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覚えのある街並みが眼前に広がる。しかしそこは荒れ果てていて、人気も無く、記憶にあるそれとは決定的に異なっていた。
例の
アンジニティとやらが攻めて来たにしては、既に事が終わっているようにも見え、先程の怪物の存在意義に首を傾げる。
以前、核によって荒廃した世界を自由気ままに旅するゲームに熱中した時期があった。そのせいもあって、視界に飛び込んでくる一々に律儀に驚きはしなかったが、それと同じシチュエーションをイバラシティに当てはめてみれば、正しくこういう状況になるのだと不思議な高揚感を覚えるばかりだ。
あれにもVR版はあって、当然一頻り遊びもしたけれど、そんな発展途上の疑似体験ではありえない現象の幾つかを確認してしまった。
双海七夏はジャンルを問わずあらゆる遊戯へ興味を示してきたが、ことデジタルなゲームに関しては公正を貫いてきたつもりだ。
身に宿した
人ではない力と、電脳化によって得た電子技術。その二つをゲームの世界に持ち込まない。あくまで対等の条件で勝負に臨む――というのが、彼女の心情である。
ところが赤黒い怪物と対峙して、あの黒スーツに唆されて。咄嗟に「これは危険だ」と考えを改めた。
"貴方の能力に、期待していますよ……?"
いつか聞いた男の声が頭の中で木霊する。文言から察するに、あれこそが始まりの合図だったのか。
能力、という部分が引っかかり、改めて自分の状態を確かめる。身体機能を計る各種ウィンドウを視界のあちこちに散らしながら、周囲の状況、いま身につけているもの、そして自分の持つ力が万全かどうかを、一つひとつ丁寧に調べていく。
先の戦いでの疲労が抜けていないこと以外で、肉体面の異常は検知されない。寧ろ普段よりもよく動けるような感じすらあるが、興奮していただけとすれば不自然ではない。電脳内も、電波がよろしくない点を除けば至って正常である。
衣服や装備に関しても日頃外を出歩く時と同じようで、例のボストンバッグこそ無いものの、携帯用の外部記憶装置とヘッドホンを模した有線用のチョーカーはしっかり手元にある。尤もこの環境で電子戦が求められるとも思えず、ただひたすらに邪魔になるだけであろうが――
この世界での出来事のバックアップが取れるのは間違いなく大事だ。
能力については凡そ普段通り。寧ろ"ミクスタ"が同伴出来ている。守り人として過不足なく活動出来るというのは精神的に大きなプラスとなるはずだ。
それらの装備や異能が、五感で感じ取った諸々の情報が、そして何より己のゴーストが、少なくとも
ここはゲームの中ではないとの結論を弾き出した。
別に何かが解決するわけではないと分かっていても、その場その時で自分の答えを出していく。
でなければきっと思考の海に沈んだきり、浮かび上がってこられなくなる。
ただ今後誰かと出会い、行動を共にするとして、また能力を秘匿して過ごすべきかどうかは心が揺れている。
恐らく"夢"を見るか"声"を聞くかした者は全員がこの場に集められているのだろうが、仮に何処かで見知った相手と鉢合わせて剰え敵対するようなことになったなら、一瞬決断が鈍るだけでそれは命取りになり得る。
些細な拘りのせいで大切な誰かが傷付くようなことはあってはいけない。
そんな小さな
自衛なぞ捨て去って、昔のように覚悟を決める。なるべく早く。
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七夏 「キベルネテス "この子"を曝すことを躊躇わない、覚悟……」 |
いずれその時は来る。そんな予感が胸中で芽を出していた。
◆ ◆ ◆
ふと空を見上げると、やや古臭さを感じる『LOGIN』の文字がそこに浮かんでいた。
注視するうち、本当にログインしているかの如く文字が切り替わり、幾つかの情報が映し出されていく。この世界のこと、どこに誰が居て、何が起きたか――といった重要な事柄の数々。それに付随するチャット機能を目にして、つい声を荒げるかのように勢いでメッセージを送信すると、その前時代的なタイムラグで目が覚める。
生憎と情報の反映はリアルタイムではなかった。
どうやら視覚野の不具合でも電脳に干渉されているわけでもなく、この世界の持つシステムの一つであるらしいことは伝わってくる。
この世界はゲームの中ではない、と一度は決めつけておいて、そう間を置かぬうちに再び頭を抱えそうになった。
なまじ能力の性質上、力が使えるからといって仮想現実というものを完全に否定しきれないのが面倒なところであり。
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七夏 「開始直後に能力の半分までは確認が取れたのは幸いだった、けれど」 |
カードは出せる。視覚的な細工も不備はなく、"電脳世界"も果たして充分に機能していた。
しかしその先はどうだ。確かめるに越したことはないが、可能なら使う機会が訪れない方がずっといい。
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七夏 「発想がループしてやいないか……」 |
結局、思考の行き着く先は覚悟の話になるのか、と自分に呆れる外ない。
ともあれ、空のあれが幻覚でないのなら、送ったものに対してじき何かしらのレスポンスが返ってくる。
あんなものでも役には立つはずで、どれだけのことが出来るかくらいは知っておいても損は無かろう。
空に浮かぶ『Cross+Rose』とやらの機能の一つ、歯抜けの多い名簿に目を通していて、幾つか顔と名前の一致しない人物がいること、そしてそれらのある共通点に気が付いた。
彼ら彼女らがイバラシティに属する人間か、アンジニティとして侵略する側か、といった至極単純なものだけではない。
以前から気になっていた"夢"、内容を大きく二分出来る理由に当てはまりうるのだと。
あれだけ探していた『鍵』、パズルのピースがこうもあっさりと見つかってしまうのは、いくらなんでも。
◆ ◆ ◆
――。
――――。
――――――。
いつになく、思考が鈍い。
その原因が自分の送ったそれと入れ違いになる形で受信した件のメッセージにあることは明白だった。
"……私は……『アンジニティ』の人間だから……"
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七夏 「…………」 |
胸中に湧いて出たこの気持ちは、
裏切られたとか
失望したとか、そういった負の感情とは違う。
どちらかと言えば、
理解や
納得の方が近い。
このところ彼女に対し抱いていた些細な違和感の正体として、『
アンジニティ』はおそらくこれ以上ない答えのはずだ。
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七夏 「かりん――いや、"あの時"の夏鈴は……そういうこと、だったのか?」 |
それを会って直接確かめるだけの勇気が、果たしてあるのか。
"わたしにとって、かりんはかりんだよ"
屋上でのやり取りが脳裏を擦過する。
確かに、
立ち塞がるのであれば腹を括るつもりでいた。
けれど、あの口振りからすると中身まで完全に別人というわけではないだろう。少なくとも、記憶は同一のものを有している。
自分の知っている"雪瀬かりん"であるのなら、口にした決意を曲げるようなことは起こり得まい。
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七夏 「自分で自分を疑うなんて、らしくない。 わたしだって散々隠し事をしてきただろうに――」 |
彼女を信じている自分自身を信じられなくてどうするというのだ。
細かい部分は後回しにして一先ず合流を急ぎ、改めて状況を整理すればいい。
それからでも、遅くはない。
こんな疑念が生じるのは、いつかの再現を恐れているせいか?
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七夏 「"みーちゃん"……未来、わたしは……」 |
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