――ファルさぁ、ウィルに幾ら出してるの？


「傭兵の働きにご不満なのかしら？」


透子がその質問をする意図が読めない。
まさか“額に見合う仕事をしていない”などと文句をつけるような娘ではない。
ないとは思うが。


『――はぁい、マム』


天秤のような形状の道具だと思った。
聞けば、遠くの音をこちらに届けて、こちらの音を遠くに届ける機械なのだとか。
慣れぬ形状に耳が痛くなるのだが、仕方なしにダイヤルを回す。


「調子はいかが？
　そちらは今何時なの、今日は起きてたみたいで、良かったわ」

『いやぁ、今日は次から次へと女性の相手で参っちゃう、って状態ですねぇ……えぇと
　メルンテーゼは午前２時をお知らせしまーす』

「年寄りと話してる暇は無いんじゃあない？お邪魔だったかしら？」

『おやおやマム、“女性”の中に勿論マムも入ってますぜ？』


軽口を叩く彼だが、信頼している。
彼は依頼を違えることがない、今回の件もこなせるのは彼だけだろう。
それでも、私が心配なのは――


『で、定時報告の催促……と言う訳じゃなさそうですが？』

「そうそう、私、あなたに聞きたいことがあるの」

『……なんでございやしょう』


かしゃり、と煙草に火を点ける音まで届ける、精度の高さ。
あまり良い話ではないな、と察したようで、彼の声が固い。
依頼主に言われたくないであろう言葉なのは、確かだ。


「――ちゃぁんと仕事、してる？」


機械由来ではないほどの長さの沈黙。
更に一呼吸置いて、返答がある。


『基本事項の遵守にゃ善処はしておりますがぁ……ね』

「そう。まあ、それ以上のことはね、手探りの対応になるでしょうしね
　可愛い“孫”が、あなたに不満のようだからね。
　どうなの？喧嘩でもしたとか」


むしろ喧嘩でもしてくれた方が
あの子のためになるような気はする。


『なるほど……不満、と言うか不安みたいな物を感じては居るようですねぇ』

「あなたに？」

『まぁ、そうでしょうねぇ』


意外な返答だった。
不安？


『……あぁ、別に何か変な事しようとした訳じゃないですぜ？』


その言葉には取り合わず、私はこめかみを押さえた。


「やっぱり、子供のお守りは大変だったかしら。悪いわね、こんな依頼で」

『いやいやマム、俺は全て了承した上であの時――』



=====================






「調子はいかが？
　――ウィルフレッド＝ヒルテンベルガー」


目の前にいる男の名前をゆっくりと、呼ぶ。
客室の中央にあるソファに少し落ち着きなく座る彼は、傭兵だ。
私が頼りにしていた人物の１人。


「いやぁ、悪くは無いですぜ？
　特にこのソファーの座り心地と言ったらもう……」


変わっていない。自分の顔が緩むのが分かった。
私は彼が褒めたソファの向かいに腰掛ける。
それに構わず、ウィルは自分の着ている服をまさぐっていた。


「あー……」


彼が呻く。そしてコンコン、とノックの音。
扉を開けて入ってきたのは、執事服の女性だ。
うちの使用人で、セルマという。


「ところで、煙草なんぞは持ってやしませんか？」


彼が私に問うので、返事の代わりに微笑んで見せる。
服を探る彼の座るテーブルに、セルマは紅茶と煙草の箱を置いた。
白い鳥の姿を模した陶器の器は、灰皿代わりだ。


「お、これまた可愛いお嬢さん、どうもどうも……
　あ、２杯目は珈琲貰えるかな？」


可愛い、という言葉には無表情のまま、マッチを擦って火を点ける。
珈琲を所望され、目をつい、と伏せるとそのまま下がる。
笑顔で手を振るウィルとは対象的だ。

よく働く娘なので、愛想にまではとやかく口を出していない。
あれはあれで可愛らしいじゃない？私の見立てた執事服も似合うし。


「おっと、マム。確認する前に一服失礼」


白い煙を吐き出して悠然と寛ぐ。
これでこそウィルである。
彼が失礼な人間という意味ではない。


「吸わないと、本調子の出ない人なのは
　もう十分分かっていますとも」

「それは光栄な事で……
　で、その前に一つ確認ですが、あの件はどうなりやした？」

「気になるの」


彼の言葉を聞いて、私は自分のカップを取り口をつける。
香りを吸い込み、ほんの少し、唇を湿らすだけに舐めるとカップを降ろした。


「安心なさいな、無事に終わったわ。
　あなた抜きで、相当苦労はしたようだけど。
　私たちにとって満足いく結果を出してもらえたから、問題ないわ」

「……そりゃ一安心。
　ご覧の有様で色々と迷惑をかけちまって、マムにも面目ねぇ」


彼は、前回の依頼を離脱したのだ。
私の手元に届いた知らせには、依頼が達成されたことと
何が起こったのかが、短く記されていた。


「依頼を遂行できなかったのは、初めてだったんでしょう？
　売り文句に使いづらくなったかしらね」

「手痛いところですが、まったく以ってその通り……
　名誉は挽回したところですねぇ」


正確には――依頼を失敗した訳ではないのだから
彼の経歴に傷はついていないのだ。私はそう思う。
しかし気にしているところが、また彼らしい。


「そんなあなたに、お願いしたいことがあるのだけど」

「こんな俺で良けりゃ、この状況でNOと言う理由はないですねぇ」

「ありがとう」


ここに彼を喚んだのは、前回のことを責めるためではない。
彼に、依頼をしなければならないからだ。
どうしても、彼に、だ。



=====================



彼にこの依頼の説明をするのは、楽しくもあり、辛くもある。
前者は、孫自慢をする婆の心境。
後者は、辛い記憶を呼び覚ますだろうからだ。


「護衛を頼みたいの。いつもみたいな積荷じゃなくてね」


勿体つけて一呼吸置く。


「女の子よ」

「はぁ、女の子……？」

「可愛いわよ、私にとっては、孫同然なんだから」


可愛い、と言う言葉にぴくりと反応するウィル。
満足である。


「可愛い以外に何か？
　……護衛っつーことは、訳ありってことですかい？」


そうよ、と肯定して頷く。
これから話すことを、彼はどのくらい信じるだろう？


「その子について、あなたに伝えておくべきことは――」


彼は煙草の灰を落とし、黙って私を見つめている。。


「１つめ、ニンジャであること」


若いころに、姿を隠し、手裏剣を得物とし
水遁や火遁と呼ばれる術を使う人に会ったが
この屋敷に住むようになってからは初めてだ。


「に、ニンジャ……？」


絶対に知らないだろう、と思ったのだが
彼は両手の指を複雑に組み、彼ら特有の術の構えをして
こちらを見た。


「私より詳しいじゃない」


間違いなく、声に不機嫌が漏れてしまった。
ちょっとはびっくりすると思ったのに。
理不尽だとは思うが、残念だ。



「２つめ」

「はぁ……」


彼は腑に落ちない、という顔だが
構わず続ける。


「――」


しかし言葉が出ない。
どういう言い方をすべきか、迷う。
彼の様子を伺う。


「？」


伺い返すように、こちらに首を傾げるウィル。
私は目を伏せる。彼の視線を避けて。
もう暫し黙した後に、“２つ目”を口にする。


「彼女は、既に亡くなっていて」


思い出す。
あの子の魂が私の目の前に現れたとき
どんなに磨り減った、弱々しい姿だったか。


「その魂に私が身体を与えた状態であること」


私は死霊術士ではない。
自然に宿る精霊を扱う術で、魂を集め、肉体を与えたのだ。
死者を無理矢理繋ぎ止める術とは、違う。


「なるほど……訳ありですねぇ」


彼の表情は見ない。
見ないまま、続ける。


「未練を持っていて、強い魂は
　死神の手なんて振り払って
　この世界に居ついてしまうのよ」

　そうしたら、あとはすり減って消滅するだけ……
　目の前にそんな子がいたら、助けてしまうでしょう」


私の目の前に、偶然現れた少女の魂。
吹けば飛ぶような状態だった。
最後の灯火のような彼女を叱咤し、部屋に招き入れたのだ――。


「イエス、マム。貴女は優しい人だ……それで？」


静かな声。
依頼の話に、意識を戻す。


「彼女は、旅に出たがっているの。
　それにあなたが、ついて行って頂戴」

「旅？護衛と言うからには何か目的が？」

「あの子は、“友達が欲しい”と言っているの」


ここでは、屋敷の中では叶わないでしょう。
あの子と歳の近い、普通の子は、ここには居ない。


「旅の中で望みが叶えば、未練がなくなれば
　死んだ魂が行くべき場所へ行ける」


魂はあるべき場所へ行くべきだ。
死んだものも生きているものも、行くべき場所、成すべきことが必ずある。


「依頼として、あなたにお願いしたいことは――」


――ウィルの目を見る。


「１つめ、あの子の身の安全を確保すること
　２つめ、１つめを守った上で、あの子の自由を妨げないこと。
　３つめ、もしもあの子の魂が満足して天に昇ることがあれば――

　“必ずそばで看取ること”

　これが、私からの依頼の全て」


出来るものなら、私がずっとあの子の傍にいてやりたい。
それが叶わないのならば、信頼できる者に託したい。
依頼を投げ出さず、必ず遂行してくれる者に。



=====================



「……内容は承知しましたよマム」


私もウィルも、同じように息を吐く。
彼の方は、白く細い煙を立ち上らせて。


「どうかあの子を頼みます。
　あなたにしか、お願い出来ないわ」

「マムの大事なお孫さんだぁ……
　最期の時まで俺が傍に居ると約束しますよ」

「ありがとう」


これはただの護衛ではない。
透子は“ニンジャ”だ。ただ守るだけの護衛は必要ない。
歳が離れている上に、それなりにワガママな少女との旅だ。


「結構、大変な仕事になると思うけど」

「マムが俺を指名してくれたんなら、任せておいて下さいな」


気を抜けば語尾が震えそうになっていたが
彼の器用なウインクに、少し笑みが戻る。
目元をそっと押さえながら話を続ける。


「あなたもねぇ、プロ意識が、高すぎるのよ。
　そうでなきゃこんな依頼を振られることはなかったのに」

「このままじゃ、悔やんでも悔やみ切れねぇですからねぇ……」


扉の横に控えたセルマに、目配せする。
彼女を呼んできて欲しい、と。
静かに扉が閉まり、ウィルは扉の方に視線を向けたまま。


「ああ、そうそう」


あの子が来る前に話して置かないとね、と続けて


「はいはい、なんでしょうか？」


こちらに視線を戻したウィル。
何の話をするか、分かっているのだろう。
無造作で軽い、しかし子供のように目を輝かせた表情。


「報酬と、必要経費のことは、心配しないで頂戴。
　可愛い孫に甘いおばあちゃんですからね、私は」

「なるほど、“白孔雀の魔女”も孫にはメロメロ、ってヤツですかねぇ？」


可笑しそうに言う。
“魔女”という言葉だけで、怖い者扱いされるのは心外だ。


「結構大きい手品なのよ、魂に身体を与えるのは。
　そこまでした大事な身内に、ケチなことをする気はないわ」


片眉上げて、胸を張ってみせる。


「それは身に染みてますからねぇ……
　あぁ、ところで必要経費と言えば」

「？」

「お孫さんのオヤツは経費に入りますかねぇ？
　上限幾らまでにしましょう？」

「あら、あなたのオヤツも経費でしょ
　上限を決めても良いの？」


テーブルの上の小さな箱を示す。


「おやおや、語弊がありますぜマム」


嬉しそうに笑う。


「こいつぁ、俺の主食なんで折込済みですよ」


納得せざるを得ない。
これがないと生きていけないのなら、嗜好品とはもう呼べないだろう。



=====================



『――約束しましたからねぇ、傍に居ると』

「そうね、……そうだったわね」

『まぁ、お嬢の事は俺なりに考えてやりましょう
　……ご心配掛けてすみませんねぇ』

「いいえ、大丈夫よ。あなたに任せるわ、ウィル」

『イエス、マム。安心してお休み下さいな
　……それじゃ、また定時報告で』


こちらはまだ昼だ。時差は日々不規則に変わり
あちらとの時間の流れの差は未だに分からない。


『おっと失礼、それでは良い午後を――』


受話器を置く。
長話をした訳ではないが、耳に加えて腕も痛い。
作った孫に、もう少し軽量化を頼もう。


セルマが持ってきてくれた水を飲む。
すぐ傍に控える彼女に話しかける。


「透子にもウィルにも、余計なことをしたかしらね。
　辛い思いをさせているもの」


彼女たちのためを思ったことだったが、
ただの自己満足でしかなかったかもしれない。

返事を期待したわけではなかったが、彼女は首を振った。


「あら。そう？――ありがとう」


私は目を瞑る――ウィルに言われたからではないが、少し眠くなった。
手の届かない私が、心を砕いても仕方がない。
少し寝ることにしよう――。

ウィルの言葉には、へらりといつものように笑って。
鞄を探り出したトーコに、不思議そうに首をかしげ。

やがて差し出された紙は、全く見たことがないもので。
けれど、続いた言葉を聞けば頷いて、微笑むと受け取り。

　事実、少し表情は翳っていたのだけれど、直ぐいつも通りに、そんなことを言ってみせた。
　それから言葉を継ぎかけたところで、トーコから差し出されたものを見る。
　一瞬、きょとんした表情を浮かべたものの、それを受け取った。

ひらひらと、右手を振るう。
きしり、がちゃりと、金属の擦れ合う音がした。

くつくつと、喉を鳴らして。

言いながら甘い匂いの元であろうクッキーの包みを出すのと、トーコがキャンディを出すタイミングが重なり。

（自身に向けられた興味の視線に気付いて、引いていた大鞄を止め、そちらへと向き直る。
　深い闇色のヴェールに覆い隠され、その目線や表情の機微は容易に窺い知れないが……
　黒ずくめの女、その傍らに留められた大鞄の中で、ごとごと――と何かを叩くような音が、鈍く響いた）

　

（やや奇抜なファッションが目を引く少女から喋りかけられ――たにも関わらず。
　当の少女ほったらかしで、ひとしきり謎の感動に身体を揺らしながら独り呟いていた……が、はたと我に返る）

　

（最後に、慌てたように付け足したのは、何か思うところがあったのかもしれないが――ほんのり、言い訳がましかった）

不意に近づいてくる、奇抜なメガネをかけた少女の方へ
二人は振り向いた。

奇抜なメガネの奥の、両方の瞳をキラキラとさせているその視線の先は、
金髪の少女が手にしている甘い外観の鎌だった。
服装も褒められ、少女は悪い気はしていないようである。

ふふん、と金髪の少女は鼻を鳴らした。
そしてお菓子を沢山持っているお兄さんが…と言われて、
仲間の一人が脳裏に浮かぶ。

隣にいた犬耳の少女も同じことを思ったのか、不意に口を開いた。

しげしげとトートバッグを眺めて感心していたが、やがて相手の手元に目をやると
更に驚いた様子で目をぱちくりさせた。

どこか懐かしそうに語っていたが、一揆に参加した経緯を聞き、目を見開く。

そこまで言って、身を乗り出してきた少女にちょっと面食らった様子。
すぐに気を取り直したように頷く。

”死んだらどうなっちゃうのかな”

　ラルフよね、と彼女の言葉を補って。
　続いた言葉に、少しきょとんとしたようになる。

　そう、軽く言うも。トーコの様子に気が付いて。
　『何でも屋』と聞いていたけど、そっか、傭兵だったのね、とは内心のこと。

　いつも元気なトーコが、ここまでしょぼくれているのも、そう見たことが無くて。
　安心させるためか、珍しく、にこりと笑ってみせた。

と言ってるものの、少しはやはりがっかりした様子を隠しきれていない。

外されたサングラスを目で追って、その後彼女の瞳に視線を移す。

落ち込んでいた表情が、見る見るうちにぱっと明るくなる。