（ENo.1195ミハウ・クワイアトコウスキさんの日記とリンクしております。）
（また、ミハウさんのメッセージから続いております。）

　予想をしていなかった、と言えば、嘘になるけれど。
　でも、やっぱり。

「……良い？　呼び捨てよ？」
「え、あの……な、なぜ、ですか？」

　明らかに戸惑った様子のミハウに、思わず拍子抜けしそうになる。駄目駄目、こんなんじゃ。
　ミハウに嫌いって言ったことを謝って、少しは自分のことを認めても良いんじゃないかって言って、それから――名前を呼び捨てにしてくれるように言った。
　そして返ってきたのは、この言葉。
　生半可な頼み方じゃ、多分、ミハウは折れないだろう。
　一緒に行動するようになってから、もう結構経っているのに、トーコのことだって私みたいにさん付けしてるし、ウィルのことに至っては、最初は『ウィルフレッドさん』と呼んでいたくらいだ。それは流石にどうかと思った。
　彼は、ちょっと頑固なところがある。
　でも大丈夫、今日は覚悟をしてきた。
　改めて、ミハウを見る。

「さん付けされると、余所余所しい気がするわ」
「そ、そうですか……？」

　きっぱりと言い切った私に、困ったようにミハウは言葉を続けた。

「でも、その、皆さんにも、同じようにさん付けでお呼びしていますし……それに、他の方を呼び捨て、というのは、……したことが、ないので」
「イェジのことは呼び捨てじゃない」
「う、い、イェジは、あの、その……け、契約したとき、から、ああでしたから……さん付け、するのもと思って……」

　それは、彼にとって痛いところなのかもしれない。余計にどもりつつ、言い訳染みた言葉が並ぶ。
　もう一押し、な気はする。ここで引くわけにはいかない。
　引いたら、何にも変わらないだろうから。

「ですから、彼はいいんです、その……コトカさんは、女性ですし」
「別に、男性が女性を呼び捨てにするのも、そう変なことじゃないと思うけど」

　そう言い返せば、ミハウは、すごく困ったように小さく唸って、片手で顔を覆った。
　……ここまで困っているのを見るとちょっと申し訳ない気は、した。そんなこと、言わないけれど。

「……あの、どうしても、呼び捨てしないと、ダメ、なんでしょうか……？」
「そうしてくれなかったら、私、怒るって言ったわ」

　そう言い切れば、ミハウは小さく溜息を吐いて、黙り込んだ。
　暫くしてから顔に当てていた手を下ろし、私を見た。ようやく、目が合う。

「……呼ばれて、気分を害するようでしたら、すぐに言ってください。あと、慣れるまでは、間違ってさん付けで呼ぶかもしれませんけど、そこは許してください」
「呼ばれて嫌って思うくらいなら、最初からそんなこと言わないわ」

　嫌なら、最初から言う訳がない。呼んでほしいから、そう言った。
　ミハウは律儀で真面目だけど、人に気を遣い過ぎるし、鈍感だと思う。
　うん、鈍感だ。

「……、……えーと、」

　それから、お互いに言葉が続かない。変な間が空く。
　どうしようか。
　ミハウのことを見る。

「じゃあ、呼んでみて？」

　我ながら無茶振りだとは思う。
　けれども今ここで、彼が私のことを呼ばなかったら、それきりな気も、した。約束は守るタイプだろうけど、結局は呼んでくれないかもしれない。
　ミハウは思ったよりもすんなり了承してから、咳払いして、深呼吸して、すっと私を見る。
　何だか、無駄に畏まられた。つい、身構える。

「……コトカ、」

　妙に最後の言葉に詰まったのは、「さん」付けしたくなったのを抑えたんだろう。
　別に、それは良い。
　直ぐにミハウの顔は、真っ赤になっていった。
　ただ、私のことを呼び捨てで呼んだだけ。それだけだ。
　それだけ、なんだけど。

「……あの、ね、別に、そんなに畏まらなくても良いと思うんだけど……」

　顔も赤くならなくて良いと思う。そこまでは、言えなかったけれど。
　私は彼から視線を逸らして、フードを深く被った。
　……何で、名前を呼ばれただけで、照れなきゃ駄目なんだろう。
　それだけのことなのに、あんなに仰々しい態度を取ったミハウが悪い。

「……あ、あの……？」
「……別に、嫌って思ってるわけじゃないわ。違うから。これからもそんな感じで呼んで頂戴」

　小さな声で続けようとした問い。きっとミハウは、私が名前を呼ばれて嫌だと思ったんだろう。
　それ以上続けさせないように、念を押して言う。……視線は、合わせられない。

「……、は、はい、分かりました」

　声音からして、ミハウは驚いているらしい。驚くところでもないと思う。嫌じゃない、って最初から言ってるんだから。
　それから、やっぱり話が続かない。妙な空気が流れる。何だか気まずい。

「……え、ええと、その…行き、ますか？」

　その空気に耐えられなかったのか、ミハウはそう提案した。
　いつまでもここで話している暇も無い。トーコとウィルを待たせている。
　だから、それは正しい提案だ。

「そうね、そうしましょ」

　返事をして、さっさと示された道を歩く。自然と、普段よりいくらか早足になる。
　少し遅れて、ミハウが後ろから声をかけてきた。いつものような、気遣いの言葉。

「あ、……と、あ、足元、気をつけてくださいね」

　――彼の前を通り過ぎた時、顔は見られただろうか。
　いや、でも、フード被ってたし、早く歩いたし。
　だから、きっと大丈夫。
　そう思いたい。
　……見られてませんように。
　絶対に、見られてませんように。
　頬はまだ、熱かった。





　***



　そんな会話をしたのが、どうも昔のことに思える。実際は、つい最近のことだ。
　あれから地下牢を抜けて、今日は森に戻ってきた。このメンバーで来るのは、少し久しぶりだ。
　二人を――トーコとウィルを見る。
　思い返せば二人とは、結構な間、行動を共にしてきた。
　どちらも戦闘に長けていてとても頼もしかったし、それに、楽しかった。きっと、ミハウもそう思っていると思う。
　森を抜けた後はそれぞれ行き先が違うし、前に分かれた時のように、今後、合流する予定もない。
　……少し、寂しいな、と思う。
　それは、仕方のないことだ。私たちは、一揆のためにここに来ている。一揆を成功させることが、目的なのだから。
　けれど、また会えたら――できれば、いつかはゆっくり話せたら、と。
　そう思うくらいなら、良いだろうか。

ウィルの言葉には、へらりといつものように笑って。
鞄を探り出したトーコに、不思議そうに首をかしげ。

やがて差し出された紙は、全く見たことがないもので。
けれど、続いた言葉を聞けば頷いて、微笑むと受け取り。

　事実、少し表情は翳っていたのだけれど、直ぐいつも通りに、そんなことを言ってみせた。
　それから言葉を継ぎかけたところで、トーコから差し出されたものを見る。
　一瞬、きょとんした表情を浮かべたものの、それを受け取った。

その言葉に微笑んで

それらの問いにはたっぷり考えるようにして

もちろん、一揆が成功すれば良くなるとも限らないけど、といって一区切りし

奴隷根性上等。こき使われるのも上等。

なんて小首を傾げながら、続けて。

やれやれと肩をすくめる。もう過去になったから気にしてはいないけど。畑泥棒にあった農民みたいな調子で言う。

実際問題、少なくとも見た目についてはまったく怖くないわけだが。
そして中身も、あまり怖くはない。

勘違いを抱えたまま、とんでもない方向に思考がシフトをし始めるのだった

さて、コトカの返答を聞くと。
フィーグルはそんなはずは、と言いかけ、口をつぐみ、少しの間考え込み始めた。
…やがて、顔を上げて。コトカへと話しかけた

特別な力――フィーグルにしてみればまさしく「魔法」に他ならない、と彼女は考えている様だった。

彼女からは肯定する声が返る。否、正確には、傍らのエンブリオの、か。
知られている分、それほど珍しいケースではないのかも知れないと、そう。

ブレスレットについては、いや、と、短く断った後、

と、緩く首を、横に。
続く言には、少し考えるようにして、小さく、頷いて返した。

声に振り返って。
何があったのかと問おうとして、続いた言葉に目を丸くして。

コトカの話を聞き終えて、少し考えるように間を置いてから、小さく首を振り。

伝わる言葉を選ぶように、ゆっくりと話し。

言葉尻が、問いかけになってしまうのを、ほんの少し苦く笑って。

言われたことを理解出来ず、気の抜けた顔を晒し。

戸惑いを隠せないまま、思わず問いかけ。

……以下、今回の日記へ続く……

コトカの言葉に恥ずかしそうに頬を染めるが、その顔は嬉しげにほころんでいる。

それはしょうがない、というように吐息のような笑みに乗せて言い添えて。

水辺や平原で出会った兵士たちの剣幕を思い出し、自然と声を潜めた。

その口ぶりに、王に対する怒りや嫌悪はないけれど。
でも、隠し切れない困惑と不安は滲んでいた。
沈ませてしまった空気を払うよう、小さく笑い。

あなたを呼び止める声がする。
服装は黒く、この世界のものではないように見えるだろう。
他の世界で「学生服」と呼ばれるものだ。

レイと名乗った少年は、屈託のない笑顔であなたにそのまま話しかける。
殺気などはなく、見えるのは好奇心と探究心だ。

杖につかまってるイヌワシに、顔を近づけている。