(before at 2:00)
体育の授業でも走ったことないくらい、本気で、全力で走って。転んで、歩いて躓いて、また走って。
約束していた辺りで、無事に千穂ちゃんと会えた。
千穂ちゃんはいつも通り、「にししっ」って、人の好い笑みを見せてくれて。私はほんとに……本当に、ほっとした。
おんなじソラコーの先輩だっていう慕先輩と、ちょっと寡黙そうな一穂くん。初めましての二人。
千穂ちゃんは、とっても頼りになる。だけど、千穂ちゃんにばかり頼っていられないし、二人よりも四人の方が、もっと心強いから。
私は慕先輩と一穂くんの手を、取った。
みんなと、一緒だから。だからこそ私は、怯えていられない。笑っていないといけない。そうしないと、きっとまた私は――
ざざっ、というノイズと共に、VRチャットの画面が少女の眼前に映し出される。
未だに安否が不明だった者からの連絡を受けて、少女はほっと胸を撫で下ろした。
しかし――
「…………どう、して」
触れられないの、という言葉は、声にならなかった。
車椅子の少女からのメッセージを再生すると、少女は一度、自分の目元を指で拭った。
それでも溢れた想いは一滴、また一滴と、荒廃した地に落ちていく。
通信機能が映し出す映像は、まるで対話の相手が目の前に存在しているかの如く鮮明でリアルだ。
良くも悪くも、今はその技術の優秀さに腹立たしさを覚える。
泣いている相手に手を伸ばすことができない。大丈夫だよ、心配ないよ、と抱き締めることもできない。
相手に届けられるのは、触れることのできない虚構と、言葉だけ。
気付けば、拳を硬く握りしめていた。
傍には居られないが、幸い、向こうも知り合いと会うことができたようだ。こうして通信も繋がる。
それだけで良かったと、そう、自分に言い聞かせて。
他に、まだ連絡が取れていない知り合いで特に安否を確認しておきたい人は、と思考を切り替える。
学生寮の寮母と、同じ高校の先輩――既に卒業式を終えた、園芸部の穏和で淑やかな少女の顔が浮かんだ。
彼女達にも連絡を取ろう、と思い立つ。その時、更に通信が入り――
――微笑みを浮かべたまま、少女は返信を終える。その時の少女の顔を、見る者が居たのなら。
“まるで抜け殻のようだ”と、評しただろう。
真っ白で、頭が上手く回らない。だから、彼女はいつものように。思考すること自体を、放棄した。
――時計の針は、回り続ける。
◇
(at 2:00)
「……っ!?」
ぐわん、と脳内を揺さぶるような衝撃。次いで気分が悪くなりそうな感覚に、少女は頭を抱えて蹲った。
単なる頭痛ではない。脳内に無遠慮に直接手を入れられて、無理矢理スペースを抉じ開けられて。
記憶がぎゅうぎゅうに押し込められた段ボールを、幾つも無造作に詰め込まれるような。
「……っは、―――」
スカートの裾をぎゅっと握り、記憶の奔流と混濁に耐える。
この気分の悪さならいっそ気絶してしまった方が楽かもしれない、と少女は思う。
相良伊橋高校で卒業式が行われた記憶が流れ込んできたのは、ほんの一時間前。
なのに今では、高校はもう春休み期間に入っている――。
十日分かそれ以上の、イバラシティでの記憶。
ハザマではこうして実際に侵略が始まり、今もなお進行中だと言うのに。
慕っている先輩が、創峰大学に合格したという一足早い桜の開花報告と一緒に、ステキな贈り物を持ってきてくれた。
もしかしたら進学先はイバラシティの外で。先輩と会うのは、これっきりになってしまうんじゃないか、って思ってて。
報告を聞くまで、不安だった。
“これからもよろしくお願いします”。先輩の口からその言葉が紡がれた瞬間に、私の心にも、春の風が舞い込んだみたい――
ウシ区にある、今は営業してないゲームセンター。ひっそりとした店内の階段を登って、向かった先。
六階建ての屋上から見下ろす、夕暮れのウシ区の街は新鮮で。茜色に煌めく様が、とってもキレイだった。
途中で買ったクレープを頬張りながら。のんびり景色を眺めていたら、私以外にも、屋上に上がってきた人たちがいた。
ぶっきらぼうだけど、根は優しそうなおにーさんと。避田高校生の、元気いっぱいな女の子。
二人とお話した数時間は、濃くて。それに、ウシ区の守護像前のたこ焼き屋さんの並ぶ通りは、とっても良い匂いがしてて――
嵐が丘さんのお店にあった十字架。前はなかった気がする。
あの声の持ち主は、一体誰だったんだろう。嵐が丘さんに聞いてみれば、知ってるかな――
ホワイトデーに学校の屋上で、最近よく話すようになった気がする男の子から、バレンタインデーのお返しをもらった。
それもクッキーだけじゃなくて、小さな可愛いクマのぬいぐるみも一緒。
私がバレンタインデーに彼にあげたのは、みんなにも配っていたチョコレートブラウニーだったから。
ちょっと不釣り合いで、もらい過ぎちゃってる、そんな気もする。
贈り物のお礼の、贈り物。私はいつも、自分の好意でプレゼントをしているから、
お返しはいいよって、思ってるんだけど。それでも、やっぱりもらえると嬉しい――
二度目の感覚で、少女は確信する。“イバラシティでの自分たちは、ハザマの記憶を持たない”のだと。
1日1日の記憶が、重く――普段は何気なく過ごしている日常はただひたすらに、暖かくて。
愛おしく大切なものだと、感じさせられるようで。
――“いつもと変わらない日常”が、向こうでは続いている。
The evening.3