侵略戦争に於いて、今まで三種類の存在を目にしてきた。
―― イバラシティで生まれ、イバラシティに与した者。
―― アンジニティに堕ちて、アンジニティに与した者。
―― それから、同類のくせにイバラシティに与した裏切り者。
最後の一つに、眉根を寄せる。
……訳は想像できる。大方、イバラシティの記憶に絆されでもしたのだろう。
記憶。イバラシティの住民に扮するために用意された皮。
自分にだってそれは有る。だが実際にイバラシティで過ごしたのは僅か三ヵ月ほど。
あとの十六年分は、ただの植え付けられた情報に過ぎないのだ。
三ヵ月で、……三ヵ月で、何が変わる。変わる訳がないだろう。
「分かんねえよ。理解できねえ」
ぽつりと零れた言葉は、どこへと届くこともなく。暫しの残響を残して、風に消えた。
『守りたいと思える人が出来た』。
"あっち側"についたアンジニティも、そんなことを言っていた。
……理解してないのは奴らのほうだ。
その選択の意味を分かっているのか。
この機会を逃せば、もう二度と抜け出せないかもしれないのに。
希望無き世界から。絶望から。あの日から。
まさか、……まさかそのさだめさえ呑み込んで、"あっち側"に付いたのだろうか。
仄暗い世界に落とされた、一本のか細き救いを。
自ら断ち切ろうと思える程、守りたいと思える人が出来たというのか。
アンジニティに堕とされた者の背負うものはそれぞれが異なる。その胸中は計り知れない。
そんな彼らがイバラシティにて、何を得たのかを知る由も無い。
それを加味してでも、やはり理解できない。分からない。
イバラシティの記憶なんて、全てがまやかしなのだ。あれは侵略の暇に視る、泡沫の夢。
そんなものの為に自らの未来を切り捨ててでも身を捧げるなんて。
後戻りなんて、出来ないのに。
きっと、おれはそれを理解してはいけないのだろう。
おれは、怨霊と呼ばれてきた。
百年くらい前だったかな。あともう数十年くらいあるかもしれない。
その時おれは死んだのだ。
だが黄泉の国へ往くには、世界に未練がありすぎた。
――傍に来て欲しいのなら、引き摺り込んでしまえば良い。
その手を取って、暗くて冷たい水底へ。
瞳から光が失われていく間際に、奴らはおれと同じ世界を視る。
"怖くて、苦しくて、寂しいだろう。わかるよ。おれもそうだったんだ"って、嬉しくなる。
この地獄のような場所で、おれの憎悪や無念や絶望を刹那なれど分かち合うことが出来るから、だからその手を、
気付けばおれは、怨霊と呼ばれるものになっていた。
それから今まで、ずっとそうやって過ごしてきた。
もう戻れないとは分かっているけれど。それでも、もしかしたら。
こうしていれば、いつの日か何かが変わるかもしれない。そんな微かな期待を持って。
そして、ようやくそれが叶う時が来たのだ。
百年の渇望と、三ヵ月の生。どちらに天秤が傾くかなんて知れている。
おれは"あっち側"には行かない。
チャットの受信が示す通り、この侵略戦争には顔見知りも数多く参加しているらしい。
イバラシティのおれが親しく思っていたからって、なんだというのだ。
あいつらは、この戦いに於いて、敵だ。
精神攻撃なんて効くものか。怨霊というものは、怨念だけで出来ているのだから。
……寧ろ、親しいというのは好都合だろう。
こちらに心を開いている者は、より深い絶望を感じて沈んでゆく。
おれと同じところまで堕ちてきてしまえば良い。
その時は、一緒に底から空でも眺めよう。