8歳のときから、ロクな目に遭わなかった。
けれど、幸せというものは案外見つかるもので。今回は、学生時代のある幸せだった出来事を話そうと思う。
中学2年生のときの記憶。
「お前あいつに告白しねぇのかよー!」
「い、いや、だ、だって……俺なんかが、告白しても、迷惑にしかなんねぇだろ……」
「ほんっとヘタレだな……やーいビビりー、いくじなしー。」
「うっ、ううう、うるせぇやぁい!!」
教室の外からよく聞こえてきた、そんなやりとり。
自分は『不幸を齎す呪われた子』だったから。一人隔離されて、朝一人教室に座り、一人で配られたプリントをこなし、一人一日を終え、一人帰路に着く。そんな、生活。
幸福とは思わなかったけれど、不幸とも思わなかった。家族を恐らく自分の異能で2回、不幸に陥れた。そんな自分には、当然の報いだと思った。
ただ、教室の外側の世界にはとても憧憬を抱いていて。
今頃、何をしているのだろう。何が行われているのだろう。
休憩時間に聞こえる声が好きだった。ふざけあったり、楽しそうに談笑する声。喧嘩する声が聞こえてきたこともあったけれど、概ね、幸せそうな声。
笑い声が聞こえてくると、それだけで幸せになれた。楽しそうな声が聞こえてくると、それだけで嬉しくなった。
例え、それが自分にはありえない世界だとしても。
己に向けられるものとは違う、暖かな声は。
涙が零れるくらいに、幸せだった。
最近は、よく告白がどうのこうのと聞こえてくる。声の主はとある男子と、
「ねぇねぇ、あの子のこと好きなんでしょー?」
「そっ、そんなんじゃないよ、ただ……気にはなってる、けど……」
そんな、女子の声。
ここ二週間くらい、だろうか。外の世界では、しょっちゅう聞こえてきた。自分の居る教室の前を通り過ぎる際のみの声でこれなのだから、普段どのくらい同じやりとりをしているのだろう。
耳はいいから、声を聞いて声の主を特定することは容易だった。その声の主が、どんな顔をしているかは分からなかったけれど。
話を聞く限り、両片想い、というやつなのだろう。そんな声は聞こえてくる中でも、特に好きな声だった。とても、暖かいのだ。人を想う、優しい声。
―― 触れたい 知りたい
そんな、興味が沸いて。
けれど、叶わなくて。
だから、諦めて。
……案外、それに触れるチャンスはすぐに来た。
下校時。靴を履
きかえいて、外に出て。
校門へ向かっているときに、あらぬ方向からボールが飛んできた。
「いっ―― !!」
完全にこちらの不注意だった。黄色い掌くらいのサイズの球を拾い上げ、辺りを警戒する。……誰かに喧嘩をふっかけられたのかと思ったけれど、そんなことはなかったらしい。
ごめんなさい、と、声を上げてこちらに近づいてくる女子が一人。なにやら先が丸くて広い棒のようなものを持ちながらこちらを見るなり、ひぃ、と、声を上げた。
声を聞いて、すぐに分かった。
最近廊下でよく聞こえてくる女の子の声だ。
「ぁ、あ、の、ご、ごめ、ごめんな、さ……!!」
向けられる声は、あの暖かさを帯びていなかった。
恐怖、狼狽、脅威。概ね、そんな色。冷たい、痛い、そんな声。
わざとではない。不慮の事故だ。
されど、自分に当ててしまったことが運の尽きだと思ったのだろう。
危害を加えれば、不幸を振りまかれる ――
あの子の信じる、自分に対する噂話はこんなところだろうか。
……どこまでが真なのかは、自分には分からなかった。知らないのだ。自分の異能を。自分の異能で、どこまで不幸にするのかが。トリガーも、規模も、そもそも自分のせいなのかも、何も分からなかった。
これはただの当て付けかもしれないし、事実かもしれない。
ただ、ただ。……怯えなくていい、怖がらなくていい。取って喰ったりしないから。
「……これ、こっちに飛んでき ――」
「咲から離れろぉ!!」
―― 刹那、あらぬ方向から突き飛ばされる。
憤怒、怒り、それから……恐怖。
よく、聞こえてきた男子の声だ。
この女子のことが、好きな男子の声だ。
「てめぇ咲に何をした!!狂犬が!!手ぇ出すんなら俺が許さねぇ!!」
……その声を聞いて、思わず口が綻んだ。
その声は、侮蔑や嘲笑ではない。こちらを攻撃するためのものではない。
むしろ怖くて怖くて仕方ないのに、ただその子を守りたいという一心からの、行動。
―― 守るための、勇気ある行動だったのだ。
(……。……あぁ、あったかいや)
目を細めて、その声を聞いて。
特に危害は加えられなかったので、そのまま逃げ帰った。
できるだけ無様に。できるだけ小物に見えるように。
おぼえてろ
「―― 幸せにな!!」
なんて、心にもない言葉を投げかけて。
そうすれば、彼の優しさが届くと思ったし、誤解も誤解でなくなるような気がして。
聞こえてくる声を、尊重したかったから。
あの暖かい声が、好きだったから。
だから―― ……
次の日から、よく聞こえてきていた声は聞こえなくなった。
代わりに、
「ついにあいつら、付き合うことになったんだって!」
「え、マジで?やっとかよ、つーか付き合ってなかったのかよあいつら。」
「なんでも、狂犬が襲ってたのをあいつが助けたって話だぞ?」
「え、マジで!?すっげぇ、あのビビリなあいつが!?」
何となく、お祭り騒ぎになっていた。
聞こえてきた声が、幸せだった。祝福する声を聞いて、今日も一人、笑っていた。
嬉しくて、あったかくて、暖かい気持ちになって。
「―― どうか、あの2人が、幸せになりますように。
どうか、あの2人が、ずっと仲良くやっていけますように。」
涙が、零れ落ちた。
……っ……ぐすっ、えっぐ、うぐっ……
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おいなり 「ごめんなさい……ちわわ様………わたくしめが、あんな、あのような非道なことを、ぐすっ、ひっく……」 |
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ちわわ 「あーもー泣くな鬱陶しい!! そりゃあ、あたしだって今でも信じらんねぇけどさぁ……あの真面目で気弱でヘタレでなよなよしたお前が、あんな……なんだ、あれ、なに……?あんなことんなってるとはとても思わなかったけどさぁ……」 |
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おいなり 「うっ……うぅ……わたくしめも未だに信じられませぬ……あのような、あのような変態ケダモノサイコパスに、成り下がるなどっ……!!」 |
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ちわわ 「うん……うん。まあ、元気出せ……? しっかし。お前と会うのはいつ以来だ?急に連絡を寄越さなくなったろお前。時々は分霊を飛ばして様子を見に来てたのに。」 |
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おいなり 「……もう、神を一心に信仰する者がほんの僅かになってしまわれたのです。今や神々は信仰不足で姿を消滅させてしまうものも多数。……あぁ、わたくしめは今でも信仰……というより、名が知られております故、なんとか姿を維持するだけのことは可能でございます。」 |
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おいなり 「しかし、貴方様がいらっしゃった時代と比べますと、得られる力はほんの一握り。分霊を飛ばすことも厳しく……今回は、わたくしの力でアンジニティの者共が侵略行動を取ると知ったため、いてもたってもおられず……」 |
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ちわわ 「全く、お前はいっつも無茶をする……なるほど、ってことは暫くはお前と居られるってことか。」 |
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おいなり 「はい。……しかし、いつものように。力を使い果たせば、わたくしはここから消滅いたします。いつまでご一緒させていただけるかは分かりませんが……それでも、今しばらくは貴方様と共に在ります。」 |
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ちわわ 「なるほど。……分かった、それじゃあよろしく頼むぜ、お稲荷。あたしの、唯一の親友。」 |
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おいなり 「はい!一緒に侵略を成功させ、人間たちに天罰を与えてやりましょう!」 |
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ちわわ 「…………。お稲荷。あたしは、イバラシティの者たちにつく。お前も協力してくれ。」 |
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おいなり 「……!?な、何を仰っていらっしゃるのですか、貴方様はお忘れになられたのですか! 貴方様が人間から受けた仕打ちの数々を!!ご両親を殺され、道具として利用され、憑き主と共に殺される!!
貴方様は……貴方様だって、幸せになっていいはずなのに!」 |
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ちわわ 「あたしの幸せは花梨の幸せだ!! ……あたしに歯向かうんなら、お前だって容赦はしねぇぞ、お稲荷!」 |
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おいなり 「っ……。…………、……分かりました。わたくしは、貴方様に尽くすと決めた身。……貴方様のお言葉に、従います……」 |
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ちわわ 「あぁ、それでいい。……行くぞ。イバラシティを、守るために。」 |
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おいなり 「…………。……どうして、ですか……■■■様、どうして……」 |
―― どうすれば、『あの方』の幸せを掴めるのだろうか。
―― どうすれば、『あの方』は、亡き者の呪縛から解放されるのだろうか。