セリカ・オラシオンという少年がいた。
セリカ・オラシオン
祈 蒼空と書く。
普段から中々にファンタジーな格好をして出歩く、やたら目立つ少年。青と赤のオッドアイと傷跡が特徴的である。
14歳の少年。年相応に格好いいものが好きで、年齢より幾ばくか幼い印象を与えていた。
自分より一つ年下……今になれば、同い年だったのかもしれない。
彼はよく店に来て飴玉を買っていた。接点と言えばそれくらいで。
何回か一緒に何かと戦っていたような記憶もある。今となってはあまり思い出せないが。
だから、特別仲がいいわけではなかった。
少なくとも自分は本当の意味で彼に心を開いていたわけではなかった。何故なら彼を最後に見たのは10月の頭くらいだったから。
その頃の自分は自我を確立できていないただの演者だった。
「正直なところ、自分が元々誰だったのかすらも知らない。」
いつしか、彼がそう零していた。
深入りはしなかった。しようとも思わなかった。
けれど
多分、自分と彼はとてもよく似ていたんだろう。
彼もきっと、「自分とは誰か」を探し求めていた。
11月に入ってから、彼の姿を見なくなった。
彼も店を持っていたし、別段気にすることはなかった。
彼と再会したのは、学校の教室だった。
自分より一つ下だったはずの年齢は、一つ上になっていて。
「やあ、"セリカ"の記憶が君に会いたがってたから、こうやって連絡しちゃった。
……わかる?俺があいつの皮を被って行動してること。そして、彼はもういないこと。」
「──ごめんよ、俺は。"セリカ"を殺した犯人。
こちら側で、君達の敵にならなきゃいけない存在なんだ。どうか許してほしい。」
セリカ・オラシオンという少年がいた。
いた、のだ。しかし。
セリカ・オラシオン
交通事故、及びQimranutの干渉により死亡した。
その少年はもう、この世のどこにもいない。
悲しい、という感情が薄い。
虚しい、とか。やるせない、とか。そういうことはわかる。悲しいと感じることもあるけれど。
自分は、涙を流せないのだ。たとえ大事な人が飴玉になっても、友人が死んでも、両親が自分を通して別の人を見ていたとしても、自分が捨て子とわかっても、隣人がアンジニティになったとしても。
「ああ、そうか」って。
そんな気持ちがあるだけで。
悲しむべきなのだろう。苦しむべきなのだろう。涙を流して、慟哭するべきなのだろう。
だけど、それができない。
涙を流して感情を吐き出せたのならどれほど楽なのだろう。
だから自分は、その言葉に対して、その状況に対して、
『怒る』ことしかできなかった。
正しくない。適切ではないとわかっていたけれど、それでも感情をぶつけずにはいられなかった。
自分は彼に何ができるだろうか。何をすれば彼への弔いになるだろうか。
何をすれば────
──殺す?
そうだ。セリカ君は殺されたんだ。
悲鳴を上げても、助けを乞うても、救われることはなく。
何を思ったのだろう。誰に助けを求めたのだろう。
『自分は一体何なのか』
『誰かの代わりを続けている自分は一体誰なのか』
君はそれを苦痛だと言ったね。
結局君はないものを演じるしかなくて、二度と帰ってこない『セリカ』へ負い目を感じながら、『セリカ』ではない自分になりたかった。
あたしはね、セリカ君。
それに対する一つの答えを見つけたんだ。
誰かに教えてもらわなかったら気付けないそれを、手に入れることができたんだ。
だから
今度はあたしが君に、それを教えてあげたかったな。
ああ、本当に──
──その行動は命令違反にあたります──
自分が被り続けた殻も、演じている『誰か』も、負い目や苦しみだってそれは紛れもなく『自分自身』のもので。
価値がない、なんてことにはならないんだと。
教えてあげなければいけなかった。
他でもない、同じ悩みを持っていただろうあたしが。
この戦争が終わってイバラシティが勝ったのなら、彼は帰ってくるのだろうか。
それとも、殺されてしまったものは生き返らないのだろうか。
わからない。わからないけど。
『彼』を尊重するのなら、殺さなければならない。
あれは人を殺して、侵略活動を続けている。
交戦の意志があって、邪悪な笑い声を響かせている。
逃げてはいけない。それは相手に対する侮辱だ。
自らの手に握られている武器を見る。
使い方次第で人を傷つけも癒せもする異能、咲魔式。
──殺すことだって、できる。
……でも、あの獣を悪だと言うのなら。
自分は、どうなのだろうか。
自分は6歳だった頃、『御堂翠華』だった自分によって作り上げられた人格だ。
両親を飴玉に変えた状態で生き続ける負い目に耐えられなかった自分が、外で活動するために作り上げた『偽物』。
いつかは消えるはずだった自分は、あの言葉に引き上げられて自我を持った。
コメット・エーデルシュタインとして生きることを選んだ。
なら、望まれていた『御堂翠華』はどうなるんだ。
自分は、それを殺したことになるのだろうか。
空に浮く黒い着物の少女を意識する。
仮の存在といえど、『御堂翠華』は確かに自分に言ったのだ。
──恩知らず。よくも私を捨てたな、と。
あの時はその理由がよくわからなかったけれど。
自分が選び取ったものを譲り渡す気なんてないけれど。
両親が元に戻った時、彼らは誰を愛せばいい?
愛娘を失って、その代わりとして引き取った子供さえ別人になっていく。
『御堂翠華』は、死んでしまったのか?
もう戻るつもりのない子どもの自分の手をどうやって引けばいい?
確かにあの自分を愛していた人はいたのだ。たとえ自分を通して別の誰かを見ていたとしても。
──ああ、悲しい苦しい。
ぽとりと、飴玉が落ちた。
雫のように小さい飴玉が、ぽろぽろと掌に落ちていく。
それはまるで涙のようで、零れるたびに心臓に刺さって棘のような痛みが抜けていった。
『私の場合は、たぶん、異能の使い過ぎの反動でこうなった、と思う。』
ふと、通信で聞いた声が頭をよぎった。
──もう、さっきまで処理しきれず燻ぶっていた感情はどこにもなくて。
だけどそれは、自分の掌にあることがわかって。
「──まさか」
『夢幻泡飴』──触れたものを飴玉に変える異能。
「……そう、か。」
「そう、だね。」
「こうすれば、もう、どこにもいかないからね」
零れた飴玉を大事に握って、空っぽの缶に入れる。
「……嫌になるよ。こんなことばっかり、あたしは上手になっていく。」
不必要で、でも捨てたくない感情をすべて飴玉に変えて。
泣けない代わりに飴玉にして外に出して。
いつかはもっと大事なものさえ飴玉に変えてしまうのだろうか。
この場所で進むために、恐怖や後悔を全部消していくんだろう。
これは、よくないことだ。
正しくないことだ。
だけど、進むために必要なことだ。
あと少し、答えを出せるその時間までは。
「そんなこと考えてるお姉さんでよければ、
何度でも、弱音を吐いて頂戴。
何度でも、聞いてあげるから、ね。」
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