―　　　　―　　　――　　――――　――――――　『幕間』　――――――　――――　　――　　　―　　　　―

『僕だって、少しはどうかと思うですよ』
　枝を組んで起こした火から少しの距離を取って、適当な場所に背を預けるように凭れた契約主の方から唐突に声が聞こえて、それで視線を向ければ、ベージュの姿をした土の彼がほとほととこちらに歩いてくる所だった。手を伸ばし――といっても、人に相当するような手は持っていないから、空気に透ける自身の身体を変形させ伸ばしているのだが、それで持ち上げていた薪を一度地面の上に戻して、それでシャールはこと、と小首を傾げた。
『火は嫌いではありませんでしたか？』
『風よか良いです』
　返答は、つい、とそっぽを向いて。それでもテラは火の番をするシャールのすぐ傍まで来てそこに座る。契約主の方を見れば、長い棍を肩に立てかけるようにして座ったまま、俯くようにして眼を閉じている。眠っているようにも、そうでないようにも見えた。シャールにとってはこれで何度目かの風景、契約主はいつも横にはならずにああやって、座したままで休息を取る。日中と違うのは、いつも高い位置で括った青い髪を下ろしている、それだけ。
『どうかと思う、とは？』
　火勢はしばらく保たれるだろう。そう判断して、シャールは土の彼のすぐ横に降りて行って問いかける。テラは一度、ぱたりと尾を振って地面を叩いた。
『今のところ、僕たち全員が、こうなのは、どうかと思うですよ』
『……ああ、誰も主と話せない事、ですか。ですが一応は、仲介して頂ければ』
『そーいうんじゃなくてですね』
『では、どういう？』
　ぱた、ともう一度、尾が地面を叩く。今度は二度三度、続いて。沈黙のまま火が爆ぜる音を何度か聞いて、不意にシャールが微かに笑みを落とした。
『気付いておられますよ、きっと』
『そーですぅ……？　思ってたよりもなんか適当ていうか、大事なところすっぽかしてますですよあの人』
　その方が楽てのはあると思うですけどと続けて、テラも契約主の方を見やる。ああして眼を瞑っている間は、契約主は微動だにしない。何か、知らない気配でも声でもすれば、それですぐに立ち上がるのに。
『……「覗き見は趣味が悪い」、ですか』
『……「見せてるのは本人」ですけども。なんなんです自虐なんですアレ』
『まぁまぁ』
　自分は、その時は聞いているだけだったが。薪が崩れたのを見て、新しく枝を三つ、火の中に組み上げる。
『……僕、探されてる人と会った事あるですよ』
『おや』
　それは初耳だ。ぽつりと落ちた声にテラの方を見れば、土の彼はどこかうなだれているようだった。どうかしたのだろうかと思ううちに、彼の前肢が地面の土を掻いて何かを描き始める。その上に声が被さった。
『あの、細い人。似てたですよ』
　あそこまでじゃなかったですけど。言いながら描かれて行くのは、何かの図のようだった。小さな縁とそれを繋ぐ線が、次第に広がって行く。契約主の夢の中に何度も出てきた、色鮮やかな。
『どんな方でした？』
　図の完成を待つつなぎに、少し的の外れた問いを一つ。テラはまた尾で地面を叩いた。今度は、ゆっくりと、二度。
『……あんまし覚えてないのです。寝起きだったです』
『それは残念』
『でも『綺麗な人』だったですよ。……きれいすぎるくらいにがんじがらめで、全部おさめて空っぽに見せられるくらい』
『随分、具体的ですね』
『触れましたですから。その人に起こしてもらって、それで契約したですよ』
　こと、と、シャールが何度目か疑問符を浮かべた。それでは、時系列に狂いが生じるのではないか。見つけられないから、人にそれを伝えてまで探しているのだろうに。
『……空っぽだから、僕には分からないのです。その人がどこにいるか。別にそれを期待されてるわけじゃないと思うですけど』
『あの方も土ですからね』
　相性が良いのだろう、他のものに較べて、格段に。自身も土の性質を持ちはするが、本質としてそうであるわけではない。テラのような「大地そのもの」とは別物だ。ふむと一つ、間を置いて。
『……だとしたら、一体何を探しているのでしょうか』
『それが問題だって言いたかったです』
『おや、それは。相談するのは、レーレでなくて良いのですか？』
『あの子は主に『絶対服従(べったり)』だからダメです。ていうか今寝てるです』
　それは、と苦笑に似た色を浮かべてもう一度、契約主の方へと眼を向けた。姿が見えないのは恐らく、定位置に潜り込んでいるからだろう。本来、ここに集まったエンブリオ達は原則として睡眠を必要としないものが多いが、レーレは主に倣って夜に眼を閉じるのが恒例になっているのだろう。思っているうちに、棍から小さい羽が垂れているのを見つけて微笑ましい気持ちになる。眼を開けた契約主に見つからなければ良いが。
『宝石』
　不意にすぐ横から単語だけが耳に入って、そちらに視線を引き戻す。図は、とうに完成していた。十二の円、それぞれを繋ぎ合わせる線。その一番上と一番下にある円を、本来は存在しない一本線で、結び合わせて。
『銀と、紫』
　垣間見えた主の記憶の中で、ひときわ強く、鮮やかな二つ。彼の首に掛かる色。
『――シャールは、『あれ』は、壊せると思うですか？』





―　　　　―　　　――　　――――　――――――　『栞』　――――――　――――　　――　　　―　　　　―

　ソファに腰掛けて暖炉を右手に見ながら、膝の上に開いた本の中の文字を追いかける。内容は、なんて事は無い、ただの童話集だ。
　本棚の合間を何の気無しに歩いているときに、不意にタイトルが目に入って、それで手に取った。本当に短い説話を幾つも、幾つも集めて、集めた物を綴じただけの、それだけの本。きっと文字を習い始めた子供が、教科書とは別に、参考にするような。
　その単純で、平易な言葉で綴られる文章を、視線だけを動かしてゆっくりと辿っていく。どんなに悲惨でも、どんなに残虐でも、最後には『めでたし、めでたし。』で終わる、幾つもの物語。
「――クロ」
　声が聞こえて、ほとんど反射で顔を上げる。ずっと下を向いていた視線がその音源を捉え損ねて、それで彷徨っているうちに当の本人がすぐ隣に座ってしまう。苦笑した。
「久々だな、それ」
「だって愛称なんて、成年相手に中々使う機会も無いじゃないですか」
　言った彼女は、中々に行儀が良いとは言えない仕草で、癖も無くまっすぐに伸ばされた長い髪を、背に巻き込まないように左の肩の上に流す。上着のフードと背凭れの間から鈍色の友人が顔を出し、膝の上に降り立ったのを見てから、身体を沈めるようにして全身をそこに預けた。
　疲れているのだろう、もう夜半も近いのに、きっとずっと走り回っていたに違いない。頬に触れれば冷たい、彼女は振り払いもせずに瞑目して、息を漏らした。
「……冬の夜は駄目ですって……」
　声音にも疲弊がありありと浮かんでいる。銀色の髪を一度だけ撫でた。
「お疲れさま。大丈夫だったか？」
「小物の群れが相手だったので、大変ではなかったんですけど。時間ばっかりかかって」
　言う、それに被さってきゅると鳴き声。翼を持った鈍色のそれが、蒼い瞳でこちらを見上げているのに気付いて、それで手を伸ばしてその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「コウもお疲れさま。ありがとな」
　言えば、どこか胸を張るようにして長い尾をぱたりと振る。そうしてから、満足したのか黒衣の上で身体を丸めるのを見て、同時に小さく笑った。
「……寝なくていいのか？」
「流石に冷えちゃって、暖炉のある所が良くて。そっちこそ」
　問いかければここに来た理由と、そして同じ意味の跳ね返し。肩をすくめた。
「俺明日休みだから」
「……羨ましい」
「だろ。……何となく暇で。寝るのも勿体なくなってな」
　言って、それでようやく彼女に向けていた視線を本へと戻した。手袋をしたままの指先で叩くようにして示してみれば、彼女は覗き込むように左肩に凭れ掛かる。短く細かく途切れる文章を見てなのか、そのまま首を傾げたようだった。
「……説話集……？」
「童話、な。寓話でもいいけど」
「珍しい。というか、あったんですね、ここ」
　小さい身体が離れて、そして背の側、並べられた本棚の方を見やる。風もないのに、空間が空いたそこから冷えていくかのような感覚があって。誤摩化すように少し首を動かした。ほんの少しだけ、読書をしていたせいか、凝り固まってしまった肩が痛い。
「大体何でもあるな。魔法の本が全部別の一カ所に集まってるから、ここは魔法以外が多いみたいで」
　言えば彼女の目がこちらを向くのが分かった。見返せば、紫に疑念が浮かぶ。
「……疲れてます？」
「……なんで」
　彼女が疲れているのは分かるが、その彼女がどうしてこちらにそれを聞くのか。純粋に理由がわからなくて、それで目を瞬かせていると、彼女は何か考えるように視線を落として、そうしてから元の様にこちらに凭れて来る。先程までに比べれば、どこか少し強い調子で。首を傾げた。
「……部屋行くか？」
「火の近くが良いんです」
　腕に当たった頬と顎が動くのが分かる。据わりの良い場所を探る様にして、それで軽く俯いた彼女の瞳も表情も見えなくなる。なんとなく違和感を覚えて、その正体も掴めずに、仕方なしに本へと再び視線を落とした。
　物語は、短い。見開きを二度使えば終わってしまうようなものばかり。遊びの白紙も入っていないから、タイトルの飾り文字だけが頼りだった。文字や文章の詰め方も乱雑で、ページをめくって数行で、という事も多い。だがそれには特別に何を感じるでもなく、文字を追っていく。森の怪物退治の物語、人を信じない領主の物語、虚勢によって自滅する国王の物語、不遇の兄弟が幸運によって救われる物語、細かな知恵と努力によって報われる物語、その最期にはどれも『めでたし、めでたし。』の決まり文句が、まるで判を捺したかの様に書かれていて。
　それでもそれに、何を覚える訳でもなく、ただ淡々と文字の行方に従う。本の半ば、他に較べればほんの少しだけ長い、『或る国の騎士と少女の物語』を終えるよりも僅かに早く、身体にかかっていた重さが揺れた。
　目を文字から、自分の左の袖を掴む彼女へと向ける。本を膝の上に開いたままにしておいて、動かない片腕の代わりに右を伸ばす。額にかかっているのだろう銀糸を、そっと梳く様に触れる。何の反応もないのをみて、仕方ないと軽く息をついた。
　鈍色をつつく。すぐに起き上がったそれは一度伸びをして、そうしてからこちらの肩に駆け上がって来る。本を開いたまま、膝からテーブルに移動させて、そうしてからその肩に腕を回した。起こさない様にとだけは注意して、慎重に。
　袖を掴んでいた手が離れてしまうのを惜しく思いながらも、出来るだけ寒くない様にと抱き抱えた。



―　　　　―　　　――　　――――　――――――　『　　』　――――――　――――　　――　　　―　　　　―

　眼を開けて一番に、溜め息をついた。すぐに髪を上げて結い直す。これをしないと邪魔でしょうがない。膝の上で伸びていたテラを拾い上げてから立ち上がった。身体が強張っているのを感じながら、一度目元を押さえた。
　――嫌な夢を、見た。

道案内の一端を担った身としては、きちんと辿りつけ、会えたことにほ、っとしたように笑う。

敵を見て何と表現すればいいのだろうと、首を傾げている。

戦えるチャンスだからって、と呟きつつ苦笑交じりに溜息。

にこりとヤサカに対して笑い、『逢魔ヶ刻の魔眼』を空間の裂け目からひきずり出した――

　その場に並んだ、自分以外の七人を見やる。ふむと軽く声を落とした。
　

　

　言いながら、得物――棍で軽く一度、肩を叩いて。
　

　まるで何の説明も無く、それを構えた。

口元に笑みを浮かべたまま会釈。そして魔異と冬花を見。微かに笑みを深くする。
そして

名指しでとてもいい笑顔を浮かべた。

目を、見開く。随分と見知った顔が、そこにはあった。

みしりと。右腕が、その手に持った鎌の柄が。
再開を喜ぶかのように、哭いた。

そうして傍らのコルンヴォルフもまた、少年の横へ並び立つ。

*銃を構える*

傍らの仔狼の背を撫でてから立ち上がり、よろしく、と小さく頭を下げて。

彼の元に集まる幾つかの視線や切先に、ことりと首を傾げた。