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【4】
むかしむかし、とある山の麓に。
小さな小さな村が、ありました。
村長は、盲
(めしい)の男 「荊尾 瀬渡
(かたらお せと)」。
その奥方は、奇妙な肌と髪を持つ女 「荊尾 揺律音
(かたらお ゆりね)」。
世の“普通”とは異なる二人。けれども彼らは幸せで、いつも穏やかで。
それにつられてか、村の人々もまた、皆一様に穏やかで。
他の村や町との交流は殆ど無い村でしたが、山の恵みと川の恵み、
それに少しばかり拓いた土地に作った畑で取れる作物を分け合い、
皆争いも無く、慎ましやかに暮らしておりました。
さて、この村には子供がふたりおりました。
姉の名は「荊尾 水渡里
(かたらお みとり)」。
弟の名は「荊尾 繋譜音
(かたらお つふね)」。
いずれも村長とその奥方との間に生まれた子供でした。
二人はどちらも盲ではなく、肌の色も常人と同じ。
けれど、それでいて両親の持つ不思議な力を少しずつ受け継いでおり
父親と同じように山を我が物顔で駆けまわり、
母親と同じように病や怪我を感じたりすることができたのです。
二人の子供は、両親だけでなく村人全員から見守られて育ちました。
子供たちもまた、両親や村人を偏見なく受け入れ、懐きました。
目が見えなくても。肌の色が違っても。
腕が片方なくっても。罪人の刺青が彫られていても。
あちこちに刀傷がついていても。言葉が上手く喋れなくても。
子供たちにとっては『彼らは最初からそう』だったし、何より自分たちは
彼らに沢山の愛情を注がれて育ったのだから、彼らを嫌う理由など
ひとつもありませんでした。
そうして素直に育っていく二人を眺め、瀬渡と揺律音、村人の中でも年長の
面々は一つの覚悟をします。
我々は村の外を知っている。人々の醜さも知っている。
暮らしに必要なものを仕入れる目的以外で、この村を出たいとは思わない。
けれど子供というものはいつしか、未知の世界を知りたいと思うもの。
その時のための策を整えよう。
いつか外に出ていく彼らが困らないよう、様々なものを用意しよう。
水渡里と繋譜音の姉弟は、様々なことを教わりました。
身の回りのことは勿論、山の外にある植物や動物のこと、
読み書きや計算、病や毒のこと、人の体のこと。
外に街があること、住んでいる人たちのこと、身分、職業。
悪人の見分け方と対処の仕方。
どれもこれも、子供たちの知らない事でした。
子供たちは一生懸命学びました。
けれどそれは、外の世界が知りたかったから、ではありません。
両親が、村人が、好きな人たちが熱心に教えてくれるから。
だから彼らもそれに応えようとしました。
村と山の外などに一切興味はありませんでしたが。
なぜ、他の場所に行く必要があるのだろう。
ここには全てがあるのに。
ここで生きて、ここで死ぬ。それで何も困らないのに。
数年の歳月が過ぎ。
水渡里は十二歳、繋譜音は十歳になりました。
姉の方は活発で、山を駆けることが好きでした。
弟の方は大人しく、本を読んだり絵を描いたりすることが好きでした。
普段は共に遊んでいる二人でしたが、弟が家にいたいと願った時は
姉も無理に誘わず、一人で山に行くようになりました。
その日も、同じように水渡里は山に入っていて。
そして、珍しく。
父よりも先に、気付いてしまったのです。
山に、誰かがいる。
父親の言葉を思い出します。
この山には、どこかから逃げてきたり、追い出されたりして、
哀しい思いをしたひとが迷い込んでくることがある。
そういう時は、父さんと母さんが迎えに行くんだ、と。
だから、彼女も、そうしました。
父と母が大好きだったから。
彼らと同じ行いをして、褒められたかったから。
けれど、水渡里と両親との間には大きな差がひとつ。
人の醜さ、愚かさ、欲望、汚さ。
そう言ったものを、知っているか否か。
「すまんねえ嬢ちゃん、道に迷っちまって」
うそだ。あんたは真っ直ぐ山の中に入って来た。
「娘を医者に診せたかったんだが、獣に襲われてねぇ」
うそだ。そこの子の傷は、あんたがつけた傷だ。
「せめて近くで休めるとありがたいんだがなぁ」
うそだ。あんたはもっと欲しいと思っている。
気持ち悪い流れがどくどくと渦巻いている。
「ヒヒ、まあぁ、ガキがこんなとこにいるってことは
近くに村があるってことだぁなぁ。
なら案内なんぞなくても、ひ、ヒヒ、俺ぁ運がいいなぁ」
気持ち悪い。
気持ち悪い。
気持ち悪い。
こんなものが、山の中にいることが。
こんなものの流れを、感じてしまうことが。
こんなものが、自分に近付いてくることが、
自分に手を伸ばしてくることが、
あんたは、いらない。
瀬渡と揺律音が、水渡里の元に辿り着いた時。
そこにあったものは。
蒼い顔をして震えている、名も知れぬ娘がひとりと。
呆然とその場に立ち尽くす愛娘、水渡里。
そして、
かつて『人』だった原型を辛うじて留めている、血肉の塊がひとつ。
水渡里には、父親譲りの力がありました。
母親譲りの力がありました。
真っ直ぐな性根と、強い意思を持っていました。
そして何より、彼女は両親が、弟が、村の人たちが大好きでした。
彼らと一緒に、ずっとずっと、慎ましくも楽しく暮らせれば
それだけで良いと思っていました。
それだけ、だったのに。
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