家族からの理不尽な怒りが潰えることはなく。
唯一の救いであった友人は二度とリオネル・サンドリヨンと話そうとしなかった。
全て、リオネル・サンドリヨンが望んでやったことだ。
リオネル・サンドリヨンも、これでよかったのだと思い込んでいた。
これでよかったと思い込みながら、確かに支えは失われ、無自覚のまま傷痕は増えていた。
家族からの愛情も、数少ない友人も失くした。リオネル・サンドリヨンの手元に残っていたのは、まるで『不幸を食べる』かのような不思議な力。他にもあったのかもしれないが、その時のリオネル・サンドリヨンにはそれしか見つけることが出来なかった。そんなリオネル・サンドリヨンが取る行動は、至極単純。その不思議な力を人知れず使うことにより、誰かを助けようとした。
その誰かとは、知り合いかもしれないし、まったく知らない人かもしれない。とにかく、他の者には無いはずの力を使って役に立てれば。それは疑いようもなく良いことであると考えていた。その一方で、誰かの力になれれば自分のことを認めてくれるのではないかと、リオネル・サンドリヨンは心のどこかで確かにそう願っていたのだ。
偶然、転んでケガした子供を見つけた。そのケガを代わりに『喰らう』ことで、見知らぬ子供を助けた。
偶然、誰かの頭にサッカーボールが飛びそうになっていることに気づいた。その矛先を代わりに『喰らう』と、そのボールはリオネル・サンドリヨンの頭に直撃した。
偶然、囲まれて殴られている人を見つけた。その矛先を代わりに『喰らう』と、今度は自分が囲まれて殴られた。直前まで殴られていた人のケガも『喰らって』、今度こそ その見知らぬ人を助けた。
偶然、近くで交通事故が起こった。そのケガを全て『喰らう』ことはさすがに怖くてできなかったが、一部だけを『喰らって』傷を小さくすることはできた。
そんな生活をざっと2年間。彼はその力で不幸を『喰らい』続けた。
やってみれば案外色々なものを引き受けることができた。どうやらリオネル・サンドリヨンが恐ろしいと思うものであれば、たいていは『喰らう』ことが出来るらしい。リオネル・サンドリヨンにとって都合がいいことだった。何度も助けているうちにあの甘い味が口から消えなくなっていったが、甘い味は嫌いではない。よって、些細な事だと思っていた。
人助けをしていることは、家にいるよりも幾許か楽しいことだった。
褒めてくれた人はひとりもいない。心配してくれた人もひとりもいない。だが、少なくとも 助けた人から理不尽に怒られることもない。
ケガをすることも少なくなかったし、それを『喧嘩をした』と解釈されて怒られた。心配ゆえか、世間体を気にしてか、リオネル・サンドリヨンには区別がつかなかったしどうでもよかった。ただ、理由あって怒られているのであれば、理不尽に怒られるより良いことである。
帰りが遅くなることもあったし、帰りが遅くなったせいで怒られた。早くに帰らないことはリオネル・サンドリヨンから見ても紛れもなく悪いことである。理由あって怒られているのであれば、理不尽に怒られるより良いことである。
自分が悪いことをしたという名目で怒られるのであれば、それは理不尽ではない。リオネル・サンドリヨンはそう感じたのだ。