
『露店通り』と呼ばれるこの場所は、『灰掻き』や『硝子職人』の見習い等のような 名と役目こそ与えられているが立場は高くない者どものために存在する。彼らの多くは、誰かに命令されて物資の調達を行う。
売り子も、多くが 商人見習いだ。露店通りを利用する者で、難しい注文をする者は殆どいない。そういった用件の際には、隣の区の『商店街』へと誘導する。
それが今、剣戟と怒号で溢れ。鉄に似た臭気が漂い。それがじわりじわりと広がっている。武装していない人間があちこちで倒れている。
「ひ、……」
「あぁ、僕が思ったよりも最悪だ……」
竦む『橙』の横で、『黒』はため息をついていた。
「……テメェは帰るか?」
「こんなの見て帰る訳があるか。……『黒』、オマエは分かってたのか、こんな、……何で」
「わざわざ言わないと何も分からねぇのか? やっぱり邪魔だから帰れ」
「こんなの見て帰れる訳があるか」
分からないのではなく、分かりたくなかっただけだ。しかし、認めなくてはならない。これはきっと『竜殺し』の襲撃だ。
二人は露店通りに踏み込んでいく。
見れば、『守護者』らしき鎧をまとった者どもや 『竜殺し』らしき簡素な武器を手にした者どもが既に争いを始めている。武装を全く施していない人間が倒れて呻く声がする。
「
――『守護者』が足りていない?」
「
というか、襲撃者が多すぎんだ。……前にも『竜殺し』の襲撃を見たことがある。その時は、ここまで多くなかった」
「
数が多い、……だけでもない? どうして『守護者』でも『神子』でもなさそうな人に被害が、」
そう話す傍らで、近くの『金具売り』の正面から、鈍く輝くナイフで切りつけようとする男が見えた。
「――ッ!」
『橙』と『黒』はほぼ同時に地面を蹴る。相手が得物を持っているのは右手。ふたりは左側から同時に体当たりを仕掛ける。誰かからの反撃を貰うことなど考えてもいない様子で、男は無防備に倒れた。
僅かに速く体勢を立て直した『橙』は、『金具売り』を庇うように前へ。『黒』は『金具売り』の傍へ。
「ッ痛……お前ら、『灰掻き』か。それも、名前貰ったばっかりのガキが。人が楽しんでるところを邪魔するような『役目』はお前らにあるのか?」
立ち上がる男の敵意が、『橙』と『黒』に向けられる。
「……よく言う」
怖くないと言えば、嘘になる。荒事はどうにも得意ではない。
「おい、お前。こんな状況で何やってんだ、さっさと逃げろ」
「何故? それは『金具売り』の仕事に含まれていません」
――『黒』は、『金具売り』を避難させようとしている。それならば、
「オマエは……何だ? どういった目的でこんな真似を」
―― 自分に、敵意を集めなくては。
その一心で、『橙』は男に言葉を投げかける。
「お前、死にたいのか?」
「神より賜った役割を続ける必要があるので、死にたくはありません」
「『灰掻き』の癖に、良く喋る。―― 今、言っただろう?『楽しい』からやってんだ」
「『楽しい』? ……オマエ、調和竜から何を教わった?」
それは『橙』にとって、否、この国にとって異端の考え方に見えた。
「だったら生きるために逃げろ……!」
「何故? それは『金具売り』の仕事に含まれていません」
「お前、僕の話聞いていたか……!?」
『橙』は 顔を男に向けたまま、『黒』の声に意識を向ける。
―― そう簡単にはいかないか。
「何って……
俺が何をしても、俺がたとえ『竜殺し』だったとしても、調和竜は俺の味方なんだろう?」
これ以上『黒』の声に意識を向ける余裕は無い。己が『竜殺し』であることを仄めかした男は、『橙』に向けて 鈍く輝くナイフを大きく振りかぶった。そのまま振り下ろす。『橙』は寸前で躱した。
灰被る国の民 全てへと向けて、色無き竜は仰せになった。
英雄で在れ、英雄と成れ。
色無き竜は友であり、父であり、母である。色無き竜の他にそれは存在しない。
「―― オマエ、本当に『竜殺し』か?」
竜を殺すことを目標に掲げて襲撃を行う反逆集団にしては、随分と ―― ある種、過激はあるが ―― 竜に寄り添った考え方をしているような気がする。
「ああ、『竜殺し』さ」
男は何度もナイフを突き出す。『橙』はそれを何度も躱し続ける。
「『竜殺し』ってのは、騒ぎを起こすモンだろう?」
粗末な思想だ、――そんな無意味な感想を抱きながら。
会話を続けながら、相手の力量を測る。
ナイフを振る動き。突き出す動きと振り下ろす動きを組み合わせてはいるが、予備動作が大きい。成長途上にあたり 体格の面で不利な『橙』だが、今のところは対応できている。
「クソ、……『灰掻き』の癖に、……『灰掻き』の、癖に!」
ナイフの動きが、より単調になる。
悪い方向に、感情の影響を受ける。『橙』から見ても荒事にまつわる適正があるとは思われず、そういった役割を与えられている訳ではないと判断。それに、自分のような『名無し』でも、躱し続けることが出来ている。
自分はあくまで、『黒』たちの避難のための、時間稼ぎだ。あるいは、『守護者』が来るまでの。武術の教えは一応受けているが、得意だと思ったことは一度も無い。
「
抵抗するんじゃねえ、俺の邪魔するんじゃねえ!」
自称『竜殺し』が喚く。その後ろに、栗色の髪をした人間が見えた。背丈は低く、顔は仮面のようなもので覆われていて見えない。灰まみれの服を着ていることから、すぐにそれが『灰掻き』と分かる。
逃げろ、と口の動きで伝えようとするが、その『灰掻き』は何かを手に持って近づいてくる。『灰掻き』は 自称『竜殺し』の背後に迫り、袖に仕込んでいた刃で 自称『竜殺し』を斬りつける。
「―― 困るのだよ、君のような輩が『竜殺し』を名乗るのは」
『灰掻き』はひどく冷めた声で吐き捨てる。
「そして、そこの橙色の君は……『同志』でも『敵』でも『偽物』でも『群衆』でもなさそうだが。どういった理由で我々の味方をしているのか。成り行きか、目的の一致か」
自称『竜殺し』は、『灰掻き』をにらみつけているが、栗色の『灰掻き』は無視して 『橙』に声をかける。『守護者』の容貌ではない。それにも拘わらず、自称『竜殺し』とは敵対する様子を見せる。無抵抗でやられるどころか、『橙』に加勢する。
「オマエ、……『竜殺し』か? どうして、『灰掻き』が」
「そう呼ばれているようだが。ああ、恐れ入るが仔細を伝えろと言われればそれは断ることにしているのだ。何故私が『灰掻き』の恰好をしているかも含めて。たいした理由ではないのだが」
「……なんでオレに加勢した?」
「それくらいなら答えてもよかろう、―― 我々の目標は 調和竜の支配を殺すことであり、徒に人を痛めつけることは理念に反するのだよ」
栗色の『灰掻き』 は、灰まみれのマントの中から何かを取り出して『橙』に投げつけた。受け取ったそれは木の盾だ。
守護者
「君が食い止めていたからこそ、私が間に合ったというわけだ。『 敵 』ではないがそこは多めに見てもらうとして。兎に角、君は用を済ませて逃げるといい。『竜殺し』を騙る輩に気を付け給えよ。護身の心得はあるようだから、先ほど『拾った』それを貸し出すが。不要であれば捨てるといい」
栗色の『灰掻き』は『橙』を軽く押しのけて、自称『竜殺し』と対峙する。『橙』は二人から距離を取り、背後の気配を伺う。『金具売り』と『黒』は、……最初の場所には、いない。近く、路地裏の入口から。かすかに 壁を叩く音。『橙』はそちらに向かって駆けだした。見ると、『黒』がそこにいる。
「―― さっきの『金具売り』は」
「『守護者』に引き渡した」
この国の人間は、与えられた役割に忠実だ。暴徒鎮圧も『守護者』の役割だが、人々を守ることもまた『守護者』の役割。
「最後の方に来た奴、誰だ」
「知らねぇ。……『竜殺し』みたいな風のことを言っていた」
「はぁ? ……テメェそれどうした?」
「『守護者』を見つけ次第伝える」
「そうか。勝手に言え。僕が居ない時にな」
「止めも訊きもしないのか」
「止めてる場合じゃねぇし詳しく訊いてる場合でもねぇだろうが、……テメェはこの後どうすんだ」
「……この状況を無視することは出来ない。教本は、今すぐ必要というわけじゃない」
最初に見つけた『竜殺し』を名乗る男は、偽物だと判断している。後から現れた『灰掻き』の言葉を全て信じるわけではない。ただ、『橙』が今まで聞いた噂などと照らし合わせて最も違和感が少ない答えがそれだった。
「テメェにしては珍しい」
「罪を犯した人間は相応に裁かれなくてはいけない。そうでない人間は生きる権利がある」
先ほどのように、無意味に他者を傷つけていた 自称『竜殺し』は罰を受けるべきだと考え。
調和竜より与えられた職務を貫く人間に罪があるとは思えない。
「オマエなら『帰れ』って言うと思ったけどな。言わないのか」
「別に帰らせる理由は無ぇ。僕の邪魔にならなければそれでいい」
夜はもう少し続くのかもしれない。