあるので、
満月と私(彼女は私を「こかげ」と呼ぶが、特に名前があるわけではない。)の関係性を説明しておこう。
まず満月は、――普通とは言い難いが――見た目どおり人間だ。
「えっ普通の花のようなJKなんですけど!!」
「……普通の人間は、物理的にお前のように動けないと思うが」
「ハッ」
いわゆる現代にも生きる忍者として育ったから、身体能力は常人の比ではないが、
物理法則をひっくり返すような異常を持っているわけではない。
対して私は、妖狐や霊狐といわれる存在だ。異常の世界に住んでいると言っていい。
隠形ができれば諜報、呪えれば呪殺、化けられれば間諜から暗殺までできるのだから、
"そういう世界"の人間からすれば、我々は有用な使役対象で、
私もそのような役割をずっと担ってきた、故に私はアンジニティに追われた、というわけだ。
では、なぜ満月がアンジニティとして扱われているのか、
一言で答えをいえば、『満月は、アンジニティである私と不可分の状態になっているから』だ。
――と言っても不明だろうから話を続けるが、私と満月の関係性の話と直結している。
満月はいわゆる『狐憑き』だ。憑いているのは私になる。
単に幽霊のように無理やり取り憑くとなると、受け入れられない可能性があるから、
私達は『狐笛』を媒介として人と関わる。――満月が首に提げているそれだ。
憑く時の形態はいろいろあるが――、普通は契約だな。一定の条件を課す代わりに力を貸す。
その場合、契約を解消すれば、関係は元に戻る。が、私と満月の場合は、これらには当てはまらない。
満月に記憶が無いのは当然で、私は満月と契約行為を行っていない。半ば強制的に、私は満月に憑いた。
『そのとき満月は瀕死の状態だった』からだ。
満月を生存させるために憑依する、その代償として私は、
『満月が生きていない限り、私は存在できない』という制約を負っている。
そして満月は、『私が憑依し続けていないと、生きられない』という状態になった。
満月は強制された側なので制約にはあたらないが、
私が消えたら死ぬ一歩手前に戻る、という可能性もなくはない。
過去の類似の事例からすると、条件が満たされなくなった瞬間に消えたり死んだりすることはないが、
徐々に保てなくなっていき、1日保つか保たないか、らしい。
実際、力は使うが、このように満月の外に出ること自体は可能だ(さすがに丸一日試したことはない。)。
だから、満月が何かに引き寄せられれば私もそれに引き寄せられるし、
逆に私がなにかに引き寄せられれば、満月も引き寄せられる。
満月がアンジニティを経由したかどうかは私にも分かっていないが、
少なくとも、満月は、私に生じた記憶改変の影響を受けている。
もしアンジニティを経由していないなら、私と満月の精神が繋がっているから、という理由だろう。
イバラシティでの満月は、『イバラシティを守る』という使命を与えられてこちらに来た、
という体裁にはなっているが、そもそも満月の故郷でイバラシティを知るものはいない。
私はそれを助ける……、ということにはなっているが、同じだな。そんな事実はない。
満月と私の関係性、満月がアンジニティとして扱われている理由はこんなところだ。
説明を終えると、最初は軽口を入れてきた満月は、いつの間にか静かになっていた。
私は淡々と説明することはできても、彼女にとっては自分を揺るがす事実に他ならない。
「……戸惑っているのは分かる。少しは時間がある。思考を整理をするといい」
「……、……」
満月はしばらくの間俯いていた。
彼女の思考を知覚しようと思えば可能ではあるが、そういう趣味はないので、私は待った。
ややあって、彼女は深く息をついたと思えば顔を上げ、大きく息を吸い込んだ。
「あーーーーーーーーー!もう! わけが!わからない!!!」
思い切り叫ばれた。同行者どころか、周りにも聞こえていそうだ。
大きな声をあげたあと、満月は少しは元気を取戻したのか、睨みつけるように私を見た。
「ともかく!こかげは、わたしを助けてくれて、わたしはいま生きてる!
こかげもよくわかんないけど生きてる!
わたしたちはよくわかんないけどイバラシティにいた!
で、よくわかんないけどハザマにいる!」
イバラシティで見ているときも思うが、満月は知識が足りないだけで頭が悪いわけではない。
「……なんかいま、私にすごく失礼なこと思わなかった?」
「よく気付いたな。引き出しが足りないが理解力はある、と考えた」
「けなされてんのか褒められてんのかよくわかんないやつだ!」
彼女のまとめは簡潔で、周辺事情はさておいて、事実として間違ってはいない。
「そのとおりだ。では、どうする?」
現状を把握できたのであれば、次はなにをするかが重要だ。
満月は間髪をいれず、答えた。
「イバラシティを守る!取り戻すんならともかく――
わたしはイバラシティを奪うなんてぜっっっっったい嫌! 手伝う義理もない!」
頬をすこし上気させてそう言う彼女は、――私が満月を見ていた時間は大して長くないが――
イバラシティに来た以前と、なにも変わらない。
仮初の記憶を与えられようが与えられまいが、彼女はこの場に立てば、きっと同じように言っただろう。
ただ言われるがままにすべてを為してきた私にとって、
真っ直ぐに、裏も表もなく、素直に自分の思いを照らしていく満月のような彼女は、少し、眩しすぎた。
*** side : ???
奥深い森を、暁の光が照らしていく。
満月が生まれたの忍の里の、さらに山奥に、その森はある。
そこはヒトの手がほとんど入ったことのない場所として、いろいろな動植物たちが生きていた。
そしてここには、ときおり不思議な世界を通り抜けて、霊狐が姿を現すという。
満月の里の大人たちは代々、霊狐の居場所を守り、その代わり霊狐は、時として人間たちに助力をした。
この里では、狐を忍獣として使役して、任務に赴くことがある。
そしてその道具に、子どもたちは数え十歳となったときにそれぞれに笛が与えられる。
動物を使役する才がなければ単なる飾りだが、
才があれば、この笛はこの里独自の貴重の忍具として用いられる。
満月はその才があるほうで、いずれ狐を使役して忍務におもむくようになるはずだった。
――これが表向きの説明となる。
狐笛の本来の用途は、霊狐の使役、もしくは霊狐とのなんらかの契約を行う際の媒介である。
霊狐が人間に力を与えたり、逆もまた然り。意思の疎通も十全に可能となる。
力をもって悪用しようと思えば、記憶を操り、意に沿わない相手の生命をも奪う軛にすることもできる。
このように狐笛を扱えるのは世代ごとに数人いるかいないか程度だが、
誰かに利用されたり、利己的に利用してしまう者もままあった。
そのため大人たちは、霊狐のいる森は神域として、子どもは入ってはならない、としていた。
そのような霊狐がいることは言い伝えとし、お稲荷様の使いとして、里を護ってくれているんだ、として。
やがて大人になっていけば、自分の力の範囲で、本当の事実を知るようになっていく。
それまでは、霊狐自身や、霊狐を狙うような危険から、子どもたちを遠ざけられるように。
里の子どもの人数は多くなく、神域を犯す輩が現れてたとしても、
里の大人たちは神域を守り、霊狐を守り、問題が生じることはなかった。
狐たちが大好きで、いつも山をかけまわって遊んでいた少女が、とある霊狐と出会ってしまうまでは。
その後、里の大人が探しても、その少女の行方は、杳として知れなかった。
***
そんな森の中へ、別の少女が足を踏み入れた。
満月と同じぐらいの背丈で、満月と違って明るい栗色の髪をした少女。
「やっっっっっと、たどり着きましたの……!」
そもそも普通の人間が来れるような山ではない。
道らしきものは獣の通る道ぐらいで、地図も一切存在しない。
満月の里の人間でも、一生入ることのない者がいくらでもいる場所だ。
それでも、彼女はここに至った。来なければならない理由があったから。
少女の名前は浅間ミナギ。
とある時に、とある場所で、ここで行方不明になった少女と出会い、
かけがえのない友達となって、そして、失ってしまった。
ミナギは、深い森の中を、道のない道を進んでいく。
来たことがない場所のはずなのに、なぜか知っているような感覚がある。
きっと、いなくなってしまった少女は、何度もここに来ていたんだろう。
ミナギは、森に入るときからずっと手に握りしめていた小笛を一瞥した。
それは、この森から消えてしまった少女が持っていた狐笛。
そして、ミナギの目の前で少女が消えてしまう前に託された狐笛。
この笛は、ミナギに、かつて少女が辿った軌跡を教えてくれる。
「ここに満月の手がかりがあるはずですの。 絶対に、絶対に見つけてあげるから――!」
そして、あのとき止まってしまった時間のつづきを。
その笛の音は蒼い風に乗って 森の中へと木霊していく。
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注)“七星”昴さん(ENo.903PL)から、TRPGの同卓キャラ、浅間ミナギちゃんをお借りしています。