こどもの時のかんちがい
風は葉っぱがそよいで起こす
ねずみは猫のこども
大人は生まれたときから大人
こどもはかみさまがつれてくる
自分は特別
世界にたったひとり、自分だけが特別な子
八矢清
ハチヤキヨ。栄平22年生まれの8歳。
八矢家の長女で、絵が好き。
八矢清は、自分が特別な子供だと信じていた。
よくあることだ。裕福な家庭で、立っては喜ばれ、歩けばカメラのフラッシュが焚かれていれば
おおよその子供はそういった勘違いをする。
その上に清は、八矢の家の、たった一人の女児だった。
貴重さはそれだけで優劣を決める。
一人目、二人目は男児、その下、四人目も男児だったから、
特別扱いを受けて育つのは無理からぬことだ。
ちょっとした催し物で手渡される、例えばお菓子の一つにしたって
兄弟が青色の袋なら、清は赤やピンク。「くん」と「ちゃん」で、呼称からして違う。
お下がりのやりとり、玩具や部屋の共有といった、十把一絡げの扱いと無縁に育った清は、
どの家にも、女児は必ず一人は生まれ、また、一人しか生まれないから
大切にされるものだと思い込んでいた。
意識の根底に残る、優越感。
誰一人、他人の意識を我がことのように考えることはできない。
誰もが初めは必ず、自分は特別だという意識を持つ。
年とともに剥がれ落ちるそれを、清は人より長く持っていた。それだけのことだった。
… …… ……… ……
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「清はすごいなぁ」 |
八矢直
ハチヤナオ。栄平16年生まれの14歳。次男。あまり出来が良くない。
清の描いた絵を広げ持ち、次兄はそのように清を褒めた。
冬休みの宿題だ。一番楽しかった事を絵にする。
清は年末、家族みんなで旅行して、雪だるまを作った時のことを描いた。
雪だるまはとても上手く描けたが、もう少し小さく描くべきだったと思う。
紙面にもっと余裕があれば、自分がもっと大きく描けたに違いない。
隙間に詰め込むように描かれた自分はなんだか情けなくて、
だから清にとって、この絵は失敗作だった。
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「すごいよ、とってもすごい。 よく描けたねえ、清はすごいよ」 |
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(失敗作なのに) |
清は、絵が好きだ。
八矢の家には祖父母の道楽で買い集められた古今東西の絵画や芸術品がいくつもあった。
祖母と、清が3歳になるまで存命だった祖父は、まだ話せもしない清を抱いて廊下の、
客間の絵を解説し、美術館を歩いたという。
加えて清の祖母も絵を描いたから、清も絵に興味を持った。
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(おばあちゃんみたいなのが、描きたいのに) |
祖母は日本画を描いた。
一つ一つが、まるで宝物のように美しい筆を使って、
岩絵具で、花を、美しい婦人を、今にも動き出しそうな動物を描く。
色とりどりとはいえ、ただの粉としか見えない岩絵具が、
祖母の手によって美しい絵になる様は、魔法でも見ているような気分になる。
ぴしりと着物を着こなして、細長い指で筆を操る様、それこそが絵画のひとつのようで
それを思い浮かべれば、自分の絵は、ひどくつまらない絵に見える。
清が着ているのは、お気に入りとはいえ普段着で、画材もただのクレヨン。
挙げ句の果てに失敗作。
……こんな絵を褒めて、馬鹿みたいだ。
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「おにい、バカっぽいこと言うからキライ」 |
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「ええ?すごいって言ってるだけだよ?」 |
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「すごいのほかのコトバ、おにいは知らないの?」 |
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「知らないのお?」 |
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「やめなさい。清、正も!」 |
八矢明
ハチヤアキラ。栄平13年生まれの17歳。長男。賢くて真面目。
八矢正
ハチヤタダシ。栄平24年生まれの6歳。三男。明るいお調子者。
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「褒めてもらってるのに、そんな事言ったらダメだよ。 それから正も、尻馬に乗るんじゃない」 |
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「シリ!シリだって! ぷーぷぷぷ!おしーりぺんぺーん!」 |
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「こら、正!下品!」 |
口を挟んできたのは、長兄の明、そして末弟の正だ。
まだ小さい正はいつも上の、特に年の近い清の真似ばかりする。
正が清の真似をするのもいつものことなら、明がそれを叱りつけるのもいつものことだった。
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「お兄、ぼくおこってないよぉ。 清と正がかわいそうだから、おこらないであげて」 |
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「そうだよお、かわいそうだよぉ」 |
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「正!!」 |
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「直は二人に甘すぎる。 お父さんも言ってただろ。怒るときは、ちゃんと怒りなさいって」 |
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「……うーん……でもぼく、おこってないし。 おこる時とか、わかんないし」 |
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「…………」
「言われた人が怒ってなくても、悪い言葉を使っちゃいけません。 正、お兄ちゃんにごめんなさいは?」 |
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「えー。ごめんなさぁい」 |
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「清」 |
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「……なおにい、ごめんなさい」 |
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「いいよお。二人とも、ちゃんと謝れてえらいねぇ」 |
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「またそんな……まあ、いいか」 |
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「ほら、描き終わったなら、皆で初詣に行こう」
「お母さんが、露店でお菓子買ってくれるって」 |
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「おかし!ジャガバターがいい!」 |
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「ぼく、カルメ焼き~」 |
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「クレープ!」 |
… …… ………… …
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「……おにい、なおにい」 |
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「うん?どうしたのぉ、清」 |
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「あのね、さっき、ごめんね。 きよ、ほめてもらったのに……」 |
初詣の帰り道。
クレープを買ってもらって歩く夕暮れの道すがら、清は改めて直に謝った。
やっぱり、あれはひどかったな。あんな言い方悪かったなと、思ったのだ。
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「さっき謝ってもらったのに、何で2回も謝るの? あき兄だって、もう怒ってないでしょ?」 |
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「おい、僕は別に、清に怒ってるんじゃなくて……」 |
長兄は厳しかった。
清が我儘を言えば諫めて、弟が調子に乗れば叱った。
大きい声で怒られるのが、清は好きではなかった。
うるさいし、びっくりするし、ダメだと言われれば悲しい気持ちになる。
でも、長兄が言うことが正しいことも、よくわかっているのだ。
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「あ!神様に怒られちゃうと思った?」 |
なのに、次兄はまたそんな事を言う。
ちゃんと自分で考えて、やっぱり悪かったと思ったのだ。
だけどそれを言えば、また賢いすごいが始まって、会話が進まない。
自分で考えられて偉いね。あき兄の言うこと聞けて偉いね。
何にも、偉いことじゃない。当たり前のことなのに。
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「…………うん」 |
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「大丈夫だよ。 神様は、清がいっつもいい子だって、ちゃんとわかってくれてるよ」 |
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「ほんと?」 |
すぐに不満は吹き飛ぶ。
神様よりも、次兄がそう思ってくれたことが嬉しかった。
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「本当、本当。清はいい子だよ」
「だから神様も怒らないし、あき兄もホンキでおこってないよ。 ぼくはほめるのヘタクソだけど…… 清、絵は好き?」 |
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こくん |
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「きっと絵が大好きだから、悪いところにいっぱい気付いちゃうんだね。 それはね、清にサイノウがあるってことだよ」 |
兄の丸い手が、清を撫でてくれる。
もう撫でられて喜ぶような子供じゃないと、そんな生意気、今は言う気になれない。
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「お兄ちゃん、清がえらい絵描きさんになれるようにって、お願いしたからね」 |
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「女流画家か?テレビでやってるみたいな?」 |
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「それもいいし、お祖母ちゃんみたいな感じでもステキだよねえ」 |
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「うん、きよ、おばあちゃんみたいになりたいなあ。 おばあちゃんみたいにケッコンして、コソダテして、 お教室でみんなとケーキ食べるの」 |
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「あーっ!ただしもケーキ!ただしも、そこでシゴトする!」 |
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「ただしちゃんは、絵がヘタだからダメ!」 |
そこまで話して、気づく。
謝るつもりだったのに、嬉しくなってしまった。これじゃいけない。
しっかりと謝って、兄にもう一度「良いよ」と言ってもらわなきゃならないのに
そう思っていても、兄の手が額に触れると、眠いような、満ち足りたような、
暖かな気分になってしまって、結局、もう謝れないのだった。
… …… ………… …
清はこの時、自分の生まれたこの家は、特別な家庭なんだと信じていた。
裕福な家だったし、父も、祖父も、遡れば曽祖父も、尊敬される仕事をしていて有名だった。
家だって広く、大きくて、近所の誰もが、八矢と聞くと「ああ」と頷く。
テレビで見るような喧嘩だって、家の中では見たことなかった。
何より特別なのは、素晴らしい家族がいること。
賢く、いつも正しい長兄の明に、優しい次兄の直。
弟の正は少し生意気だけれど、運動神経も良く、どこか憎めない愛嬌があった。
そして、少し厳しいけど尊敬できる父と、いつだって優しく包み込んでくれる母と。
こんな素晴らしい家族のいる自分は、世界に一人の、特別な存在なのだと思っていた。
空気がなくなる心配をしないように、空が落ちてくることを恐れないように、
満ち足りた暮らしがこの先も間違いなく続くことを、疑いすらしていなかった。
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「……あれ?じゃあおねえ、パパみたいなえらい人になんないの? きのう言ってたのに!」 |
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「結婚しても仕事できるだろ。お母さんだって働いてたし」 |
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「何にでもなれるよ、清も、正も」 |
そう言って、兄が手を繋いでくれる。
丸っこい手。あったかくて、不器用で、家族の誰より優しいてのひら。
ばかな兄だった。
兄弟で一番、成績が悪くて、徒競走だって一着になるのを見たことがない。
何を言われたって怒らないし、今日だって、失敗作の絵なんて褒めたりして。
でもそんな兄が、清はいつも大好きで、大切だった。
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「みんなトクベツなんだから」 |