【狭間時間 6:00】
全部、無かった事になる。
侵略も。防衛も。何もかもリセットして一からやり直す。
なら今舞台上にいるオレ達はどうなるんだ?
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『 』 「たとえ何十年、何百年かかっても。俺は、必ずそっちに行くから」 |
オレがいなくなったらあいつはどうなる?
オレ以外の誰があいつを守ってやれるんだ。
現実に絶望して世界を棄てようとするあいつの手を、誰かが掴んでやらなくちゃならないのに!
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「……まだ、」 |
オレはまだ消えられない。
そうだろ?
「——幽綺!」
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「——ゆっくり目を開けて。私の声は聞こえるかな?」 |
目を開けると、見知らぬ男の顔が間近にあった。
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「誰だよ、お前」 |
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男 「聞こえているようだね。私は——」 |
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「どこだよ、ここ。テメェは誰だ。オレはどうなってんだ」 |
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男 「……答えようとしたそばから質問を増やされると困るのだがね」 |
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「あぁ?」 |
辺りを見渡す。白い壁紙。気取った雰囲気の窓枠。成金趣味っぽい家具。図書館から中身ごと引っ張ってきたような本棚。白衣のなんとなくいけすかない面をした男。見覚えのないものばかりがオレを取り囲んでいた。
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「一体全体誰なんだ、テメェは」 |
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男 「今答えるよ。 ……催眠が強すぎたのだろうか。 私はノエ・シャリエール。君の主治医だ」 |
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「主治医だぁ?寝ぼけた事ぬかすな。 テメェみてえな胡散臭い奴をかかりつけ医に選ぶわけねえだろ」 |
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ノエ 「……会津君。品行方正を強いられた反動とはいえ、ずいぶんと開放的になったね? そこまで暴き立てるような催眠をかけた覚えはないのだが」 |
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「アイズ、じゃなくてアイネだ。主治医を名乗るくせに患者の名前も覚えてねえのか」 |
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ノエ 「……アイネ?」 |
腹立ち紛れに椅子の脚を蹴ってやった途端、急に男の顔色が変わった。
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ノエ 「会津君。自分の名前は言えるかい?」 |
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「何度も間違えるんじゃねえよヤブ医者。 オレはアイネだ。折和逢音。テメェに君付けで呼ばれる覚えはねえ」 |
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ノエ 「折和逢音。では、君はイバラシティの折和逢音なのか?」 |
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「……あ?」 |
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ノエ 「イバラシティオオキタ区出身、7月26日生まれB型、高校は相良伊橋高校、母子家庭で母親の名は折和永那。それで間違いはないね?」 |
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「お前……なんで、」 |
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ノエ 「これは確認事項だ。君はイバラシティの折和逢音か、そうでないのか。答えて欲しい」 |
すらすらと人の個人情報を羅列し、男は赤い瞳でじっとオレの顔を注視する。
なぜだかひどく寒気がした。
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「……何者だ、お前。なんでオレの事を知ってる?」 |
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ノエ 「さっきも言っただろう。君の新しい主治医だ。 正確には、君の『宿主』の主治医だがね」 |
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「宿主……?」 |
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ノエ 「それについては今から説明しよう。 ここがどこで、君がどうなっているのかという質問の答えと一緒にね」 |
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ノエ 「まず第一に——折和逢音。 君はすでに死んだ人間だ。
君は半年前にミナト区の海浜公園にある展望台から転落死している。 そして君の角膜は、死後にアイバンクに登録された。その角膜を移植されたのが私の目の前にいる会津仁弥という少年なんだよ」 |
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「——ぁ?」 |
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ノエ 「ここは《栄華の世界》ヨツザカの会津邸。つまりは会津仁弥君の家だ。 会津仁弥君は君の角膜を移植されて以降、君の記憶を夢という形で体験するようになった。私はカウンセリングの合間に彼の記憶の真偽を確かめていたわけだが……君が出てきたおかげではっきりしたよ。
『記憶転移』といって、臓器移植や輸血を受けた患者が提供者と同じ趣味嗜好や習慣を持つ現象がある。会津仁弥君もまた移植によってドナーの魂の欠片を宿したのだろう。 それが君だ。君はかつてこの世に存在した人間の残滓なんだよ」 |
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「嘘だ!オレは——オレは、そんなの知らねえ!」 |
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ノエ 「知らないだろうね。移植は君の死後に行われたのだから。 それでも否定するのなら鏡を見てみるといい。君の死亡事故が載った新聞記事の切り抜きだってある。 知らないように振る舞っても、目を背けても、君は覚えているはずだ。自分が死を迎えた、まさにその瞬間の光景を」 |
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「……嘘だ、」 |
頭がひどく痛む。視界の端に映り込む髪はおかしな色をしていた。目の前で翳した手はやけに小さくて頼りなさげに見えた。震える声も記憶にあるそれと違うように聞こえた。
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「オレは、死んだのか?」 |
オレが知る『折和逢音』の姿は、そこにはなかった。
【狭間時間 5:49】
思えば。やり直しの機会を与えられるのはこれで二度目だ。
胡散臭い蜘蛛の糸に二度も手を伸ばしてしがみつくなんて未練がましいにも程があるが、そうまでしてでも会いたい人がいた。
厳密には他人であると知っていても、繋ぎ止めたい人がいた。
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「——なァ」 |
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会津仁弥 「………………」 |
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「なんとか言えよ、ネクラ野郎」 |
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会津仁弥 「……うるさい」 |
前の戦争でも無愛想な奴と組みはしたが、こいつ程最悪じゃなかった。
この生意気なガキはなぜだかこちらを毛嫌いしてやけに辛辣な態度を取ってきやがる。
……まあ、オレもこいつの性格がなんとなく気に食わなくて嫌味をぶつけてやってるからお互い様なのかもしれんが。
今のオレはこいつの身体を借りなけりゃ満足に動けない、ずいぶんと窮屈で不自由な身分だ。「お情けで二度目をくれてやったんだから少しは我慢しろ」という事なのかもしれない。
不平不満は並べ立てればきりがないくらいだが、機会があるなら今は何だっていい。
あいつを——四ツ谷幽綺を救えるのなら。オレは何を犠牲にしたって構わない。
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会津仁弥 「……来る」 |
身体代わりのガキが顔を上げて、椅子代わりにしていた瓦礫から腰を浮かせる。
奴が目を向けた先には鬱蒼と茂る木々と崩れた建造物があるばかりだが、見えはしなくてもあいつが来ているのは感覚でわかるのだろう。
この世界の折和逢音は作り物なんかじゃなく、正真正銘イバラシティの人間だった。折和逢音の角膜を移植された子供と、折和逢音の記憶を隠れ蓑にしているオレは折和逢音の異能を扱えるようになっている。
折和逢音の異能は、自分が強い感情を抱く相手との間に引力を発生させる力。引力は単なる運動エネルギーだけでなく「縁」のような形にする事も可能らしい。この小賢しいガキは異能を使い、自分と幽綺の間に生まれた「引力」を辿ってあいつを追いかけていた。
進路さえわかれば、あとは行き先を推測して先回りすればいい。実に効率的でストーカーじみたやり方だ。便乗してる立場故にあまり強い事は言えないが、気色悪いし警察にでもしょっ引かれて欲しい。
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「……幽綺」 |
見ず知らずのガキの肉体に居候する身分であっても、オレにはイバラシティの記憶が与えられている。
「折和逢音」としてあの街に存在した分の記憶が、今ここにいるオレに同期されている。
この世界の四ツ谷幽綺は、オレの知らない所で自分の生きる理由を見つけたらしい。
自分を否定して苦しむ事もなく、明るい顔で馬鹿をやって楽しそうに過ごすあいつにはオレの手助けなんてもう必要ないのかもしれない。
だけど、それでもオレはあいつに会いたかった。
あいつが今の自分に満足して、世界に愛着を持って暮らしているのなら、その日常を守ってやりたかった。
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「……欲を言うなら。今度はそっちの折和逢音になって、ワールドスワップに頼らずにお前を守りたかったんだけどよ |
思えば。オレは実に馬鹿げた希望的観測に縋っていた。
オレがいた世界とこの世界は色々な所が微妙に違っている。折和逢音はワールドスワップの以前から存在していて、久能詩夜と飛鳥望という親友がいて、18歳の春に死んでいた。
存在しない人間が存在していた世界なら、当然その逆だってあり得る。
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「四ツ谷幽綺は、ここにはいません」 |
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“ ” 「……おれは、四ツ谷幽綺じゃないんです」 |
四ツ谷幽綺は、この世界には存在しなかった。
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「——嘘だ」 |
四ツ谷幽綺がいない世界で、オレは何をすればいい?
全てがまやかしなら、オレは誰のために戦えばいいんだ?
オレは、一体何のためにこの手を伸ばしたのだろう?
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会津仁弥 「あなたがどこの誰だろうと関係ない。俺は、あなたのために戦います」 |
……何を言ってるんだ?
四ツ谷幽綺はどこにもいないのに。そいつは四ツ谷幽綺じゃないのに。
そいつを守ったところで、あいつは——
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会津仁弥 「その通りだ。彼を守った所で、イバラシティの四ツ谷幽綺が存在し続けるとは限らない。 侵略が終わった後で、彼の存在に上書きされて消えるかもしれない」 |
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会津仁弥 「だけど。アンジニティが勝てば、少なくとも四ツ谷幽綺がいたという記憶は守られる。 ワールドスワップの影響が消えないのなら、俺は四ツ谷幽綺を覚えていられる」 |
存在しない人間のために生きてる人間を犠牲にするのか?
詩夜も。お袋も。先輩も。——お前のクラスメイトだって、アンジニティに堕ちる事になるのに!
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会津仁弥 「いいさ、それでも。彼らを否定の世界に堕とした責任は後で取る。 だから協力してくれ。あなたにだって利がある話だろう?」 |
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会津仁弥 「『前』と違って、あなたはイバラシティの住人として扱われている。 四ツ谷幽綺と同じ世界にはいられなくても、久能詩夜の隣にはいられる。 最愛の人と共に在りたいと。彼も自分と同じ地獄に堕ちてくれればそれが叶うと。願ったのはあなた自身のはずだ。
……気付かれていないとでも思っていたのか?お生憎様。 俺が見られるのは『折和逢音』の記憶だけじゃない。あなたの醜い過去も、願いも、全部見透かしてるさ」 |
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「………………」 |
これも因果応報なのだろうか。
久能詩夜はオレが否定の世界に堕ちる前に愛した人とよく似ていた。
かつて愛した人は、オレの知らない場所でささやかな幸福を手にしていた。オレはくだらない嫉妬に駆られて、彼の幸福を壊して自分の手元に引き戻そうとした。
まるで再演のように、オレは生前の過ちを繰り返そうとしている。
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「お前は、それでいいのか。 知り合いには恨まれて、守った奴は思い出の中にしか残らないだろうに」 |
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会津仁弥 「思い出を取り上げられるくらいなら、悪者になる覚悟で裏切る方がましだ。 友達から嫌われるかもしれないのは辛いけど、同じ世界で生きていてくれるのなら俺を好いてくれなくたっていい」 |
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会津仁弥 「ああ、でも。俺がアンジニティに行ったら、兄さんとはもう会えないんだろうな。 それは少し寂しいかも」 |
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「……そうかよ」 |
世界が移って、変わったものは多い。
しかし変わらないものもある。
イバラシティを裏切ったとしても自分の想いだけは変えない。オレは『四ツ谷幽綺』を守る。
例え、偽りの存在であろうとも。それだけがオレの存在意義だから。