――再び、ハザマ時間。
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アイ 「――ラシェル。ちゃんと居るな?」 |
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ラシェル 「ええ、勿論。しかし成程……やっかいな一方通行ですね。 まあ、コッチの出来事まで持って帰ったら狂人だらけになりそうですけど。」 |
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アイ 「知らんほうが幸せだろうな。 戻ってきたら目の前に殺し合ってた相手がいるなんて。 普通は、頭がおかしくなる。」 |
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ラシェル 「私だってイヤですよ。 っていうか、私達が普通じゃないみたいじゃないですか、それ。」 |
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アイ 「いつから一般人気取りになった? ワーともキャーとも言わない癖に。 第一、とうの昔に私達は尋常じゃなかっただろ。」 |
そうして少女は、空を見上げた。
漆黒の狭間の空。天に瞬くはずの星は、紅く塗りつぶされていた。
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アイ 「――そう。生まれたときから、ずっと――」 |
「コトワリツムギ」
Prologue >>> 1 hour later
First memory Side:A
星は、いつも私に何かを語りかける。
閉じられた部屋の中。手の中には白チョークがひとつ。
部屋の床に星図を描く。私が子供の頃の大半は、そうして過ごしてきた。
「星を詠む」こと。それしか、私にはなかった。
たとえそこに、星空がなかったとしても。
残りは、幾ばくかの食事を与えられ、幾ばくかの血を抜き取られる。
それ以上に、私が存在を許される事はなかった。
アイ
『星詠』の少女。
家の名を名乗ることも許されなかった少女。
かつて紡がれた、この世の理に否定された者。
人の歴史に置いていかれたワスレモノ。
――「司馬家」……遥か古代から連綿と続く、神秘の大家……らしい。
法の及ばぬ檻の中。現代を支配する「コトワリ」に背く者たちの巣。
「魔術師」とかつて呼ばれ、影の世界に落とされた者たちの世界。
そして、私が生まれ落ちた場所。
――「星詠」……それはかつて失われた力。
星屑を数え、その声を聞き、地上に散らばった光を再び天へと還してきた者たちの力。
かつて数多の信仰が焼き払われたように、世界から否定され、歴史からも消された存在。
そして、私が生まれ持った力。
これは、"不幸なことに"と言っていいだろう。
私はそんな因子を抱えて、この世に生を受けてしまった。
歴史に忘れられた忌み子の形を成した私は、謂わば体の良い研究資料だった。
或いは、普通の家に生まれていれば、私はタダの人間になれていたかもしれない。
姿を現すのは、避けようのない理不尽だ。自分のことながら馬鹿馬鹿しいと思う。
いっそ、何も知らずに滅びを得られたら、随分楽だっただろうに。
それこそ、ホルマリン漬けの標本にでもされてしまえば、理不尽を感じる間もなかったろう。
だけど、星の声はそんな事にも構わずに、今も私の中で木霊し続ける。
一応、私は人間だ。人間扱いされた記憶は無かったが。
子供も子供、放っておけば勝手に死ぬ。だから私は「維持」された。
私の世話役はもっぱら、私の姉を名乗る者がしていた。
その意味すら、あの頃の私にはよく分からなかったけれど。
ともかく、私を「アイ」と、彼女はそう呼んだ。
彼女は、自分を「姉」と呼べというので、私もそうするようにした。
食事を運ぶのも、血を抜くのも、何時からか姉の役目だったらしい。
らしい、というのは、私がその経緯を知る由はなかったから。
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アイ 「――おねえさま、どうして、そんな顔するの?」 |
彼女に、そんなことを聞いた気もする。
私の血を抜く姉の顔だけが、只々泣きそうなくらい歪んでいた。
それは、腕に針を入れられた時の私の眉間よりも、よっぽど深く。
その酷い顔は、私の中でもそれなりに印象に残っている。
――結局、私のした質問の答えは帰ってこなかった。
だから、そう問うことも私はそれっきりにした。
これは余談だが、抜かれた私の血につけられた学術的価値は、
天文学レベルの詐欺まがいな利潤を生み出していたそうだ。
私からすれば、文字通りの詐欺なわけだったのだが。
時々、姉は私に本を持ってきてくれた。
ある意味、それは私の不幸の始まりでもあったけど。
誰にもばれないように、食事のトレイに紛れ込ませて1冊。
血をぬく時に、医療器具と一緒に1冊。
せめてもの、と。姉はそう言って隠し持ってくる。
その本を読み聞かせてくれることはなかったけれど、
それはきっと、姉が賢い者だったからだろう。今の私なら分かる。
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アイ 「――むかしむかし、あるところに………… …………わたしは、そこにいたのかな。」 |
持ってきてくれた本は、もっぱらおとぎ話の物語だった。
私としては、あの頃はそれが唯一の楽しみだったかも知れない。
不思議なことに、私は生まれつき文字は読めた。
別に、誰に習ったわけでも、教える人が居たわけでもないのだが。
書いてあることは理解できたし、声に発することもできた。
それが誰の言葉であれ、私はどこへだって行けた。
ただ、やっぱりそれは不幸の始まりだったかも知れない。
私は、もっと欲しくなってしまった。羨ましくなってしまった。
もっと知りたいと思ってしまった。手に入れたいと。
おとぎ話の向こうの世界を、景色を。
でも、いくら空に願っても、星屑は何も応えてはくれない。
物語のヒロインのように、私の祈りを聞いてくれる者は、そこにはいない。
私が何冊目かの本を読んでいた頃。
その日、医療器具を持って部屋に来たのは、知らない人間達だった。
鉄仮面を被ったようなヤツらは、淡々と私の腕に針を通す。
いつもより痛くて、私はギュッと目を瞑った。
――これも持っておいき、書庫に戻しておきなさい。
まったく、手のかかる娘だわ。一体何を考えて、こんな無駄な物を――
そんな氷のような声が、閉じた目蓋の向こうで聞こえていた気がした。
私が一体、何をしたっていうのか。それは避けられぬ理不尽。
積み上げた本は全て、ヤツらの帰りしなに取り上げられた。
結局、私の部屋には一冊の本も残らなかった。
その日来なかった姉も、それからしばらくこの部屋に来ることは無かった。
小さな小さな私の世界へ、突きつけられたルール。
それが、私の身体を冷たくしていく。
終わりは唐突で、あまりにあっけない。
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アイ 「ねえ、おねえさま。 私の本、知らない人に持っていかれちゃった。 わたしは、おとぎ話で馬車に乗るのもいけないの?」 |
夢見たおとぎ話の国は、どこか遠くへ散ってしまった。
一人になった部屋で問う。
部屋の中に、応えるものはない。
天上を見上げても、私を照らす星はない。
何度かそうして、そのうち、私は理解した。
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アイ 「――ああ、そっか。 私が見ていい、おとぎ話の『奇跡』なんて、無かったんだ。」 |
――その日が、私の誕生日。
この世界が私に贈った、初めてのプレゼント。
私の手の中に残ったのは、代えようのない、憤怒だけだった。
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ラシェル 「――アイ様。」 |
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アイ 「…………なんだ。」 |
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ラシェル 「ボーッと空なんて見つめてどうかしました? 星は降ってこなさそうですけど。 ぼんやりしてるとまた適当な相手にメッセージ投げ始めますよ。」 |
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アイ 「いい加減にしろバカタレ。 …………何でも無い。つまらん空だと思っただけだ。」 |
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ラシェル 「……もう。じゃあそういうことにしときます。 ――ねえ、アイ様。 」 |
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アイ 「なんだ。まだ何かあんのか?」 |
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ラシェル 「私は、ずっと傍に居ますからね。」 |
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アイ 「…………うるさいな。 はあ……もう行くぞ。休憩は終わりなんだ。 まだ、知らなきゃならないことが山程ある。」 |
廻る秒針と共に、ふたりは歩を前へ踏み出す。
その星空は、未だ遠い。