椅子取りゲーム、っていうゲームがある。
　一個しかない椅子に座れるのは一人だけで、誰かが座ったらそこでもう終わり。残った奴らに居場所はない、負けて終わり。

◇　◆　◇

　呼ばれてもいない奴らが、椅子もないのにドカドカといっぺんに現れた。
　平和で穏やかな水辺はどこに行ったのか、さっき飛んで行った雀はもしかして、こいつらの気配に怯えて逃げて行っただけだったのだろうか。
　ヴェルトも、暗闇も、一瞬で掻き消えるように霧散してしまって、残ったのはいつもの箱が一つ。激しい地鳴りがして、辺り一面が暗い影に覆われる。
　ずうんと響く地響きに、ぎょろりとした巨大な目、地面を揺らすように蠢く足、それから空から降ってきた女の子。
　何もかもがひっちゃかめっちゃかで、一瞬で何もかもが消えてしまって、もう、何もかもがタイミング最悪だった。

　答える声はなかった。
　代わりに、うにょんと箱の影から現れたのは、いつもとまったく同じ顔した、けれども随分と久しぶりに見た気がするネザーシャドーの顔のない顔だ。
　呼んだ？
　とでもいいたげに首をかしげる動作をするのが、正体を知った今となっては忌々しい。

　箱の影から、戦槌を取り出す。
　ネザーが、うにょんと腕に絡みついてくる。
　ものすごく久しぶりのいつも通り、だ。

◇　◆　◇

　椅子取りゲーム、っていうゲームがある。
　一個しかない椅子に座れるのは一人だけで、誰かが座ったらそこでもう終わり。残った奴らに居場所はない、負けて終わり。

　生まれたときから僕の名前はノエルであり、ノエルと言えばそれは僕の名前ではなく、祖父の名前だった。
　父も母も、僕を一度も祖父の孫として呼んだことはなかったと思う。あの時、僕には父と母の用意してくれる椅子が、祖母が一緒に座ってくれる椅子があった。
　祖母が流行り病で死に、両親が姿を消して、僕は自分の椅子を自分で用意しなくちゃいけなくなった。

　でも、男爵家にあった椅子は僕の椅子じゃなくて、祖父の椅子だった。
　僕が生まれる前から僕の座るべき椅子には祖父が座っていて、男爵家にとって、僕は生まれたときから『祖父の孫』だった。識別コードなのだ。僕も、父も、祖父であるノエルから連なって順番に番号がついているだけ。それ以上の意味がない。

　僕にとって、ノエルって言う名前は座れない、僕じゃない人のための椅子だった。

◇　◆　◇

　イカが焼かれて、魔神が去って、箱が残った。
　椅子もないのに勝手に現れたやつはいなくなって、いつも通りと言えばいつも通り。地下牢にいるっていう噂のネクロマンサーに会う準備を整えて、小川から砂地を経由して城内に入る道を確かめて、一人でいる間はぜんぶ、自分のことは自分でやらなくちゃならない。
　ようやく一息ついた頃には夕暮れ時で、僕は砂地の岩場の影で焚き火を起こしながら、今度こそと気合を入れて鞄から箱を取り出した。
　焚き火からちょっと離れた場所に置いて向き合う。

　呼ぶと、箱の影からすっかりいつも通り、顔を出すようになったネザーが出てくる。案外、調子のいいやつだなんて、あの愛想のない男の顔を思い浮かべながら思う。

　返事はない。
　ネザーはただ、じっと僕の方を見ているばかりだ。

　だったら、やっぱりあの時、森で食べられたあいつらは――。
　そこまで考えて、僕はその先について考えるのを止めた。分からない、単にあの時は僕の血を食べただけで、ネザーがどこかに移動させただけかもしれない。そこについて疑うと、僕はこいつに対してどう接したらいいのか分からなくなってしまう気がする。
　分からないことについて考えるのは不毛だ。

　鞄から、ナイフを取り出す。
　最近、こうやって考えると出血してばっかりだなぁと思う。足の傷はトムにとっくに治してもらったけど、ここ最近、休まる暇がない気がする（あの後、気持ち悪さや傷がじくじく治らない感じは全然しなくなってしまった）

　昼間切った傷がもう塞がりかかっているのとは、別の場所を切る。流石に二回目ともなるとちょっと慣れて、注意力散漫になっていたのか少し深く切りすぎた。
　勢いよくだらりと指の方に垂れた血が、ぽつぽつと箱の上に落ちる。
　じーっとこっちを観察していたネザーがふっと、霧のように霧散して、その下の伸びた箱の影から唐突に、伸びてきた灰色の影に腕が掴まれる。
　――影じゃなくて、これ、マフラーみたいな例のアレだ。

　影の中から現れた、異形の腕が地面につく。そのまま、よいせ、とでも言いたげに影の中から、あの緑色の目をした男が飛び出してくる。
　ヴェルト。角と羽根と異形の腕。コカトリスっていうと雄鶏のイメージが強いけど、こいつはなんだか色々なパーツが混ざっていて単純に化け物じみている。
　視線は石化能力があるっていうけど、それらしい能力をネザーが行使している所は見たことがなかった。

　返事は端的だった。
　水辺で話をした時と同じ、硬質そうな瞳と同じひんやりした態度。

　黙り込む。

　そうじゃなかったら、黙り込む意味が分からない。

　今だって、本当はこんなやりとりよりも聞きたいことは多い。
　でも、黙り込まれたらそれでおしまいだ。どこからどこまでがこいつが黙り込まない範囲なのか、それが僕にはよく分からない。

　ヴェルトが、箱の方を腕で乱暴に指し示す。
　本当に、器用なことに向かなそうな腕だ。

　じっとヴェルトと視線を合わせる。目が合って、一度まばたきをする。

　ここまでは、コイツは問題なく話をした。
　どうして、どこでこいつは何を隠そうとして黙り込むんだ？

　今度こそ、本気で迷わず、断言された。

　視線を外したヴェルトが、目の動きだけで僕の髪を示唆する。編み込んだ三つ編み。作業には向かない、不便な髪の毛。

　出てきた言葉の意外さに、思わず「……は？」っと、本気で声を上げて驚いてしまった。

　でも、ヴェルトはそんな僕の呆気にとられた様子に構わず、当たり前のように淡々と言葉を続けていく。視線でじっと僕の目を覗き込むかと思いきや、顔を離して、爪先からてっぺんまで不躾にじろじろと眺めて、不遜に何度か頷く。

　大きく、ヴェルトがまばたきをする。
　緑色の目が、点滅するように隠れてからまた見える。

　フン、と一度、短いため息がヴェルトの口からもれる。
　まるで、そこで一区切り、とでも言いたげだった。それまでは言葉をはさむタイミングもなかったけれど、ここでようやく、このノームは言いたいことを言い切ったらしい。
　もう、何をどこから口をはさめばいいのか、あまりのことに頭が真っ白になりすぎて、怒るのもままならないくらいだった。

　淡々とそっぽを向く。自分は言われた通りに指摘してやっただけだぞ、とでも言いたげな偉そうな態度。

　思わず、ピタッと動きを止めてしまった。
　ノエル。
　爺さまの名前。父の名前。僕の名前。
　でも、他の人が呼ぶノエルの意味は一つだけ。『勇者のノエル』のことだ。
　僕や父がノエルと呼ばれるのは、『勇者の血筋はこいつらだ』って意味でしかない。

　長すぎて、あんまり呼ばれない名前だった。
　呼ばれると少し、違和感を感じるのは呼ばれ慣れていないせいなんだと思う。

　この五年間、僕はずっといないはずの祖父が座っている椅子を、じっと見つめているだけだった。
　それなのに、この目の前の男は突然、何の根拠もなくとんでもないことを言い出して、一体、何を言ってるんだろう。

　じっと箱を見つめるヴェルトの視線は、感情の色が上手く読み取れなかった。
　何も思っていない訳じゃないんだと思う。その逆だ。色々な感情が混ざりすぎていて、僕みたいな子供にはよく分からないくらい、複雑なことを考えているときの大人の目だ。

　いつもの箱と、焚き火と、ヴェルトと、僕。
　すっかり夜になった砂地はがらんと広くて、焚き火の横もさっぱり綺麗な一人旅だ。椅子もない、夜がはじまったばかりの岩陰で、僕は呆然とヴェルトと箱を見比べる。
　偉そうな態度、時代がかった言葉選び、好き勝手に人をこき下ろしておいて平然とした顔で僕の名前を呼ぶ。

　こいつの呼んでるこれは、何なんだろうか。
　まさか、僕だってこんな、死ぬほど嫌いな爺さまと比べてこき下ろしてくるような男が呼んでいるのが僕の名前だなんて、思いたくもなかったのだけれど。


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しっぽはノエルの手に噛み付こうとしてきた！

なんて一応聞いてみる。だが必ずそれが対処されるかは怪しいだろう。

ご主人の話を聞いて言葉を濁すノエルに対してはふっと笑い。

褒めてもらえて、ちょっと気恥ずかしそうに顔が緩む。

それで身につくとは限らないのだが、見る限り、失敗について考慮している素振りは無かった。

ムキになっている辺り、図星であるらしい。
後、そそっかしい点の自覚は「おおむね」と言っている辺り、少なからずあるようだった。

冗談か、本気か、そんな事を呟いた。

ばさぁ、と大仰に羽毛を広げる。受け入れるようなポーズだけど…まあ、そこまででかくもないからね。端から見るとちょっとさびしい。

人間は、と言う彼はまるで、自分は人間ではない、みたいに聞こえる。
実際、その通りだし、自分よりも彼はずっと耳が良いのだと気付かされたように。

言えてない。

　同じほどの背の丈ではあるが、少し身をかがめ、見上げるようにしてノエルを見つめる。
　数瞬し、ふらりと背筋を伸ばして向き直した。

（と、書かれた木の看板を掲げている）

有名人に会える→嬉しい→幸せ

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