（いつも通り、日記はENo.547　柊魔異の日記とリンクしております。）

迎えに来たらしい学者の男性と通りすがりの少年と共に、魔物達を追い払った後。
傷付いたのか、動けないのか。
麦色の狼が二匹、取り残されたようにそこにいた。

先輩が、彼らへと歩み寄る。
一匹がもう一匹を守るように立ちはだかり、小さく唸り声を上げた。
よく見れば、二匹ともまだ幼い。

「――コルンヴォルフ。これで『契約』の条件は整った筈だ。力を貸して貰おう」

「……『契約』？」

戦意を喪失した彼らに尚近づこうとする彼に傾げた首が、更に傾ぐ。
契約、という言葉の意味はわかる。
けれど、ここで彼らにその言葉を持ち出す意味が、わからなくて。

「メルンテーゼでは、力を示した後にネクターを用いることでエンブリオと契約することが出来る。
　そうして俺達は力を得ていくんだ」

そう言いながら、彼は懐から取り出した真紅の花を指で弄る。
確か、ネクター、と呼ばれているもの。
エンブリオというのは、ルトゥや迷子さんのように、力を貸してくれる存在の事だと認識していた。
けれど、

「……もしかして、契約をしたことが無かったのか？」

「……契約。……してない」

「いやしたぞ」

ふるりと首を振ったところで、額に小さな衝撃が走る。
目線を上げると、小さな風の少年が、呆れたようにこちらを見下ろしていた。
どうやら彼に額を叩かれたらしい。

「あの厳ついおっさんと戦った後に、お前にあれ寄越せって言ったじゃん俺」

あれ、と指された赤い花弁を見る。
初めてそれを手にしたのは、風の少年に助けられながら、
ラ…、なんとかと言う男性と戦って、認められた時。
丸腰で城に向こうつもりだったのか、と呆れられて、それから──、

「……、……おお」

あれだったの、という視線に、あれだ、と頷きが落とされる。

「……まあ、あのやりとりを契約と取るのは難しいか」

頭を掻きながら疲れたように呟きを零す。
そんな私達の掛け合いを見ていたのかそうでないのか、先輩が補足するように説明をしてくれた。

「『契約』は、契約者の生命力とネクターの花びらという対価を以って行う。
　逆説、特別な儀式は要らず、それを与えるだけで成立するものなんだ」

「……そう。そういう形の『契約』もあるとは、知らなかった」

あれが『契約』だと、全く思っていなかったので、正直とても驚いた。
確かに先輩の説明通り、力を示した後に、ネクターを渡していたけれど。
自分が元の世界で知った『契約』の形とは、かけ離れ過ぎていて。

「同意は、必要では、無いの……？　嫌がっているように、見える。……怯えているだけ？」

それだと無理矢理も成立してしまう気がするし、今目の前にいる彼らも、『契約』を拒んでいるように思えたから。
彼らの仕草を、表情を読み取れるように、先輩の傍に歩み寄り屈む。
その時ひらりと、視界の隅で空色の透羽根と鱗粉が舞った。
先程まで戦っていた彼らに近付いた事で、心配症な彼女が、鞄から出て来たらしい。

「……嫌がっているように、か。
　確かに、今まで出会ってきたエンブリオとは様子が違うみたいだな」

覗き込んだ視線に返って来る、二匹の視線。
怖がらせてしまったのだろうか。一匹の後ろに隠れたもう一匹が、心細そうに小さく鳴いた。

「――この狼、もう一匹を庇っているのか」

先輩が何かを削がれたように、少し惑うように息を零す。
多くのエンブリオと契約を重ねて来た彼でも、彼らのこうした反応は初めてらしい。
警戒、困惑、怯え、敵意。
それぞれに違う感情を宿した彼らの瞳。
特に、後ろに庇われた子の瞳に、思い出す何かがあった。
寂しそうな。別れを受け入れたくないような。──涙に濡れた色。

「……離れたく、ないの？」

そっと問いかけてみると、言葉が通じたのか、小さく鳴きながら自分を庇うもう一匹へと、身体を寄せる。

「どうやら、単純に契約を拒んでいたわけじゃないみたいだな」

先輩も、彼らの様子に何かを感じたようで、若干逡巡するような素振りを見せる。
理由がわかった以上、彼なら、無理矢理引き離すような事はしないとわかっている。
けれど、この先に進むなら、力は多い方が良いと自分もわかっている。
……それなら、どうすれば良いか。
浮かんだひとつを言葉にする前に、彼が口を開いた。

「……なぁ、冬花。俺と、お前で、一匹ずつ。そうしたら、二匹一緒に連れていけないかな」

「……私も、そうしたいと思っていた。彼らが、それで構わないのなら」

思うことは、同じ。それなら後は、彼ら次第。
足元に置いていた鞄を開き、取り出した赤い花弁を、そっと両の手の平で転がす。
確かめるようにもう一度先輩と視線を合わせてから、彼らへと、視線を移す。

「一緒に、いさせてあげられると、思う。いつも……は難しいかもしれないけれど。
　先輩は、あなた達を引き離したいわけじゃない。……ただ、力を貸して欲しいだけ」

言葉を解してくれたらしい狼達へと、静かに、声を掛ける。
まだ、花弁は差し出さない。彼らはこのまま生きて行くことも出来るから。
考えられるように。拒めるように。

いくつかの、沈黙の後。
おずおずと、後ろに隠れていた狼が、己を庇ってくれていたもう一匹の横に並んだ。
隣の狼の瞳に驚きと不安の色が混じる。
けれどやがてその子も、観念したように、唸り声を出すのを止めた。

「決まりだな」

自分の前に、庇われていた子が。
先輩の前に、庇っていた子が、それぞれに。

「互いに離れ難いと思っているのなら、それはきっと、失ってはいけないものだ」

噛み締めるような声。

「――俺たちと、一緒に行こう」

まるで夕焼けのように紅いそれを先輩が差し出すのに倣うように、
自分もまた、緩く握っていた手を開き、花弁を差し出した。

「ありがとう」

受け入れてくれた事に、感謝を。
それから、少しでも彼らが安心出来るように、大丈夫と、言葉を重ねる。

「……わかるから」

──私達も、そうだから。
付け足した言葉は、微かに。獣である彼らになら、届くと信じて。
離れ難いという思いの重なりが、未だに嬉しくて、こそばゆく思えてしまうから。
不思議と上がってしまいそうな口角も、
それによって零れてしまいそうな笑みの気配も。
きっと不審にうつってしまうから。

──どうか、隣にいる彼には、伝わってしまわないよう。


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とってもとっても気に食わない。
あんなにも彼女を傷付けておいて。

──何故お前が怒っているのかは分からない。
──でも、それだけ怒ってるってことは、俺はきっと何か悪いことをしてしまったんだろうな。だから、気が済むまでやれ。

どうして、こんなにも。

──……わかってる。そんな愚直な貴方だからこそだ、って。

彼女がこの人間に惹かれる理由。許す理由。信じる理由。
揺らいでも途切れる事のなかった思いは、彼が彼だからこそ。

──でも、……どうして、貴方なのかしらね。

わかっているけれど、それと受容とは、また別のお話。
彼女が心の多くを割き。
彼女が自らの意思で留まりたいと願う。

私が在る事を望むその場所に、彼がいる。

──お前も同じだけ気持ちをぶつければいい。自分を見ていて欲しいと願うのなら、そういう想いを伝えればいい。
──不平に感じるのなら、いくらでも俺に当たって構わない。だけどそれじゃ、何も変わらないと思うんだ。

彼の言葉が、胸に突き刺さる。
わかっているからこそ。口を縫い止めてしまいたい程。

──出会う順番を変えることも、今までの思い出も、全部無かったことになんか出来ない。俺だって、それだけは譲れないよ。

何もかもを見透かしたような言葉に、笑った。笑ってしまった。

──貴方、思っていたよりもずうと酷い人ね。違うのよ。すげ替わる気も奪う気も、端からないわ。
──諦観と納得を幾度繰り返し時を重ねても、ままならないもの。ただ、それだけの事なのよ。




「迷子さん」

「なあに、トウカ」

「少し前から、元気がない」

「──何も、無いわ。大丈夫。色々と思い出していただけ」

「……そう」


「……迷子さん」

「なあに？」

「あなたは、仲間の所に戻らなくても、良いの？」

「……」

「居たい誰かの傍にいられないのは、とても、寂しい事だから。
　私は、私が寂しく思っていた時に、あなたがそれを埋めようとしてくれていた事を、知っている。
　私はもう充分、助けてもらった。だから今度は私が、あなたの仲間を探すのを、」

「──その必要は、ないわ」

「なぜ」

「私にとっての居たい誰かは、あなただから」

「……なぜ」

「惹かれたからよ。どうしようもなく。……ふふ。わからない、と言う顔ね。
　良いのよわからなくて。それが当たり前なのだから。『私がそういうものだから』そう思って貰えれば、それで良いわ」

「『そういうもの』……。なら、あなたはこれからも、私といるの」

「ええ。ねえトウカ。私、名前が欲しいわ。あの子みたいに。『契約』しましょう」

「名前」

「そう。名前」

「……、……それならひとつ、考えていた。ずっと、ある花に似ていると」

──ニゲラ。
落とされた花の名は、奇しくも。

「……嗚呼。そうなのね。やはり貴方で、間違いないのだわ」

綻んで行く顔を、どうする事も出来ない。
躊躇いなく、彼女が差し出した契の花に手を伸ばした。

「誓うわ。冬花。
　望まぬ愛を貴方に。望まぬ心酔を貴方に。
　望む拠り所を貴方に。望む力を貴方に。
　朽ち、果てるまで。満ち、絶えるまで。
　片時も離れず、貴方の傍にいると」

真紅の花弁を食み、彼女の上唇に、唇を重ねる。
恥じらいも怒りの気配もない。
離れた私を見下ろす、きょとりと不思議そうな冬青。

「……そう言う『契約』の仕方も、あるの？」

なんと、まあ。
彼女は口付けの意味も知らなかったらしい。
いとけない表情に、ついまた笑みが零れてしまう。
気分が良い、と思ってしまうのは、性悪なのだろう。
けれど、構わないでしょう？　あの人間から一つぐらい『一番』を奪ってしまっても。

「そうよ」

私の契り方だ。間違ってはいない。
ただ、そうではない方法も取れるというだけ。

「ねえトウカ。私、もうひとつだけお願いがあるの」

「なに」

「これからはずうと、名前で呼んで。他の人には呼ばせないで」

貴方が、いなくなるまで。
汚れなき純きもの。汚れなき混じりもの。
その真白に惹かれ、彼の存在が失せるまで愛し寄り添う。
保つ為に喰らう黒。

呪いの種子から生まれた、花の性。

「『約束』よ、トウカ」


──私の、新しい最愛。

こうかてきめん、と。心なし、瞳をきらきらとさせて。

──ルトゥ、と傍らの風精に。
呼ばれた少年は心得たとばかりに透羽根で空を叩く。
呼応するように集う風が、神獣達を挑発するように逆巻いた。

目を、見開く。随分と見知った顔が、そこにはあった。

みしりと。右腕が、その手に持った鎌の柄が。
再開を喜ぶかのように、哭いた。

そうして傍らのコルンヴォルフもまた、少年の横へ並び立つ。

*銃を構える*

傍らの仔狼の背を撫でてから立ち上がり、よろしく、と小さく頭を下げて。

彼の元に集まる幾つかの視線や切先に、ことりと首を傾げた。

戦えるチャンスだからって、と呟きつつ苦笑交じりに溜息。

にこりとヤサカに対して笑い、『逢魔ヶ刻の魔眼』を空間の裂け目からひきずり出した――

　その場に並んだ、自分以外の七人を見やる。ふむと軽く声を落とした。
　

　

　言いながら、得物――棍で軽く一度、肩を叩いて。
　

　まるで何の説明も無く、それを構えた。

口元に笑みを浮かべたまま会釈。そして魔異と冬花を見。微かに笑みを深くする。
そして

名指しでとてもいい笑顔を浮かべた。