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【Restart】
ただし、開始位置が同じだとは限らない。
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ここまでのあらすじ。
昔々、不思議な力を持った男女が居た。
二人は山の麓でめぐり逢い、二児を授かった。
世捨て人の集まった村と、傍に聳える山。
貧しいながらも幸せな暮らしが、そこにはあった。
だがその二児の内、姉の方は、大概のものを殺し得る力を
偶発的に得てしまった。
人を狙うもの、山を狙うもの、父母や己の力を狙うもの。
その尽くを葬り去り、果てに姉は消えた。
殺せる筈のないものを殺したことで、この『世界』から放逐されたのだ。
弟はどうしても姉を諦めきれなかった。
姉を放逐した者が、己から姉の記憶を消そうとも。
己が天寿を全うしようとも。
その後に。その先に。その果てに。
己が記憶を残し、己が意思を残し、己が血を残すことで、
いつか姉を現世へ呼び戻すことを願ったのだ。
そして今代、願いは叶う筈だった。
だが全てはご破算、無かったことになってしまった。
ワールドスワップの『やり直し』によって。
次にいつ機会が巡って来るか分からない状況。
蘇った弟の亡霊は、失意の内に再び眠りにつく────
筈、だったのだが。
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(何故だ?)
荊尾 繋譜音
(かたらお つふね)の精神は、物心ついたころから
小佐間 御津舟の中にあった。
と言うことに、なっていた。
そんな筈はない。
己の記憶が確かなら、本を開いたのは小佐間 美鳥夜。この男の妹のほうである。
しかも時系列的にはもっと後になる筈なのだ。
こんな、幼い時期の御津舟の姿なんて、知る筈がない。
まだ立つことすらできない美鳥夜の姿なんて、全く記憶にない。
だが、しかし。
あの時。あの瞬間。最後の時間。
御津舟は確かに、
“空いていた右手を使った”。
これは恐らく、バグのようなものだ。
本来は繋がらない時間軸、『似てるけど少し違う世界』、
今己が……御津舟が存在するのは、本当はそんな場所の筈。
だが自分は『以前の記憶』を持ったまま彼に掴まれている。つまり、
(以前と同じようにすれば、或いは)
御津舟が夢とうつつの間を彷徨う時だけ、己の思考が輪郭を帯びる。
その僅かな時間で、繋譜音は決意する。
己の中には以前の記憶がある。
以前の御津舟の記憶も一緒に、だ。
人の記憶なんておぼろげなもの。虫食いで、はっきりしないことのほうが
遥かに多い訳だが、それでも。
できるだけ同じ道を歩む。
『姉』と出会えるその時まで、轍を踏み外さないように。
そうすればきっとまた、『姉』に出会える。
彼女を現世に呼び戻す機会を得ることができるに違いない。
だから、それまでは……
そう。
それまでは。
小佐間 御津舟と小佐間 美鳥夜には、生きて貰う必要がある。
生きて、できるだけ前と同じ道を。
この時、御津舟はまだ五歳。
そんな幼子の思考に、繋譜音も引き摺られていたのかもしれない。
何故ならこの後十年近くが経過するまで、繋譜音は己が存在する
本当の理由に一切気付けなかったのだから。
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その時は突然訪れた。
妹、美鳥夜の失踪。
この時御津舟は中学二年生、美鳥夜は小学六年生。
実際はこの事件は誘拐であり、犯人は近くのマンションに住む三十代の男性。
とち狂った性的嗜好の持ち主で、子供を生かしたまま解体したい、と言う
衝動を持ち続け……そしてついに近くに住んでいた美鳥夜を攫い、
その身を刻もうと刃を振るい、
直後顕現した『姉』の力によって、原形を留めない形で殺される。
これが繋譜音の知る、かつての御津舟の記憶。
彼ら兄妹が歩んだ道程が、『平穏』から逸脱してしまった切っ掛け。
妹が見つからず憔悴する御津舟を他所に、繋譜音は高揚感を抱いていた。
相変わらず僅かな時間しか思考をする時間を得られないし、こちらから
御津舟に干渉する方法など殆ど無いが……
それでも、己が姉と会えるのだ。もうすぐ。きっと。
だから。
(え?)
状況を理解するのが、遅れた。
(え??)
本来なら本を紐解くのは、妹だった筈なのに。
(何故、)
倉庫の奥底に眠っている筈の書物を探し当て。
火急の時だというのにその全てに目を通し。
最後に書きなぐった繋譜音の文章も、一字一句余さず読み終えて。
(何故、儂が、此処に居る!?)
小佐間 御津舟は、その体を明け渡していた。
この瞬間まで何一つできることの無かった筈の、繋譜音に。
困惑と焦燥。
この時点で前と大きく展開が変わっている。
何か大きな選択ミスをすれば、『姉』とは二度と出会えないかもしれない。
そもそも、記憶の中にいる美鳥夜は重傷どころか本来なら致死状態で、
いのちを繋ぐ異能があったからこそ生き永らえたのだ。
一つでも掛け違ったら。傷を受けた時、『姉』が顕現しなかったら。
『姉』の受け皿は、美鳥夜は、
死──────
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「そんな、ばかな」
誘拐犯の言葉で、最後に聞いた言葉がそれだった。
無理もない。
異能を悪用し、何の痕跡も残さず誘拐し。
美鳥夜を縛り、服を剥ぎ、大型ナイフを用意して。
さあこれからお楽しみ、と思ったその瞬間に
ドアノブとナイフが同時に吹っ飛んだのだから。
この時期の御津舟の異能は未熟で、まともに扱えない。
だが過去の力を引き出せる繋譜音ならば話は別だ。
かつて武道場の壁を抜いた“流体加速”を使い、大型の水鉄砲で
壁抜きならぬドア抜きを敢行したのである。
内部の状況は“空間掌握”で確認済。
間違っても美鳥夜に当たらないコースで射撃。
更に現場に踏み込むのは自分ではなく、声をかけて同行して貰った
この事件で何度も話をしていた刑事数名。
縛られてひん剥かれている美鳥夜がいて、刃物が手持ちを含め部屋内に
何本も存在するこの状況、言い逃れはできまい。
(……やって、しまった)
妹は無事に救助された。
本来体と心に大きく残る筈の傷が、全くつかない状態で。
心的障害は勿論あるだろうが、かつての状況とは比べ物にならない。
死の間際で強く救いを求めるという切っ掛けが生じなかった以上、
『姉』の顕現など望むべくもない。
……数秒。
射撃を待てば、或いはその場面に遭遇したかもしれないと、今なら思う。
だがあの時はそんな考えが微塵も無かった。
妹が傷付くのをただ待つことなど、彼にはできなかった。
(儂には妹なんて、いないのに)
御津舟の意識はまだ戻らない。
身体を動かすのは繋譜音のほう。
それでも、まあ、十数年間近で見てきた『妹』が無事であることに
何処か安堵しつつ、泣きじゃくる彼女の頬をそっと拭う。
「もう、大丈夫だよ。ミト」
存外穏やかな声で喋れるものだ、と繋譜音が我が事ながら感じたのと。
涙ながらに眼前の少女が答えるのがほぼ同時。
・・・
「ありがとう、ツフネ」
余りのことに、目の前が真っ暗になった。
荊尾 繋譜音は、己も姉も強い人間だとは思わなかったが、その中でも唯一
人より優れていることがあるとするならば、それは
『執念』だと思っていた。
生きる執念。溢したものを手繰る執念。
大切なものを絶対に護る、或いは取り返すという執念。
だが、それは何も自分たちだけでは無く。
彼らの子孫にもしっかりと受け継がれていたらしい。
まさか。
あの、ハザマの最後の時に。
数秒後に死を迎える筈だった御津舟が。
完全に意識も体も乗っ取られていた筈の美鳥夜が。
この時の為だけに、我らを掴んでいたなんて。
今なら分かる。今だから分かる。
そうだ。彼らの視点から見れば当然だ。
事件の際、『姉』が顕現したから妹は救われた。
と言うことは逆に言えば『姉が顕現しなければ美鳥夜は死んでいた』のだ。
そうなれば、美鳥夜を探していた御津舟も、当時は何の力も無い子供。
近くをうろうろしていた所を次の贄に選ばれ、殺されていた可能性は高い。
このまま繋がりが切れた状態の世界に移れば、自分たちは恐らく中学や高校に
上がる前に死ぬ。それは絶対に許容できない。
だから二人は賭けに出た。
御津舟は、繋譜音にその身と力を明け渡せば、彼が『姉』を喚ぶために
どうにかして美鳥夜を助けると考えた。だから、そうした。
そして美鳥夜も、何が切っ掛けだったのかは分からないが、
このタイミングで
『姉』にその身を自ら明け渡したのだ。
どんな形であれ、『小佐間 美鳥夜』をここで死なせないために。
ひいては、兄である御津舟を死なせないために。
結果として。
御津舟の意識が奥底に沈み、繋譜音の意識が表に出た『小佐間 御津舟』と、
美鳥夜の意識が彼方に流れ、水渡里の意思を受信している『小佐間 美鳥夜』が
この場には存在することになった訳で。
期せずして、念願は半分くらい叶ってしまった訳、なのだが。
「「…………どうしよう」」
美鳥夜(水渡里)を病院に運ぶべく疾走する救急車の中で。
彼女と、同乗していた御津舟(繋譜音)は、二人同時に呟くと
盛大に溜息を吐き散らかすのだった。
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