「結婚したんや。いや、再婚か」
そう報告すると、昔馴染みは「まあ」と驚きの表情を見せた。
「よかったねえ。お母さん苦労されてたし。今は、新しいお父さんと一緒に?」
予想していた返答に、ちゃうでと緩く首を振る。
「ウチはついていかへんかった。だから苗字も千崎のままや」
親の庇護下から出る。高校1年生の少年がするには勇気のいる決断だったかもしれない。けれど千崎は迷
わなかった。
ただがむしゃらに「家を出たい」と主張するだけでは出してもらえないということはわかっていた。
千崎の母は最後まで息子を手元に置きたがった。愛情故なのか、飛び込んでいく他家で味方がひとりでも欲しかったのか。両方だったかもしれないし別の理由かもしれない。
行き先をイバラシティに決めたのは、異能の存在が一般的な街であるため暮らしやすい、という話を押せば説得できると踏んだからだ。千崎の異能は容易に御せてしまう類のものだが、幼児の頃など、両親は千崎の異能の件で多少なりとも苦労したらしい。幼い千崎は、興味本位で何でも咲かせてしまったらしいのだ。
異能というものが珍しい街だから、公園で季節外れの花を咲かせれば当然大騒ぎになる。よく言い聞かせて、異能を使う場所が家の中だけになっても、買ってきた野菜が突然咲かされれば母は驚くし、父は夕飯のおかずが減って困ることになる。ささやかなことだが、異能のことがよくわからないころの千崎家はそれなりに大変だったようだ。
千崎は異能が理由で嫌な思いをしたことは一度もない。それは両親が千崎の異能を理解して、周囲と折り合いがつくように育ててくれたからなのだろう。
それなのに、将来のことを考えて異能の一般的な街へ行きたい。そこで大学進学と就職を目指したいという体裁を整えて頼んだのは、狡かっただろうか。
高校は途中転入させてくれるところだったらどこでもよかったのだが、特進コースがあり学生寮が併設されている相良伊橋高校を選んだ。残念ながら取得単位の関係などの様々な理由が重なって特進コースへの編入は断念せざるをえなかったが、一人暮らしよりは寮に入ると言った方が説得しやすいように思えたし、事実そのとおりに運んだ。
授業料の問題があったが、千崎のままでいるのであれば交通遺児の奨学金を申請できるのではないかと新井氏が教えてくれ、その助言を受ける形を取った。生活費については亡父が遺してくれた遺産を使うことで決着した。母がしたたかかつ堅実な人であったのも幸いし、父の保険金や事故の賠償金などは、母と二等分しても千崎が大学に進学するのに充分な額が遺されていた。
そうやっていろいろな問題をクリアして、千崎は両親と暮らした家から出ることになった。平均よりたかが2~3年早いだけなのに、なぜ母はあんなにも悲しがったのだろう?
どうしてもと頼まれて、年末年始だけは新井家で過ごした。自分も母も、新井家の人たちもぎくしゃくと気を使い合ってしまい、居心地の悪い日々だった。
そうして、冬休みが明けて。千崎は相良伊橋高校2年4組に転入した。
「どうしてついていかなかったの?」
「ん? ついてったらチサって呼んでもらえんくなるやろ? アラじゃかわいないし」
冗談めかしてそう言ってみた。
昔馴染みは眉をひそめる。お説教が来るかな? と身構えたけれど、彼女は何も言わず、ただ紙コップにお茶をつぎ足してきた。
「……本当はな」
コップを持ち上げ、中身で喉を潤す。震えるはずの言葉も、それで滑らかになる。
「みんなが好き勝手するんやから、ウチも好き勝手したかったんや」
精一杯悪ぶって、眉をひそめたままの昔馴染みにへらへら笑ってみせる。
自分は強がっているのだろうか。それとも、救いようのない屑が自分の本性なのか。
「……やっと言えたわ」
短くて長い夢から覚める。
また1時間ぶんの記憶を刻んで、時計の針が進む。
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「……何してくれとるんよ」 |
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「楽しかったやろ?」 |
勝手なことばかりする夢の自分が、眼前でへらへら笑っている。
無性に腹が煮えて鉤爪を伸ばしたけれど、自分自身に爪をたてただけだった。
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「止めとき。ウチらは結局のとこ、同じ存在なんやから。
千崎(ウチ)を傷つければ血咲(ウチ)も傷つく。 だから、千崎(ウチ)が楽しかったんなら、血咲(ウチ)も楽しいはずなんや」 |
あの街は夢の出来事だと思っている。
夢の中で、別の自分になって、ふわふわと気の向くままに遊んでいるだけだと。
お気に入りを見つけても咲かせられないのは、夢を見ているせいなのだと。
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「うるさい。うるさい。うるさい!!」 |
1時間前のように、夢の自分を消してしまおうとする。
ここは現実。現実なのだから、夢なんて覚めてしまえ。
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「無理やで。血咲(ウチ)はもう気がついてもうとるんやから。 だからこうして、千崎(ウチ)が話せるんや」 |
あの街は夢では無い。
あの街で感じたことは、自分自身
(チサキ)が感じたこと。
楽しさも、嬉しさも、胸の鼓動も、届かない切なさも――すべて。
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「ズレを埋めるために、お互いが少しずつ浸食しとるんや。 今は千崎(ウチ)が、街では血咲(ウチ)が。 そういうことと違うか?」 |
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「……そうか。そうなんやったら」 |
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「血咲がアンタに成り代わってもええんやな?」 |
夢をかき消す。
浸食なんかされない。血咲
(ウチ)は決して変わらない。
あの血染めの桜が舞う時に感じた悲しさも無力も、自分自身のものだ。
……で……ってると……な。……に背…ってい……から。……ろ。ウチらは……や。
もう……まなく……い……。
遠く掠れる声を追いやって、今日も一人、ハザマでの敵に対峙した。