
『四ツ谷幽綺』を依代に選んだ事に、さしたる理由はなかった。
おれの存在はあまりにも弱すぎるから、侵略のためには楔が必要なのかもしれないと思って、ただ自分と近しい境遇の人間を選んだだけの話。
男と女の双子で、生まれてすぐに死んだ赤子。『四ツ谷幽綺』はおれとよく似ていた。
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見知らぬ光景が、人の顔が、声が、出来事が。 さまざまな記憶が過ぎっては消えていく。 |
ごく平凡な家庭に生まれて。
おれは生まれてはいけないこどもだった
両親から愛されて育って、ともだちもできて。
穢れと呼ばれて、忌み嫌われて
いつも隣には誰かがいて。
どんなに泣いても、叫んでも、助けてはもらえなかった
他愛のない話をしたり、馬鹿騒ぎしたり、
振り回されたりしながら日々を過ごして。
こわかった、さみしかった、くるしかった
嫌なことも悲しいこともたくさんあったけれど。
なんだかんだで楽しいし、充実した人生だと思う。
こんな感情は知らない、こんな感覚は知らない。
こんな風に心動かされた事なんてなかった。
おれは何一つ知らぬまま死んだのだから。
『四ツ谷幽綺』はおれとよく似ていた。
けれど、いつの間にか彼はずいぶん遠い存在になっていた。
記憶の整理が済んだ頃には、あの人はもう戦いを終えていた。
侵略の話を聞いてから、あの人は少し様子が変わった。
こわい顔で笑うし、大きな声を出したりするし、まるで別人みたいだ。
ついさっきも、イバラシティの人間から連絡が来たら自分が侵略者であると明かしてやれ——と言われた。そのうち自分から連絡して絶望を与えてやれ、とも。
今のあの人はほんの少し近寄りがたい感じがする。初めて会った時はとてもやさしくて、あたたかい人だったのに。
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だれかの手が触れる。あたたかくて、大きな手。 やさしく笑う顔が目の前にある。 |
……四ツ谷幽綺の記憶はあらかた見終えたから、もう覗かなくていいはずなのに。
気が付けばまたあの記憶を手繰り寄せている。
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くしゃくしゃと頭を撫でる感触。 |
これはおれの記憶じゃない。
おれはそんな事をされた経験なんてない。
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とても懐かしい気持ちになる。 ずっと昔、こんな風に頭を撫でてくれた人がいた。 そいつの撫で方はもっと乱暴で不器用だったけれど。 |
おれにはそんな人はいなかった。
おれは誰にも必要とされなかった。
おれは、
おれは侵略者だ。イバラシティの住人からすれば敵だし、忌み嫌われる存在だ。
おれは祟り神だ。皆から疎まれ、やがて地獄に堕とされた咎人だ。
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[—Cross+Rose—] |
おれは四ツ谷幽綺じゃない。
イバラシティで四ツ谷幽綺と出会った人はおれを知らない。知っているはずがない。
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[音声メッセージを送信します] |
今まで見ていた四ツ谷幽綺が偽物だってわかったら、怒るかな。
おれのことをきらいになるかな。
おれを憎んで、殺しに来るかな。
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“ ” 「 ——し。も、し、も、し。 こ、にち、わ。ぉれ、」 |
それでも。
一度でいいから、おはなししたいな。
《或る少年の記憶》
【1:32】
嘘だ。
嘘だ!こんなの、嘘に決まってる!
侵略だとかアンジニティだとか、そんな非現実的な話信じられるはずがない。
そうだ。これは全部悪い夢で、目を覚ましたらまたいつもの教室でみんなに会えて——
違う。俺は認めない!
『祈蒼空』は確かに存在していたんだ。今も生きているんだ!
転校してきたばかりの頃、俺は確かにあいつと話したんだから。
違う!あれは祈のふりをした化け物だ!
本物の祈はきっとどこか別の所にいて、俺達を探しているはずなんだ。
……黙れ。黙れよッ!
死人のくせに。ここにいるはずのない人間のくせに!
俺に話しかけるな!
誰が返すものか。
これは俺の身体だ。俺にはまだやらなければいけないことがある。
探さなければならない人がいる。
早く、会わなければ。——あの人に!