
侵略なんてと思っていたものの、意外と近くにはその影響が出ていたらしい。
まだこんがらがって混ざり合っている記憶を、ひとつずつ解いていく。
近所も、学校も、バイト先も。1、2人は知らない人物が紛れ込んでいるようだ。
はっきりしていない記憶の中からも掘り出せる疑わしい人の多さに、軽く頭痛がする。
冬園ゆりはもういない。あの日、俺の両親が連れていってしまった。
冬園立花は変わらない。あの事件からずっとずっと眠り続けている。
深谷……本名は三劔さん、だったか。あの人と清さんは、元々いなかったはずだ。
少なくとも半年前にあの二人は、いなかった。
……ただ、もしかしたらワールドスワップとやらの影響で少し時間がズレたり、向こうも同じように記憶が改変されているのかも、しれない。
二人共普通の……ちょっと普通ではないかもしれないけれど、いい人達に見えたから。自分達と同じ側の人々であればいい。……この世界で、会えなければいい。
守谷さんは……記憶に間違いがなければ去年からいた、はずだ。たぶん。
「おそば!そうめんじゃないメン!!ひゃふーー!!」と幼い従妹が小躍りしていたという偽の記憶が煩すぎて、その辺りの記憶が上手く掘り起こせない。
……なんでこいつは偽の記憶の中でもこれだけ煩いんだ?
ハイコーは……ほんとに見覚えなかった顔多いな。あの一件がなくても廃校一歩手前だったのでは……?
まぁ、それはともかくだ。
黒唯永生という同級生はいなかった。ただ、黒唯という苗字には聞き覚えがある。もしかしたら、違う誰かが居たのかもしれない。
その誰かと話した事があまりなかったんだろう。誰かがいたというのは覚えているのにはっきり思い出すことはできないのが、少し歯痒い。
『黒唯 千勾』という名の後輩もいなかった、はずだ。けれどあの顔には見覚えがある。
つまり……どういう事だろう。黒唯兄弟という括りに収まったことで名前が変わったんだろうか?
しかし、エイキの言っていた事はある意味間違いなかったようだ。あいつらに血縁関係は元々なかった。イバラシティでの俺はそれに気付きもせず、今この瞬間もあの兄弟に関して胃を痛めているというのに。
そんな事を考えながら、端末を操作して短いメッセージを送る。
恐らく、あちら側なのだろう。けれど、もしかしたらが捨てられない。
会いたいと思っている訳ではない。出会わないのなら、それで構わない。
それから、それから。
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春原 「……ユーリ」 |
社夢璃。ユーリは、あの夏。冬花荘にいなかった。
上書きされた記憶以外に、彼女の姿を探し出す事はできない。
……いや。まだ、思い出せていないだけかもしれない。そうであったらいい。
うちに来なかった、出会えなかったという話なら、いい。
『―――まこちゃん』
自分の名を呼ぶ女の声は、いったい誰の声だっただろう。
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―――神様というものは意外と万能ではない。
信仰が薄くなれば力は弱まるし、人に忘れられれば消える。されど自ら働きかける事はできない。
だから、信仰を失って随分経った『かみさま』は、本来消えて然るべきものだった。
……けれど、『かみさま』はそうならなかった。散々人々の間に争いの種を撒いて爪痕を残して、悪神として名を残してしまった。
そうなると、名を忘れられても存在は消えない。こうして名を忘れたのに消えない、『勇者』によって自分が消されるまで狂い続ける名前もない神が出来上がるってワケ。
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春原 「なるほど。つまり今のお前には名前が無いと」 |
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『かみさま』 「いっぱい喋ったのにまるっと無視されて要点だけ一言で纏めてきた……」 |
不服そうな顔で、『かみさま』と言い張る子どもはこちらを見ている。
名前聞いたら長々とそちらの世界の神様の話された俺の身にもなってほしい。
もっとこう、名前がなくても他のやつにはこう呼ばれてたとか、そういうのはなかったんだろうか。
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『かみさま』 「あったらもう名乗ってるよー。全部忘れちゃったからわかんないんだよ。だからってこっちでも『ゆり』とは名乗りたくないし、君だってそう呼ぶのイヤでしょ?」 |
人の心を読むんじゃない。
……とはいえ、こいつを『ゆり』と呼びたくないのは事実だ。
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『かみさま』 「でしょ?じゃあ、君が考えないと。君はぼくの信者なんだから、このぐらいやってくれないと!」 |
誰が信者だ、誰が。
……しかし、名前か。そうだな……
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春原 「……マル」 |
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『かみさま』 「は???」 |
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春原 「マル。お前の名前」 |
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『かみさま』 「別に聞こえなかったから聞き返したワケじゃないんだけど!君、ネーミングセンスないなーーーー?そんなペットみたいな名前ある???」 |
あるも何も、マルというのは元々昔うちで飼っていたペットの名前だ。
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『かみさま』 「そんな悪びれもなく??? なおワルーーーーーイ!!えーーー、そんなに名前考えるのイヤだったの?だからって拗ねないでよ!」 |
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春原 「だから心を読むなって。それに、別に拗ねてない。 いいから早く行くぞ、マル。時間は限られてるんだから」 |
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マル 「えっ嘘でしょ?ぼくの名前これで確定?本気?ちょっとー!イギありーーーー!!」 |
ぎゃーぎゃーと文句を言いながら周りをうろちょろする『かみさま』もといマルを無視しつつ、草原を進む。
……見知った顔がいればいい、元気でいればいい、逢えなければいい。
抱いてしまった疑念や言い知れぬ感情を飲み込みながら、歩いていく。
―――赤く染まった空の下で。
些細な願いを打ち破るように、短い通知音が鳴り響いた。