――白いの布が夕風に吹かれて揺れる。
黄昏の光を帯びた風を受けながら、
それはゆらりゆらりと舞い踊る様にはためいていた。
幾分か冷たさが抜けて、仄か暖かみを帯びた風は冬の終わりを報せ、
もう少し先にある春の訪れを告げていた。
雪が解けて、緑が育まれる。
春へと移ろいでいく時期なのだと、それは告げていてくれた。
しかし、紫銀の髪をした少女が居る場所は
そんな季節を感じられない居場所だった。
白い天井、白い壁と床。清潔な白い布地の衣服。
そこはとても静かな場所だった。
死んでいるように――
何よりも死に近しい眠りにつく少女の髪を、窓から入り込んだ風が撫でていく。
うつわ
毀れかけた容れ物を維持するように、身体中に繋げられた管。
その少女の命は、そうやって何とか繋ぎ止められていた。
けれど、手を尽くしたところでも、ゆるゆると少しずつ死が少女を蝕んでいく。
決して目が覚めない、深い眠りは死にも似ていた。
幸いな事は、この部屋に訪れる物は誰一人として居なかった事。
少女が負ってしまった傷を見て、誰も悲観する事が無かった事だ。
少女は自分から眼を覚ます事もなかった為に、
孤独に震え、寂しい思いをする事もなかったのは、ある意味良かったのかもしれない。
少女の容態を見守り、介抱する者達は少女の生存を半ば諦めていた。
可能な限りの修繕を受け、出来る限りの事を施されている。
……それでも、眠る少女の命を長く保ち続ける事は不可能だ。
少女の身体はそれほどまでに、深い傷を負っていた。
生きていた事が不思議な程の傷。
それは、此処が異能の街だからこそ、保てているともいえるものだった。
楽にさせてあげるのも一つの優しさではないのだろうか、と口にする者もいた。
少女は既に身寄りはなく、孤独であり、帰る場所も無くて――
普通に生きていく事が難しい身体になって、
全てを奪われた少女が生きていけるのだろうかと。
少女にはあらゆるものが足りていなかった。
何よりも、少女自身が生きようとする望みがもう喪われていたから。
――故に、少女は目を覚ます事も無く。ただただ、夢を見続けていた。
こうなる前、三人で居た頃の夢を。
少し昔の私と、自分の半身のような姉。
そして緑の髪と青空の様な蒼い目をした少女。
自分と姉は、その少女守る様に躾けられて、物心つく前から厳しい教育を受けた事。
でも、それでも、それが何かは、まだ私にはよくわからなくて。
その少女の傍に常に着くようになってからは……どうだっただろう。
今までの日々が、辛くて痛く感じられて、同時に哀しさも覚えられた。
けど、その日々は満ち足りた様にも感じられていたし、
……ああ、そうだ。何か、許されていた気がするのだ。
だから、きっと幸せだったと、胸を張れる、はずなのだ。
いろ
私の青い眼に色彩は見えなくとも、
それがどんな色かというのは判る事はできた。
きっと、それは何よりも輝いた美しい色をしていた光景だったはずだ。
同じ色の眼だね、と笑い合った時。
少女と姉のヤンチャに振り回されたけど、黄昏時には手を繋いで帰ったあの時とか。
青空に笑い声を響かせていた日々とか。
薔薇園に秘密基地を作り、宝物を隠したり、
自分達だけにしかわからない暗号を作ったりとか。
どんな苦痛でも、その時を迎える事ができれば忘れる事ができた。
『明日』という日々を待つ事ができた。
姉はどんな目にあっても笑ってくれていたし、
私も少しずつ、少しずつ、形を作れていったのだとおもう。
けれど、それを自分の手で壊してしまった。
幼い子供の他愛の無い、子供らしい、ただの約束――
「――ティーナ、私をお嫁さんにしてね」
――そして、子供らしい愚かな過ちの言葉。
姉の事を知らず、〝ティーナ〟の事も知らず。
今は思いだせない誰かに、教えられるがままにその言葉を告げた。
そのせいで、私たちは離ればなれになってしまった。
……だけど決して、嘘ではない。その想いに、嘘はつきたくない。
あの時は判らなくとも、今は確りと理解している。
あの頃の私は、〝ティーナ〟に淡い恋心を抱いていた。
きらきらと眩しくて。星明かりの様で。
どんなに世界が昏くても、それだけは明るく輝いている様に見えたのだ。
だから、そんな光が恋しくなってしまったのだろう。
そうして、その想いを誘われるがままに告げて――
後は、姉と私とティーナだけが知っている事だ。
だから、全ての原因はきっと無知な自分のせいなのだ。
母の言われた通りにしていれば、きっと、そうはならなかった。
掠れた記憶でも、それだけはきっと。ずっと。永久に。
色褪せない罪の証だ。
お互いに普通に生きる事が難しくても、
そのまま過ごしていけるだけで良かったのに、求めてしまった為に。
自分の間違えが、招いてしまった結果。
何もかもが、一瞬で壊してしまった。
積み上げたものも、手に入れたものも、
誰も彼もが理不尽に、なす術もなく失わされた瞬間。
死ぬはずだった私が死んで、死なない筈の姉が代わりに死んだ。
それが、あの白い部屋に至る理由の夢。
その白い部屋で、私は深い眠りについたまま、その夢を見ていた。
幸せだったけど、もうこの幸せは見たくない。
だって、決してもう手に入らないのだから。
幸せだというのに、見る度に痛くて、辛くて、哀しくて……消えたくて。
早く終えてしまいたいと、そう願っても、それはまだ叶わない。
でも、もう少しでその繰り替えしが終わる事も、
私は眠りにつきながら理解している。
姉の約束が守れないは少し辛いけれど、それでも。
あの子にあって、真実を伝える勇気など私にはないのだから。
……もし、〝ティーナ〟に
「どうして、楔奈じゃなかったの?」なんて言われてしまえば、
私はもう、きっと、取り返しが付かなくなってしまうから。
だから、どうかこのまま終えてしまえるように、と。
……深い眠りの中、ふと、あの子に似た気配を感じた。
嬉しさと恐怖が混ざり、反射的に涙が溢れる。
欲してやまなかった誰かの温もり。傍に居て欲しいと願った人。
けれど、それを願ってはいけない。私は、それを求めてはいけない。
その子が、小さな手を伸ばす。
私の命を掬い上げようと、救い手を。
……でも、それは必要ない。求めていない。求めてはいけない。
私は拒絶する。そんな手は、私には相応しくないのだと。
私は無意識に首を振っていた。
その子は酷く悲しそうな顔をした。
怒られるとばかり思っていたのに、とても悲しそうな顔をした。
……〝ティーナ〟のそんな顔は、見たくなかった。
姉がいれば、きっとそんな顔はさせなかった筈なのに。
私に、姉の代わりができるのであれば。
姉の代わりにこの子を守るというのであれば……
私は、このまま眠りについてはまだダメなのだろう。
だから、どうか。そんな顔をしないでください。
差し出された手に、手を重ねる。
自分は決して、救いを望んではいないけれど、
それで貴方が救われるのであれば……それはきっと意味があるのだから。
私がまだ此処に遺された理由が……そこにあるのなら、また――
――この夢を見たのは、何時以来だったのだろうか。
その夢は、『今の私』が始まった夢。
穏やかで静かな終わり、けれど、きっと唯一の救いであった夢から目覚めてしまった時の記憶。
それと引き換えに、手に入れたのは――苦痛であるけれど、生き続ける今。
あのまま、覚めない眠りについてしまいたかった。
もう終わりにしてしまいたかった。生き続ける事を望んでいなかった。
手など、差し出してほしくなかった。救いなど与えて欲しくなかった。
……なのに、私はその差し出された手に、手を重ねてしまった。
自分は望んでなくとも、そう望まれたのであれば、そう在るしかないのだから。
そうして私は、生かされた。生きねばならない理由を上乗せさせられてしまった。
だけど、あの子を繋ぎ止める楔は、あの二人が打ち、そしてもう一つの楔が生まれつつある。
それはきっと、この先を変えてくれる可能性にだってなり得る筈だ。
それに……あの子には色々な物が重なりつつある。
それは純粋に嬉しい事だ。
少なくとも、私ではなくとも大丈夫な筈だ。
私を無理矢理起こし、生きる意味を与えた。
それだというのに先へ逝こうと、私を置いていこうとする、
最愛なる少女へのささやかな復讐と願い。
……もしこの戦いが終わり。その時に、自分の役割が済んだのであれば。
そのときはきっと――
『Cross+Rose』が問いかけます
〝貴方は何処に居たいですか〟