生ける闇が支配していた通路を抜け、四人は脇の階段を駆け下りる。
死体はそこら辺に転がっていたし。風も吹かないのに物が動いていたり、どうすれば鳴るのかわからないような音が聞こえてきたりもした。が、そんなものに一々注意を向けていては命取りとなる。
下のフロアへ降り、通路を走り抜け、四人ははたして"DEPOT-8"と書かれた―――『ハチバン倉庫』の大きな両開きのドアの前にたどりついた。
「あー、中もどうなっているやらな……」
「実、余計なこと言うんじゃねえ」
先程手のひらを傷つけられたはずの一穂が、率先してドアの取っ手を掴んでみせる。
「一穂!? 大丈夫なの!?」
「早く開けましょう。皆さんも手伝ってください」
言われるまま、美香は一穂の持つ取っ手を引く。実と昭は反対側を掴み、引っ張った。
ゴゴ……ギギィー。ドアの向こうは、これまでのように赤く染まってはいないらしい。コンテナ群の背景となった白い壁が、どうにも目に刺さるようだった。
続いて、ひどく冷えた空気が流れてきた。音はない。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「……何、これ……。」
倉庫の中を見ると、立ち並ぶロッカー群の合間に、石膏でできているような人体の像がいくつも転がっていた。
近くで見ると、白衣を着ていたり、自分たちのよく知るアーマーを着た戦闘員だったりする。触ってもみたが、完全に硬化していて動く様子もない。
「た、為知さんは!? ロシュさんも、カール先生も……」
「動き回らないでください。発声も可能な限り控えるように」
「か、一穂……頼もしいよ。こういう時は」
やはり一穂を中心に、実、昭、美香が百二十度ずつをカバーするような格好で倉庫に入る。入口のドアは、閉めておく。
「入口ドアには、目立った傷などはありませんでした。他に外部と繋がっている箇所としては、エアダクトと集配センターに続くコンベアがあります」
ゆっくりと歩きながら、淡々と小さな声で説明する一穂。
「ちびっこいバケモノでもいるってことか?」
「寄生虫か何かに忍び込まれたのかもしれないわね。実体がないデビアンスって線もなくない?」
「そ、それより……カール先生たちは……」
かつては生きた人間だったのであろうそれらを、一つ一つ目視でチェックしてはいるが、今の所それらしいものは見つかっていない。
「なんとか生きてるかもしれねェだろ。助けなきゃ」
「ここでの最大の目的は時空間安定プログラムの起動です。カール博士が死亡していた場合は、僕たちでやらなくてはなりません」
「その薄情は困るんじゃなくて……時空間安定なんて言われたってやり方わかんないわよ、私たち」
「僕は昨年の事件で手順を記憶していますので、可能です」
「二重に頼もしいな、一穂……でもそれはそれとして先生たちは助け―――」
言い切る前に、実は視覚に違和感を感じた。
「お、おい、なんか明るすぎないか? この部屋……」
ここに来るまでずっと、電気が落ちて暗い場所だったというのはある。けれど、目が慣れる位の時間はもう経っているはずだった。
「や……これ、違うわ……モノが明るくなってるんじゃなくて―――」
「目を閉じてください」
一穂が促すと、三人全員その通りにした。けれどその一穂だけは、目を開けたままでいる。
「ま、まぶたが焼けそうだッ! 一穂、どうなってる……!?」
昭が悲鳴をあげた。
「静かに……」
一穂は白一色に染まりつつある景色を、苦しむこともなく見つめていた。
足元に注目する。床に伸びる、昭の、美香の、実の影。それらがまさに、増殖する白みに侵食されている。光が強まっているのではない……何か別なものが浸潤している。この部屋の有様が、その何かによるものなのだとしたら。
―――パッ! ガシャ!
「はっ!?」
破裂音に実は思わず目を開ける。さっきほど、眩しくない……
パス、ガシャッ! 二度目の音に振り向くと、一穂がハンドガンで倉庫の照明を撃ち抜いていた。
「何やってんの!」
「生き物の影を餌にするデビアンスのようです。闇に紛れ、影を隠せば攻撃を回避できます」
「そういうもんか!?」
この位置から目に入る照明を片っ端から撃ち落とすと、一穂は跳躍し、一方のロッカーを蹴って、その勢いでもう片方の上に手をかけた。三角跳びというやつである。ロッカーの上に登った一穂はさらに照明を破壊していく。
「ねえ、この後どうすんの!? 他のデビアンスがいたら……」
美香の叫びを聞いた一穂は一瞬銃撃をやめ、倉庫の、入り口と対角線上にあるコーナーを指さした。
「配置の変更がなければ、あの場所に時空間安定プログラムが収納されています。確認してください」
「おっしゃ、任せろ!」
どんどんと暗くなっていく部屋の中、昭は走り出し、美香と実も続く。
入り口から反対側の壁に突き当り、足首で踏み込んでターンして、その先に白いスライド扉を見た。半開きになっている。その先には八角形のトンネルが続いていた。オレンジの小さな照明が決まった間隔で配置されているが、薄暗い。
が、そんな中ですら、三人は通路の先に佇む白衣の人影に気づくことができた。
「……ロシュ、さん!?」
三人は狭いトンネルに靴音を響かせた。視界の中で白衣が拡大する。一人は金髪で、一人はふくよかで、最後の一人は、老いてこそいるが、背筋が伸びていて……
……彼らは、三人に、振り向いた。
目が、鼻が、口が、ない。
それらがついているはずの頭に、穴が空いている。黒々と闇をたたえた空洞だ。
「―――デビアンスーッ!!」
美香が叫んだときには、既にこの三つの頭の虚ろから濁流のように赤黒いものが流れ出していた。血液ではない。妙な光沢をもち、液体と固体の合いの子のように感じられる何かだった。
三人はすばやく取って返し、元いた倉庫へと飛び出す。一穂の行動により、半分以上が既に闇に包まれていた。
その一穂もすぐに事態を察した―――逆転の一手に繋がっているはずのドアから赤黒い流れが吹き出し、壁と床とに飛沫を撒き散らしながら、仲間たちを呑み込まんとしている。
さらに悪いことに、三人の影が急速に蝕まれているのも見えた。
「あッ……ぁ……!」
実は、まさに危機にあった。
視界が三秒もしないうちに真っ白になり、逃げるべき敵と追うべき仲間の特徴が判別できなくなった。音も聞こえなくなっていき、地面に立っているのかどうかすらももはやはっきりしない。
ただ一つ、生きている感覚は……
ガチャ、ガチャン!
暗闇が実に降り注ぎ、白の侵食を食い止めたが、その闇の中には赤黒いものがいる。床の上数十センチのところから伸び、実の腹を脇から狙う。
「実!」
「アッ!」
実は、一瞬、動かなかった。
脇腹に迫った触手が、寸前で折れ曲がる。実の周囲を回って上方に伸び、そこから彼の口めがけて飛び込んでこようとする。
が、それが予測できていたかのように、実は屈み込んだ。触手は空を切り、実は床を転がって逃げ切る。
「ええいッ!」
昭が、近くに来た実を脇の下からひっつかみ、抱え起こす。
「倉庫を出てください!」
一穂が促すが、いわれるまでもない。
四人は全速力で倉庫の大きなドアを抜け、一穂以外が閉めにかかる。その一穂は、中から抜け出てこようとする赤黒い塊を見据え、銃を構えていた。
……パンッ!
放たれた銃弾は小さく、ただの人を殺すのがやっとのものだったのに、それを受けた塊は進行を止めた……身をよじり、もだえ苦しむようにのたうち回った。
その間に残る三人がドアを閉めてしまう。塊が暴れる音がくぐもって、だんだん小さくなり、割とすぐに聞こえてこなくなった。
☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆ ○ ☆
「ハァ……ど、どうすんだこれから。ロシュさんたち、死んだ……のか?」
今の所、この空間にはデビアンスはいない、はずである。壁にもたれかかった実が問うてきた。
「セキュリティは全滅、動かせって言われたものも動かせないんじゃ、多分見捨てられるでしょうね、私達」
「み、見捨てられるって、自爆させるのか!?」
「馬鹿ね、この地下帝国でそれはないわよ。でも私達ごと皆殺しってのは確かじゃなくて?」
「じょ、冗談じゃ!」
「……行きましょう」
気づくと三人に背を向けていた一穂が静かに言う。
「行くって、どこへ?」
「このスフィアの最下部に、僕らだけでも助けてくれるであろうデビアンスがあります。それを使いましょう」
と、一穂は赤々しく染まった通路の奥を目指して歩き出す。
その頭からは玉のような汗が何粒か流れていた。