（前回の日記からの続きとなっております。）




「――はぁい、マム」


『調子はいかが？そちらは今何時なの、今日は起きてたみたいで、良かったわ』


受話口の向こうから、上品でいて芯のある声が返って来る。
声の主こそ、“白孔雀の魔女”の名で呼ばれるお得意様であり、今回の大事なクライアントだ。
軍と何の関係もないが、彼女の事は敬愛の念を込めて“マム”と呼んでいる。


「いやぁ、今日は次から次へと女性の相手で参っちゃう、って状態ですねぇ……えぇと」


大事なクライアントと言っても、多少言葉には気を遣うが、調子は変わらない。
自発光式のインデックスを見つつ、軽い調子で返した。


「メルンテーゼは午前２時をお知らせしまーす」


先程まで起きていたコトカの寝入りを妨げないように、
若干声のトーンを落としつつ、少し通路の暗闇へと移動した。


『年寄りと話してる暇は無いんじゃあない？お邪魔だったかしら？』


返って来たのは、これ見よがしにわざとらしい溜息。
それから、からかうような口調で聞いてくる。
こう言う所も可愛い女性である。


「おやおやマム、“女性”の中に勿論マムも入ってますぜ？
　……で、定時報告の催促……と言う訳じゃなさそうですが？」


それよりも、だ。
いつも通りに日に一度の定時報告はしている。
昨日もこちらの時刻で１８００に報告は入れている。


『そうそう、私、あなたに聞きたいことがあるの』


突然の事に、取りあえず煙草を咥えて火を着ける。
暗い地下牢に、ゆっくりと着火音を響かせてから口を開く。


「……なんでございやしょう」


『――ちゃぁんと仕事、してる？』


！？
この質問の意図が咄嗟に掴めず、咥えたタバコを落としそうになった。
クライアント側から掛かってきた電話でこんな質問をされたなら、
誰だって不始末があったと思うであろう。


「基本事項の遵守にゃ善処はしておりますがぁ……ね」


『そう。まあ、それ以上のことはね、手探りの対応になるでしょうしね』


……暫しの沈黙。
一体何がいけなかったのか、自分の仕事を走馬灯の如く思い出す。
この現状で、何かあるとすれば、それは――


『可愛い“孫”が、あなたに不満のようだからね。どうなの？喧嘩でもしたとか』


ビンゴだ。
こればかりは、言われても仕方があるまい。
事実、交換日記にお嬢への返事を書いたものの、
どうしたらいいのかが、自分でもよく分かっていないのだ。


「なるほど……不満、と言うか不安みたいな物を感じては居るようですねぇ」


『あなたに？』


「まぁ、そうでしょうねぇ……あぁ、別に何か変な事しようとした訳じゃないですぜ？」


こちらの歯切れの悪い言葉に、小さく唸ったのが電波を通じて伝わってきた。


『やっぱり、子供のお守りは大変だったかしら。悪いわね、こんな依頼で』


こんな依頼。
そんな風に思った事は一度も無い。
むしろ、この依頼こそ……


「いやいやマム、俺は全て了承した上であの時――」


眉を上げて紫煙を吐き出し、ゆっくりと目を閉じて言葉を選ぶ。

そう、あの時約束したのだ。




◆　◆　◆




「調子はいかが？ウィルフレッド＝ヒルテンベルガー」


目の前の、上品に歳を重ねた女性がフルネームを口にする。
白いゆったりとした服を纏い、頭髪も長く白く美しい。
そして、小柄な体躯に柔和な表情を浮かべているが、
はっきりとした意志の強い瞳が問い掛けてくる。

彼女こそが敬愛すべき“白孔雀の魔女”その人だ。


「いやぁ、悪くは無いですぜ？特にこのソファーの座り心地と言ったらもう……」


向かい合うようにソファに座りこみ、座面をポフポフしようとするが、
口とは裏腹に動作はやや緩慢である。


（さっすがに、まだ本調子とはいかねぇもんだ）


精神と肉体の乖離と言うべきか、内心で自分の不甲斐なさに舌打ちしつつ、
少しでも調子を上げようとコートのいつもの内ポケットを探るが、例のモノが無い。


「あー……ところで、煙草なんぞは持ってやしませんか？」


言葉を発したのとほぼ同時、ソファの斜め後方から気配が静かに現れる。
執事の様な服装だが、よくよく見れば女性だ。


（えぇと、この場合メイドさんなのか、執事さんなのか……）


そんな事を考えている間に、執事服のメイドさんはとても静かな所作で
目の前のテーブルに紅茶のカップと、いつも見慣れたラッキーストライクの箱を置いた。

これは有り難い、とばかりに紅茶よりも先に煙草の箱に手を伸ばし、
箱を揺すってお目見えしたフィルターの端を唇で挟んで引き抜く。

そして、いつものポケットからライターを取り出そうと――


「……」


その気配を察したのか、執事服のメイドさんの手にはいつの間にか火の灯ったマッチ。
ごく自然な動作で差し出された火に、上目にその顔を見ながら煙草の先を寄せる。


「お、これまた可愛いお嬢さん、どうもどうも……あ、２杯目は珈琲貰えるかな？」


体に煙の染み渡る感覚に満悦しつつ、女性とあらば愛想を振りまく事は忘れない。
ついでに厚かましい注文付きではあるが……。


「……」


マッチの火を消して灰皿を設置した執事服のメイドさんは、
承知致しましたと言うように、すい、と目を伏せると、現れた時と同じ様に静かに下がった。

下がる彼女に少々未練がましく手を振りつつ、漸く視線を元に戻した。


「おっと、マム、確認する前に一服失礼」


相当今更な発言である。
お茶と煙草を用意させたのだから、ダメとは言わないだろうが……。


「吸わないと、本調子の出ない人なのは、もう十分分かっていますとも」


白孔雀の魔女、ことマムは諦めとも安堵とも取れるような表情で言う。


「それは光栄な事で……で、その前に一つ確認ですが、あの件はどうなりやした？」


そう重苦しく言葉共に煙を吐き出す。
今自分がココに座っている本題とは関係ないのだが、聞かずには居られない。


「気になるの？安心なさいな、無事に終わったわ。あなた抜きで、相当苦労はしたようだけど。
　私たちにとって満足いく結果を出してもらえたから、問題ないわ」


「……そりゃ一安心。ご覧の有様で色々と迷惑をかけちまって、マムにも面目ねぇ」


「依頼を遂行できなかったのは、初めてだったんでしょう？売り文句に使いづらくなったかしらね」


自分のミスで依頼が失敗したとあっては、まともに目すら見れた物ではない。
どうもその後上手く言った様子なので、ひとまずは安心と言ったところか。


「手痛いところですが、まったく以ってその通り……名誉は挽回したところですねぇ」


そう、自分の腕に自信はある。
自分の仕事に誇りを持っている。
報酬さえ約束されれば、依頼の達成は完璧。
それを宣伝文句にやってきた中での、手痛いミス。
しかも、お得意様であるマムの依頼で、だ。


「そんなあなたに、お願いしたいことがあるのだけど」


マムは、いいかしら？と微笑む。
その笑顔に返す返事は一つしかない。


「こんな俺で良けりゃ、この状況でNOと言う理由はないですねぇ」


「ありがとう。護衛を頼みたいの。
　いつもみたいな積荷じゃなくてね……女の子よ」


「はぁ、女の子……？」


「可愛いわよ、私にとっては、孫同然なんだから」


これまた突然だが、可愛いと言う言葉には敏感に反応する。


「可愛い以外に何か？……護衛っつーことは、訳ありってことですかい？」


マムは、そうよと肯定して続ける。


「その子について、あなたに伝えておくべきことは――
　１つめ、ニンジャであること。ニンジャって知ってる？」


「に、ニンジャ……？」


同僚と回し読みしていたコミックス程度の知識しかないが、
“印”と言うヤツを両手で結んでニンニンしつつ首を傾げて見せる。


「私より詳しいじゃない」


少々不満気な声音に更に首を傾げるしかない。
が、お構いなしにマムは続ける。


「２つめ――」


少し躊躇する様にこちらの様子を伺って、間を置いてから続ける。


「彼女は、既に亡くなっていて、その魂に私が身体を与えた状態であること」


「なるほど……訳ありですねぇ」


マムが躊躇った理由は分かったが、それほど驚くような事ではなかった。


「未練を持っていて、強い魂は、死神の手なんて振り払って、この世界に居ついてしまうのよ。
　そうしたら、あとはすり減って消滅するだけ……目の前にそんな子がいたら、助けてしまうでしょう」


「イエス、マム。貴女は優しい人だ……それで？」


昇る煙を見つめて聞き返す。


「彼女は、旅に出たがっているの。それにあなたが、ついて行って頂戴」


「旅？護衛と言うからには何か目的が？」


「あの子は、“友達が欲しい”と言っているの。
　旅の中で望みが叶えば、未練がなくなれば、死んだ魂が行くべき場所へ行ける」


これは大仕事だ。
どうしたものかと考えつつ次の言葉を、待つ。


「依頼として、あなたにお願いしたいことは――

　１つめ、あの子の身の安全を確保すること
　２つめ、１つめを守った上で、あの子の自由を妨げないこと。
　３つめ、もしもあの子の魂が満足して天に昇ることがあれば――
　
　“必ずそばで看取ること”

　これが、私からの依頼の全て」


深い吐息と煙を一筋。
依頼の内容には驚いたが、わざわざマムが自分を選んだのだ。


「……内容は承知しましたよマム」


その返答に、マムもほっとした、という顔で息を長く吐く。


「どうかあの子を頼みます……あなたにしか、お願い出来ないわ」


「マムの大事なお孫さんだぁ……最期の時まで俺が傍に居ると約束しますよ」


「ありがとう。結構、大変な仕事になると思うけど」


マムが言葉を切った。
目を細め、見た事も無いような悲しそうな表情をしている。


「マムが俺を指名してくれたんなら、任せておいて下さいな」


灰皿に煙草を潰してウィンク一つ。
努めて軽く……それだけ返答する。


「あなたもねぇ……プロ意識が、高すぎるのよ。
　そうでなきゃ、こんな依頼を振られることはなかったのに」

そう言って、扉付近の執事服メイドさんに目で合図を送るマム。
件の孫を呼ぶのだろう。


「このままじゃ、悔やんでも悔やみ切れねぇですからねぇ……」


そう自嘲気味に呟きつつ、出て行く様子を視線だけで見送る。


「ああ、そうそう」


「はいはい、なんでしょうか？」


その声に視線を戻して聞き返した。


「報酬と、必要経費のことは、心配しないで頂戴。
　可愛い孫に甘いおばあちゃんですからね、私は」


「なるほど、“白孔雀の魔女”も孫にはメロメロ、ってヤツですかねぇ？」


確かに、普段の依頼の時には聞いた事のない様な言葉に、
可笑しさを堪えつつ、冗談交じりにその名前で呼ぶ。


「結構大きい手品なのよ、魂に身体を与えるのは。
　そこまでした大事な身内に、ケチなことをする気はないわ」


片眉を上げて、少々得意げに返すマム。


「それは身に染みてますからねぇ……あぁ、ところで必要経費と言えば」


唐突に切り出した言葉に、疑問符を浮かべてマムが首を傾げる。


「お孫さんのオヤツは経費に入りますかねぇ？上限幾らまでにしましょう？」


些細な事でも大事な事だ。
そもそも、お孫さんとやらの年齢も聞いていないが……。


「あら、あなたのオヤツも経費でしょ、上限を決めても良いの？」


マムの切り返しは早かった。
視線はテーブルの上の小さな箱。
煙草まで経費で落としてくれるのはマムだからこそ。
冗談とは分かっているが、上限は勘弁である。

ただ、一つだけしたり顔のマムに訂正せねばならない。
これは、とても大事な事だ。


「おやおや、語弊がありますぜマム。こいつぁ、俺の主食なんで折込済みですよ」


得意気にニンマリと笑って見せた。




◆　◆　◆




「――約束しましたからねぇ、傍に居ると」


最期の時まで傍にいる事。
それがこの依頼の目的でもあり、自分に出来る事。
それまで、ただ、傍に居れば良い訳ではない……今、それを痛感している。


『そうね、……そうだったわね』


「まぁ、お嬢の事は俺なりに考えてやりましょう……ご心配掛けてすみませんねぇ」


よくしてくれるマムに、心配を掛けるようでは情けない。
胸中で嘆息しつつ、今は気休めにしかならないがそう告げる。


『いいえ、大丈夫よ。あなたに任せるわ、ウィル』


「イエス、マム。安心してお休み下さいな……それじゃ、また定時報告で」


『こっちはまだ昼よ。おやすみなさい』


「おっと失礼、それでは良い午後を――」


上品な笑い声を残して通話は切れる。
消灯した画面、蝋燭の明かりを照り返して、自分の顔が映り込んでいる。

困っているのか笑っているのか……。
中途半端な表情を映す画面を伏せ、細く長く紫煙を吐き出した。


「ほんっと……中途半端だねぇ……――」

ウィルの言葉には、へらりといつものように笑って。
鞄を探り出したトーコに、不思議そうに首をかしげ。

やがて差し出された紙は、全く見たことがないもので。
けれど、続いた言葉を聞けば頷いて、微笑むと受け取り。

　事実、少し表情は翳っていたのだけれど、直ぐいつも通りに、そんなことを言ってみせた。
　それから言葉を継ぎかけたところで、トーコから差し出されたものを見る。
　一瞬、きょとんした表情を浮かべたものの、それを受け取った。

微妙に難しい顔をしてそう言った。

インドアとアウトドアってなんだろうって顔してる。多分。
ひとまずあまり気にしないことに決めたようで、
ああ、とひとつ頷いて。

どこか、意識的な言い回しに響いた。

色々と考えた末のウィルの言葉をばっさり切って、
懐から横笛を取り出してみせた。
随分と年季の入った代物である。

すまない、と乾いた声で言ってから。

そう零して瞼を伏せた。

*弾薬を五発分をまとめた挿弾子を懐から取り出し、手渡す*

ウィルの言葉に不安を浮かべていたものの、
横目で見ていたイェジの動じなさに言葉を切って言い直し。

でも、こんなにはなりたくないですけど、と呟きつつも、
少し羨ましそうに自らのエンブリオを眺め。
　

問われて、同行の少女を思い浮かべ。
事情なぞ知らないであろう相手に、なんと説明したものかと、逡巡してから。

結局、濁すに留め。