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「待て」 私は使用人に挨拶を終わらせると、すぐにあの男の背中を追った。 いない。 ふと、横を見ると、あいつに憑依されていた少年が 壁に寄りかかるようにして寝息を立てていた。
――相変わらず迷惑な奴め。風邪をひいたらどうする。 ゆさゆさと彼をゆすってみる。 「ん…」 彼は寝ぼけ眼で私を見る。 「あれ…開放されている…でもまた一時的なものなのかな…」 「そんなことはないぞ」 奴もこの地を去るつもりなのだろう。 使用人にそれらしき挨拶をしていたのは聞こえていた。 どうして私に合わせて去るつもりなのか、捕まえて聞きたいのだが。 そんなことを考えていると、彼はようやく目が覚めたようだ。 「わかるんですかっ…!!!」 表情が変わる。おそらく私の外見に驚いたのだろう。 いまさら気にすることではない。 「英雄と呼ばれた者たちが帰還するよう話があった。 おそらくだが、奴も一緒に姿を消すはずだ」 「そんな、あいつも英雄だったんですか?」 驚く声。私は首を振った。 「違う。あんな物騒な英雄がいてたまるものか。 なにを考えているのかは知らんが、 あいつはここを去るつもりらしい」 すると彼の表情は、ぱあっと明るくなった。 「良かった…! これでもう自由の身だ! 怯える生活とはおさらばだ!」 私は複雑な気分になった。 何故? 彼の言うことは事実。 トパーズに振り回されて気の毒な身の上。 そういう発言をするのは当然のこと。 私は頭を振り、もやもやした感情を振り切ると、 彼に元気でやれよと声をかけ、町の外のほうへと向かっていった。
どうしてそこにいるのがわかったのだろう。 町外れの高台。 そこに見ただけでは普通の人間と変わらぬ亡霊の後姿があった。 「トパーズ」 「なんでついてくンだよ」 ほぼ同時にしゃべっていた。 それにちょっと戸惑っている間に、相手はしゃべりだした。 「お前、オレサマのことが嫌いなんだろうが。 オレサマ、お前に極力会わないようにしてたんだぜ? 最後の最後に使用人のところで出くわして あいつにしっかり挨拶する間もなく離れてやったのに… ついてきやがって」 冷たい風が吹く。これも亡霊の力なんだろうか。 「お前は…どうしてここから離れるんだ? 私たちに合わせて姿を消す必要はないだろう?」 トパーズは振り向かない。 「そりゃ、見てて面白い対象がいなくなるからさ。 オレサマはお前たちが面白くてこの地にいただけ。 それがいなくなるんなら、こんな暗いだけの土地に用はない」 「……」 私に返す言葉はなかった。 「用事はそれだけか? だったらさっさとどっか行け。もうオレサマは行く」 「待て」 反射的に私は言った。 ンだよ…とめんどくさそうに奴が顔だけこちらを見る。 「私が英雄なら、お前も英雄だ」 「ハァ?」 突拍子もない声が返ってくる。 「私は何も知らない。 私は世界を混乱に陥れる組織に所属していた。 現に国をひとつ滅ぼした。 それでも英雄と呼ばれたのは、 世界の混乱を最終的に抑えた一行にいたからだと思う。 それだったらお前だってそうだろう。 たくさん人を殺したのだって、世界を守るためだったんだから。 私はそこまでして世界を守ることはしなかった」 「それでも妹を守るためにたくさんの命の死を無駄にしたんだぜ? だからオレサマを嫌ってたんだろうが。 いまさら何を言い出すのかと思えばしょーもない」 私は言いたいことがあったのだが、しょーもないと言われ 頭がかあっと熱くなる。 いけない、冷静になれ、と自分に必死に言い聞かせる。 「あのことな。 お前が言うことは一理あるんだよ。 だからお前が謝る必要は全く無い」 見抜かれていた。 「後味が悪いかもしれねぇけどよ。 間違ってねぇことを無理に曲げる必要はねえんだぜ」 トパーズが完全にこちらを向いた。 「お前に刺されたって文句は言わねぇ。 もっとも、今となっては無理な話だけどな。 短い時間だが一緒に旅したのが信じられねーぜ」 ひゃはははは、と奴は笑った。 「元の世界に戻っても、また会うことがあるかもしれねぇな。 そんときはよろしく頼むぜェ?」 私の頭の中は大混乱だ。 しかし奴に謝らなくてはいけないというもやもやは消えていた。 「さて…時間だな」 トパーズが遠い目をする。ふわり、と奴の体が浮いた。 「あばよ」
それから私は召喚士の元へ向かった。 「元の世界に帰るのね?」 こくりと頷く。 すると私と依代のアイリスが離れ離れになった。 「アメジストさん、どうか、お元気で」 アイリスが声をかけてくれる。 「またこの世界に来たら、一緒に戦いましょう」 「そうだな…」 またこの世界に来ることになるのだろうか。 それは私にはわからない。きっと誰にもわからない。 私は目を閉じる。 これで私は元の世界に戻るのだろう。 視野が暗転した。
もともと暗かったところから、到着したところも暗かった。 私はなぜか宙に浮いている。 「また別のところに飛ばされたのか?」 「そういうわけでもないさ」 声がした。 この声は。まさか。 「ヘリ…いや、ベイリル…」 振り向くと透けた姿の赤と銀の髪が混ざった青年がいた。 服はぼろぼろで、付けている仮面もボロボロになっている。 「お前、死んだんじゃ…」 「死んでしまったよ。これから…俺は消えるんだろう…」 仮面が下に落ち、消えた。 彼の赤くなってしまった両眼が見えるようになる。 そして生気の無い真っ白な肌に少しづつ色がついてくる。 「…人間をやめたはずなのに、死ぬときは元に戻るんだね」 「………」 私はかける言葉を見つけられなかった。 やがて彼の姿は、白と青を基調とした、先日まで戦っていた 祭祀殿の者のような服を纏い、鮮やかな赤髪の、 緑の瞳の青年になっていた。 「なんてことだ。これでは教団長の息子の姿じゃないか。 結局、否定してもここに戻ってしまうんだな」 ははは、と彼は笑う。しかしその瞳から涙が零れ落ちたのに 私は気がついた。彼は気がついただろうか? 「どんな姿でも、お前は私の恩人のベイリルだ」 「そうか…」 彼が目を細める。 「最期に、我侭を聞いてくれないか」 彼のそのしぐさは癖だと私は知っていた。 とんでもないことを言う前触れである。 「俺はお前が好きだった。キス、していいか?」 「なんだ、それは?」 「こういうことさ」 そういうと、透けた姿の男はふわりと宙を漂い、 私の横に来たと思ったら、そっと私の頬に口をつけた。 「!?」 人が知らないことをいいことに! しかし不思議なことに、霊体のはずの彼からのキスは 確かに温かみを感じさせた。 そして気がつく。私も霊体なのだと。 「ありがとう。これで眠れる」 そう言って笑った彼は全く知らない顔をしていた。 いつもの笑顔ではない、本当に穏やかな顔。 まるで…聖なる者のような顔。 「拘束して悪かったね。さあ、本来の場所に戻ろうか」 彼が下を見る。私もつられて下を見ると、私が倒れていた。 そして弟が必死に揺さぶっているところが見える。
そうか。 私が意識を失った直後の時間に戻ってきたのか。 再び顔を上げるとベイリルは目を閉じて、消えた。 「さよなら…私も、お前が好きだった…」
私が下へ近づくと、体が急に引っ張られる感覚に襲われた。 そして次の瞬間、体が揺さぶられていた。 目を思わず開く。 「お姉さん!」 弟…サフィーが声をあげた。 「びっくりしましたよ。急に倒れるから… でもよかった。すぐ気がついて…」 その“すぐ”の間に長い冒険をしたと話したら、 彼はどんな顔をするだろうか。 私はそれを考えて、少々愉快な気持ちになった。
さて――私の人生は今、はじまったばかり…「待て」 私は使用人に挨拶を終わらせると、すぐにあの男の背中を追った。 いない。 ふと、横を見ると、あいつに憑依されていた少年が 壁に寄りかかるようにして寝息を立てていた。 (続きを読む) |
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