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【2】
むかしむかし、あるところに。
娘が一人、住んでおりました。
青と鼠色の間、薄寒い色の肌。
海草のような深く濁った緑色の髪。
およそ人とは思えない色をした娘が、一体どんな親から生まれたのか、
それは娘自身にも分かりません。
娘はひとりぼっちでした。
娘の暮らしていた村では、迷信深い村長が娘の面倒を見ていました。
情け心によるものではありません。
村長はただただ、怖かったのです。娘が『祟り』を振り撒くことが。
娘は寂しいと思いました。
ですが、座敷から出られないこと以外はそれなりに丁重に扱われていたので、
娘は我慢していました。
本だけは与えられたので、それで字を覚え、たくさんの本を読み、
外の世界のことを、たくさんたくさん、夢に見ました。
それだけで幸せだと、思うことにしました。
ある日、村長が亡くなりました。
その日の夜、娘は捨てられました。
村から遠い遠い山の中。
外に出たこともない娘がひとり。
覚えているのは、村の若い衆に腕を掴まれた時の痛みと、罵声。
そして、目。
自分を見る、村人たちの、目。
「ああ」
「わたくしは」
「ばけもの、だったのね」
娘にはひとつ、不思議な力がありました。
触れるだけで、ひとのからだの悪いところをたちどころに言い当てる。
村長の病も、村人の病も、望まれ、触れて、教えました。
けれど幼い娘には、治し方までは分かりません。
村長は最期まで娘にすがろうとしましたが、娘は困った顔をするばかり。
それがいけなかったのでしょう。
村長の息子は、怒り狂いながら娘を殴りました。
娘が村長を呪い殺したのだと、そう叫びながら。
娘には生きるすべがありません。
食べられるものも分かりません。雨をしのぐ場所も分かりません。
どうすれば村に戻れるのかも分かりませんし、
戻ったところで彼らが受け入れてくれるとは思えません。
だけど、目の前の泉に身を投げるのは怖いし、
山の斜面を転げ落ちるのも痛そうです。
獣の声が聞こえて、ぶるぶると娘は震えました。
どうして自分は、ずっとひとりぼっちなのだろう。
こんな目に遭うなら、せめて最期くらい、誰かの傍にいたかった。
誰かに看取ってほしかった。なのに、こんなの、あんまりだ。
涙があとからあとから、青灰色の肌を濡らします。
けれど、ここは山の奥。
泣いても泣いても、助けなど来る筈が──
「やあ、これはどうしたことだ。
べっぴんさんが泣いている」
不意に聞こえた、男の声。
娘はびくりと顔を上げ、声の主から逃げようと、
その体を泉へと向けました。
天の助けだと、そう思いたかった。
でも自分の記憶にある男は、殴るし、怒鳴る。
縄で自分を縛り、こんなところに連れてきた。
それに、村で自分を掴んだ村長の息子。
彼に触れたときに“見えた”流れは、乱れ、脈打ち……
まるで物語で読んだ、人を丸のみにする大蛇のようで。
それは娘にとって、とてもとても怖いものだったのです。
もっと酷いことをされるくらいなら、いっそ身を投げてしまおうか。
そう考えた娘の手を、けれど、男の手が掴んで止めてしまいます。
「そちらは危ないぞ、娘よ。
泉は深くて、私でも足がつかないほどだ」
優しい声。
優しい波。
何が自分に触れているのか、分からなくて。
娘は思わず、男を見ようと振り返りました。
「あなた、さまは、目が」
分かるのです。娘には。
普通の体とくらべて、おかしくなっているところが。
彼の体の中、流れが正しく巡っていないところが。
けれど。
そんなことよりも、酷く驚いたのは。
「なに、盲でも、この山のことなら何でも分かる。
それよりも、寒かろう。
ついておいで。何もない小屋だが、茶くらいは出そう」
そう言って笑う、男の“流れ”が。
驚くほどに静かで、澄んでいて、心地よくて。
ほんの少しも不安も、そこには無くて。
泣きたくなるほど──綺麗で。
「わ、わたくしは、およそ常人とは思えぬ見目をしております」
「私は色は判らぬが、“かたち”は分かる。お主は器量良しだ」
「村を追い出され、山に捨てられました。行く宛もありません」
「ならばうちに居れば良い。不便な暮らしだが、生きるに困ることはない」
「よ、よそのかたに、あらぬ噂を……」
「かっかっか。うちに最後に人が来たのは、さて何日前だったかなあ」
娘と手を繋いだまま、男は語ります。
その“流れ”は何を尋ねても、ほんの少しも揺れることがありません。
嘘も、悪意も、何もない。
このひとは、何一つ隠していない。
捨てる神あれば拾う神あり、とはこのことでしょうか。
また、ほろほろと涙を流しながらも。
娘は男に手を引かれ、一歩一歩、坂を降りていきます。
「わたくしは、揺律音
(ゆりね)と申します」
「荊尾 瀬渡
(かたらお せと)。宜しく、揺律音」
「こちらこそ……宜しく、お願い致します」
山の麓に小屋がひとつ。
盲の男と、青灰肌の娘。
これは二人が出会い、共に暮らし始めた、
最初の日のおはなし。
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