窓から差すオレンジの光。とんとん、と耳に心地いい包丁とまな板の音。
記憶のはじまりについて思いだすと、とす子はその景色だった。
まだとす子が小学校に通う前、叔父が保育園から家まで送ってくれて、叔父が母と会話する隙にとす子はひとりで居間に行く。扉を開くと兄がいて「おかえり」と笑顔で迎えてくれる。
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兄 「おかえり、とす」 |
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とす 「兄ちゃん、ただいま!」 |
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クィン 「手洗いうがいはしたか?」 |
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とす 「まだ」 |
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クィン 「ならば兄が連れていってやる。ついてこい!」 |
兄に連れられ手洗いうがいをしたら、とす子の役目は晩ごはんができるまでテレビを見ることだ。
たまに振り向くと母を手伝う兄の姿が見える。
とす子は体が小さいから手伝えることは食事前に自分の食器を出すことだけだ。
なので自分より先に生まれた兄が少しだけ羨ましい。
きゃあ、と甲高い叫び声。鼻につく異臭。
怪訝に思ったとす子が振り向くと、兄がとす子に覆いかぶさるところだった。
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兄 「とす! 目を塞いで口を閉じるんだ!」 |
勢い余ってとす子は思い切り絨毯に頭をぶつける。
兄の体の隙間から、濃いオレンジの光が見えた。夕焼けよりもずっとずっと明るく、熱を発する波がいくつも渦を巻いて踊ってる。綺麗な炎だ。
触れてみたくなって手を伸ばすために体をもぞもぞさせると、案外に拘束はゆるく、腕を持ち上げれるだけ外へ出すことができた。どれでもいいから触ってみたい。炎の熱さに火傷する可能性も考えず、とす子は手を伸ばす。
この時、とす子は気づかなかったが、とす子が炎に魅了されている間、兄は目をつぶり歯を食いしばって唸っていた。なぜならこの炎の出処は、調理中になにかの拍子に驚いた兄が暴走させた異能だから。
この後の記憶はとす子にはない。後から聞いた話によれば、とす子が火傷する前に母と叔父がとす子と兄を助けて、異能の暴走もなんとかしたとのことだ。兄はとす子と違って明るく強いから、この件のせいで異能に怯えることも傷つくこともなく、むしろ前向きに異能のコントロールに勤しむようになった。またあの頃住んでいた家は、両親の仕事の都合で引っ越してしまったので今は別の人が住んでいると思っている。
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とす 「………」 |
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男 「…………」 |
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とす子 (誘拐犯。変質者。不審者。人さらい。ろくでなし。人間のクズ。人でなし。悪党。悪人。畜生) |
思いつく限りの悪口(知識のもとはアニメ、漫画、ゲームだ)を思い出しながら、むかむかした気持ちでとす子は窓からタクシーの外の景色を眺めていた。この男ととす子はものの数十分前に会ったばかりで、取り上げたとす子のゲーム機はまだ返されていない。
反対座席の男の様子をちらっと伺えば、相変わらずの仏頂面で正直なところ話しかけづらい。
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とす 「…………ねえ」 |
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男 「なんだ」 |
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とす 「ゲーム機返して」 |
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エインモーネ 「このタクシーを爆破するつもりか。おまえも無傷で済むと思わないが」 |
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とす 「そんなことするわけないじゃん! 馬鹿なの!?」 |
正直なところ図星だ。想像しなかったわけではない。
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エインモーネ 「返してほしければ………わかるか?」 |
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とす 「???????」 |
とす子は頭の裏側からひっくり返すような気持ちで考えて、閃く。
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とす 「………ごめんなさい?」 |
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エインモーネ 「何について、謝っている」 |
この男はまだ言わせる気なのか!? 謝ったのに!
渋々とす子は言葉を続ける。
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とす 「悪いこと、しようとしたこと」 |
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エインモーネ 「反省したか」 |
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とす 「……………うん」 |
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エインモーネ 「もうしないか」 |
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とす 「………………うん。……だから、返して」 |
とす子は男からゲーム機を受け取り、ランドセルにしまった。
次の機会があれば、もっと慎重に、見つからないようにやろうと心の中で誓った。
それからタクシーの降車までとす子と男は多少の会話をした。もっぱらとす子が質問役で、男は聞かれなければ進んで話すことはなかった。
男の名前はエインモーネ。とす子がイバラの人間なら、エインはアンジニティの人間。だけどエインは侵略に反対だからイバラと戦う気はないらしい。ここからは難しい話なのでとす子はよく覚えてないが、人間が多いほど強いからたくさんの人と組む方がいいから着いてこいとかそんな話だった。