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【Rewind】
無かったことにはできないが、隠すことならできる。
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ここまでのあらすじ。
昔々。
大事なものを護る為、万物を殺し、現世から放逐された姉と。
大事な姉を諦めず、己の死後も現世に引き戻さんとした弟がいた。
紆余曲折あり、弟の子孫を器とした成り替わりは成功しかけ、
そして失敗した。筈だった。
だが不可解にも、弟は『小佐間 御津舟』の中に。
姉は『小佐間 美鳥夜』の中に。
それぞれ生誕時点から意識が接続されていた、『と言うこと』になり。
美鳥夜が攫われた時。
兄妹は、姉弟に意識を明け渡した。
小佐間 御津舟と、小佐間 美鳥夜を生かすために。
そうして。
妹の体を借りた姉の回想から、物語は再開する。
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アンジニティ
この世界が『否定の世界』と呼ばれる場所だと知ったのは、
何時の頃だったろうか。
放逐された直後。
何かが起こったのは分かったが、何が起こったのかは分からなかった。
何がいるのかは分からなかったが、ろくでもないものしかいないのは
ここまでの経験からすぐに分かった。
だから私は、これまで通りに振る舞った。
暫く経って、心が折れそうになった。
否定の世界。
そのあり方は千差万別だが、少なくともこの場所にいる存在は何かしら
重要なことを否定されて、堕とされた。そういうモノらしい。
だから、定命すらも無い。
どうやら『生存を否定』されることは『死を肯定』されることとは
異なるようで、つまり、死なないのだ。周りの魑魅魍魎めいた存在も、
……そして、自分も。
自分の身を護る為に殺した。異能はこの世界でも何故だか機能した。
私の異能は、私の意識さえあれば起動できる。
だが意味がない。だって死なない。殺されない。
生と死と言う循環自体がこの世界に存在しないのか、それとも各々が持つ
能力だの因果だのと言ったものに依るのか。そこまでは分からないけれど。
齢十二のただの小娘が、急にこんな場所に放逐されたなら。
あっという間に心が壊れ、その辺の何だか知れない連中の慰み物に
なっていただろう。
ただ、私は『ただの小娘』ではなかった。
だから直ぐには壊れなかった。不幸なことに。
あるかないかも分からない時が過ぎて行き。
自分が殆ど、瓦礫の隅で座ったまま動かなくなっていたころ。
── ふと、自分以外の思念が脳裏に届いた。
最初はいよいよ自分の意識も壊れて来たか、と思ったのだが、
どうもそういうものでは無かったらしい。
通りかかったがらくたの人形(当人はキカイだとか言っていた)が
まるでラジオの電波のようだな、と言っていた。
先程ずたずたにした人間モドキが、半分の顔を笑わせながら、
古い例えだな、なんて口を挟んだ。
どっちの言うことも良く分からなかったが、ともかく、私の元には
『誰か』の思念が時々届くようになった、と言うことだけは理解できた。
そのことは、私にふたつの悪い効果を齎した。
狂想。そして、嫉妬。
こんな薄暗い掃きだめのような世界から抜け出したい。
この想いの持ち主のように楽しいことや嬉しいことを感じたい。
ただの女の子として暮らし、平和で幸せな一生を過ごしたい。
彼は、彼女は、それができるのに。
何故私だけがこんな場所に堕とされなければいけなかったのか。
何年、何十年、何百年。
時の流れなどこの場所では分からない。
どれだけの時間が経過したのかもはや思い出せない。
ただ、とにかく、私の思考を腐らせるには充分過ぎる時間が過ぎた後。
自分は、急に、強い力で引っ張られた。
否定の世界に放逐された時のように、急激に引っ張られるような、
唐突に自分の立つ足元が崩れて落ちて行くような、そんな感覚。
体は動かない。
否定の世界と言う軛はことのほか強力で、そう容易く出られるような
場所ではない。なのに、引き摺られる感覚だけは何故か鮮明に感じられる。
(たすけて)
強い強い、少女の思念。
何故だかその波長、或いは魂とでも言うのだろうか、ともかくそれは
自分のものととてもよく似ていて。
そして、次の瞬間自分は、自分を喚んだ『彼女』の体の中に居た───
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「その筈だったんだけどなあ」
病室に二人きり。
小佐間 美鳥夜の体で、水渡里は呟く。
因果の逆転。
事件があり、死に瀕し、魂の叫びを発した美鳥夜に呼応して
水渡里の意識は彼女に憑依し、その能力を駆使して犯人を殺す。
そして、いのちの流れを維持する己の能力で血流を繋ぎ、
致命傷を受けながらも生還する。
と言うのが、本来の筋書きだったのに。
何故だか自分は美鳥夜が生まれた時からその意識と完全にリンクして
彼女の感覚、経験を知ることができており。
しかも事件の際、当の美鳥夜から主導権を明け渡されて。
だからこそ、兄(弟)の行動を突入前から察知できたし、これを阻害しないよう
行動できたのだけれど……
……と、淡々と語る姉の言葉を聞いて。
小佐間 御津舟の体に在る繋譜音は、再び頭を抱えた。
「姉上」
「今は妹だよ、私」
「儂からすれば姉上です」
「ごめん儂って凄い違和感ある」
「えっ」
「違和感ある」
「……いや……じゃあ……僕」
「うん」
「僕も、似たようなもので」
「え? ツフネも、こっちの世界にいるの?」
「あっ、いや、僕はそういうのではないのだけど……」
御津舟は十四歳。美鳥夜は十二歳。
つまり、十四年と十二年、それぞれが『現代』を見てきた。
水渡里自身は今だって否定の世界にいるし、繋譜音はとうの昔に死んでいる。
事態は何も変わってない。変わってない筈なのだけど、それでも。
「姉上はまだ、そちらに、いるんだよね」
「そうだね」
「僕は姉上をそこから出したい」
「私もここから出たい」
「だから、………」
「うん。だから、この子を使おうとしたのでしょう」
「………」
「………」
「どう、したい?」
「……そりゃあ、……出たい。出たい、……出たいわ」
「そうだよね」
「だけど……」
「………」
前回は違った。
自分も姉も、彼らと接触できたのはほんの僅かな時間だけ。
だからこそ冷徹に、自分たちの意思を、欲求を押し付けられた。
多少の共感や同情がなかったとは言わないが、それでも軽く押し殺すことが
できる程度の感覚だった。
だが、今は。
十数年。見守ってきた。見守ってきて、しまった。
彼らが赤子の頃からずっと。
妄執。妄念。常人とは比較にならない程の、狂った思念を持っている二人。
だがその一点を除けば、繋譜音も水渡里も元は普通の子供だった。
家族が好きで、姉/弟が好きで、村人たちが好きで、山が好きな、
ごく普通の人間だったのだ。
百年越しの妄執はそう簡単には消えやしない。
だが自分たちの子孫が成長する様を横合いで見せられ続けて、
いざ乗っ取れる状況になったから乗っ取ります!と言い切るには
姉弟は善人だったし、精神的に幼かった。
だから。
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「身体を返しましょう。
私たちでは二人にはなれない。同じ道を辿れない。
行き着く先が、前と全く違うものになってしまうわ」
それが、姉の結論で。
弟もこれに同意した。
現状はあくまで姉の意思を美鳥夜が受信しているに過ぎない。
姉自身は彼方に囚われたままで、これをどうにかするにはやはり
ワールドスワップを待つしかない。
だが大きく道筋を違えてしまっては、そもそもワールドスワップが
発生しなくなる可能性もある。
という言い訳。先送り。誤魔化し。
分かっていて、だけど否定する理由も無くて。
だから二人はそうすることにした。
「だけど、今夜くらいは」
「そうね、今夜くらいは」
親は家に帰り、病室には二人だけ。
仮眠用のベッドは用意してもらっている。
消灯時間はもうすぐ過ぎるし、回診ももう来ない。
数十年、数百年越しに。
いつわりの体を使っての、ではあったが。
ほんの一夜の間だけ。
他愛もない、姉弟の会話をしよう。
あの後何があったのか、とか。誰がどうなったのか、とか。
会えたら話したいことは、お互いに沢山あったから。
仮に、誰かに見られたとしても。
仲良し
兄妹のひそひそ話だし、別段不自然なこともないだろうから。
そして、二人は、寝るまでの数時間。
久しぶりにただの少年少女として、古い話に花を咲かせるのだった。
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その会話を、御津舟と美鳥夜は聞いていた。
霧の海にたゆたいながら、聞いていた。
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