しばらくの間、リオネル・サンドリヨンは自宅で無意味に怒られる日々が続く。それは父が次の仕事を見つけた後、両親が喧嘩をする理由が無くなった後も変わらなかった。リオネル・サンドリヨンもそのころには『不幸』を『喰らう』ようなことはやめていたが、それでも理不尽に怒られ続けた。リオネル・サンドリヨンが力を使い続けた結果、何もしていなくとも「リオネルを見ていると反射的に怒りが沸き起こる」ようになってしまった。
そんなリオネル・サンドリヨンにとっての心の支えは友人であった。当時、リオネル・サンドリヨンの友人といえばたったひとりしかいなかった。
その友人はいつも人に囲まれているように見えた。
その友人は勉強も運動もクラスで一番得意だった。
その友人はいつも自信満々な立ち振る舞いをしていた。
その友人はリオネル・サンドリヨンにとって憧れでもあった。彼は自分が持っていないものを持っているように見えていたのだ。
リオネル・サンドリヨンは学校に行く時と学校から帰る時、必ずと言っていいほど その友人と一緒に帰った。概ね友人が喋り、リオネル・サンドリヨンは話を聞くだけだった。
「学校の勉強は簡単すぎてつまらない」
「クラスの皆と話していてもつまらない」
「楽しいのはリオと話してる時だけ」
そういった話が殆どだった。当時のリオネル・サンドリヨンは、憧れの友人に認められたような気がして誇らしく思っていた。当時は唯一の救いであったと表現しても過言ではない。
その出来事が起きたのは、小学校4年生になったばかりの頃。クラス替えが行われたが、リオネル・サンドリヨンは友人と同じクラスになった。
友人は誰にも話しかけられなくなり。
友人よりも勉強 あるいは運動が出来る者も現れ。
友人は俯いて過ごすようになった。
それでもリオネル・サンドリヨンは相変わらず、友人と一緒に過ごした。学校に行くときも、学校から帰る時も。状況が変わってもリオネル・サンドリヨンにとって憧れの友人であることに変わりはなく、友人から離れる理由は何一つなかった。
その友人が人に囲まれていたのは、幼稚園の頃からの知り合いがたまたまクラスに多かったから。
その友人は確かに勉強も運動も得意であったが、だからこそ努力をせずに少しずつ追い抜かれた。
そんな事情もつゆ知らず、リオネル・サンドリヨンは友人が孤独を覚えているのではないかと『認識』して、それ自体は間違いでなかった。
友人にとっては耐えがたいことだろうと考えた。自分が同じ立場だったとしても、あまり良い気はしない。良い気はしないが、自分ならば耐えられる。リオネル・サンドリヨンはそう感じた。
リオネル・サンドリヨンはどうやら他の誰かに使えない力があるらしいと既に自覚していた。だから、自分が代わりに引き受けよう、と。リオネル・サンドリヨンは考えたのだ。以前と違う使い方だった。発動する補償はなかったが、しかしリオネル・サンドリヨンが『孤独を喰らう』と願えば、あの時と同じ蜂蜜に似た甘い味がした。
次の日から、リオネル・サンドリヨンがクラスメイトから話しかけられなくなった。リオネル・サンドリヨンは、普段と殆ど変わらない日々を過ごすことになる。
殆ど、というのは。
その元友人からも、無視されるようになったから。
リオネル・サンドリヨンの力が意図せぬ形で発動したのか、或いは単に友好感情が実は一方的であったのか、当時は区別がついていなかった。実際のところ、リオネル・サンドリヨンに『運が無くて』唯一の友人の本質に気づくことが出来なかったという、それだけの話である。かつての友人は、ただ自分の話を黙って聞いてくれる都合のいい存在しか必要としていなかった。リオネル・サンドリヨンは間違いなくそれに当てはまる存在であったが、独りであったときに話しかけられることで、酷く惨めな思いをした。そしてリオネル・サンドリヨンによる『孤独喰らい』履行後、リオネル・サンドリヨン以外に都合のいい存在が見つかった。だからリオネル・サンドリヨンとの交友関係が捨てられた。
そんな事情は現在のリオネル・サンドリヨンにすら把握できていない。
それでも、それでよかったのだと、リオネル・サンドリヨンは自らに言い聞かせた。
理由は分からないが自分はかつての友人にとって気に食わない存在になったのだろうと。
それが彼の願いであれば、それは尊ぶべきだろうと。
本当は誰かと共に在りたかったのに。本当は、独りになりたくないのに。
独りは、苦しくて、寒くて、苦手だ。