…覚えていない。
覚えていない。
…いや、覚えている。
出会った者はすべて。
阿闍砂陽炎
…新品だと思っていた卵パックを床に落として3つも割ってしまった。
だってまさか、卵パックの蓋が空いてるなんで思わないだろう?
-狭間世界、2時間経過。某所-
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「──か、」
「カゲロウさん──!」 |
澱んだ瞳が光を灯す。表情に花が咲く。
退廃したこの世界には似つかわしくない、太陽のような笑顔。
俺から流れる液体を認識しているのかいないのか、一切の躊躇なく、飛びつくように抱きついた。
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「なんだ、つばめェ…甘えん坊さんか?この前の海辺とは、態度が全く違うではないか…」 |
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「海辺?…イバラシティでの話ですか? だって“燕 遥翔”は俺だけど俺じゃないじゃないですか。違って当然ですよ?
それよりカゲロウさん。 イバラシティの名前じゃなくて、“俺の”名前、呼んでくれないんですか?」 |
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「…貴様と会ったのはコレが初めてだが…。あの退廃した世界で会ったか?
悪いが、信者の顔はほぼ全て覚えている。その中に貴様は居なかった」 |
アンジニティの世界では己と、運命を共にした彼らの居場所を確立するため
堕ちる前と”同じこと”を行い、組織を作り上げた。
アンジニティの中でも、心に拠り所を求める者は大勢居た。
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「あ……そう、でした。この姿で会うの、初めてでしたね。
…アンジニティじゃなくて、その前の世界で。貴方に助けてもらいました。
…覚えて、ませんか?」 |
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「……悪いが、俺の救いを求めた者は多くいる。
前の世界…ということは、貴様はアンジニティか」 |
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「? そうですね。カゲロウさんもそうでしょう?」
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三日月のように口角を上げる。
この青年とて、滅ぼすべき相手なのだ。
何を考えることがあるだろうか。
いつものように壊してしまおう。
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「…あぁ、あぁそうだ。俺はアンジニティで、貴様もアンジニティだな。
…だから、死ね」 |
優しく撫でる手を翻す。
青年の頭を掴み、引き剥がす。
恨みと呪いを吸って膨れ上がった黒い粘着質の液体が、堰を切ったかのように溢れ出す。
…ああ、ああ。なんて醜いのだろう。
衝動が湧き上がる。
喉の奥から欲望が漏れる。
殺せ、
殺せ…殺せと!!
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「あははははは!!!!!何処ぞの誰とも知らぬ1羽の燕が!!! どんな悪事をしでかしたァ!?!! 悪い子だ、悪い子だなぁつばめェ!!!! せんせいが生徒指導してやろう!!!はははアハハハ!!!!!!」 |
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「えっ…?カゲ────いッ!?」
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「か、カゲ、ロウ…さ…ん……?…ど…う、して………」
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「ひとつめの問題だァつばめェ!! 俺がいつ、アンジニティの味方をすると言ったでしょうかァ!?!!」 |
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「え……え、…え…?え……そんな、はず……え?………じょ、冗談……です、よね…?」 |
霞む視界に響く声。
懇願のような言葉。縋るように、己を見上げる赤い眼。
傷ついて赤く塗れた、濃紺の翼を持つ青年。
その様子はどこか…捨てられた、ひとりぼっちの動物のようだ。
この光景を、俺はどこかで
『 痛いか?ああ、可哀そうに……… 』
流れ出る黒が、止まる。
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「サァ2つ目の問題だ。俺の趣味はなんでしょうか?サンドアート?フラワーアレンジメント??
残念!!正解はァ〜…!!?悪を働く存在を滅することォ!!!!はは、ハ、犯罪者や悪い奴を殺すと、色んなところで称賛されるだろう!?
馬鹿らしくて楽しくて堪らない快感だ!!こちらは殺したくて殺してるのに、英雄扱いする者までいるのだ!!きひひひ楽しいぞ、おすすめしてやろう!!」 |
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「っカゲ…ロウ、さん……う、そ…です、よね…? アンジニティじゃない、なんて…そんな……こと………」
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「貴様が俺の何を知っているというのだ?今宵の阿闍砂カゲロウは、イバラシティを防衛する者だ。 世界に捨てられた癖に今更あの街を侵略しようなど、見苦しい。 塵は塵に還してやるのが道理と言うもの。そうだろう?」 |
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「…ちがう……違う!!」
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「世界に捨てられた……確かに貴方はあの世界に捨てられた!人間に裏切られた!! あいつらは貴方を利用するだけ利用して捨てた!!!
貴方の存在を否定し、アンジニティに堕とした!!!
貴方はただの被害者だ……何も悪くない!!それなのにこのままあんな世界で、アンジニティで生きなければいけないなんておかしい!!!」 |
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「…けどチャンスが来た、来たんです! あの世界を出られるかもしれない、貴方の夢を叶えられるかもしれない!! アンジニティにつけば、それが叶えられる!!!
なのに、なのになんでイバラシティの味方を、人間共の味方をするんですかカゲロウさん!!?
そんなのおかしい、絶対おかしい! だって、だって…!」 |
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「アンジニティにつかなければ、 貴方は一生■■になれない!!!」 |
悲鳴のように上がる声を、半ば遠い意識で聞いていた。
この少年は、余程俺に思い入れがあるらしい。
…果ての世界に堕ちる前、俺がその小さな願いを漏らした相手は多くなく。
青い空。砂の城。
鎖された窓辺。
何もない日々で、落ちてきた小さな子。
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「…ほぅ、多少は俺の事を知っているとみえる。
裏切られた…か。あぁ、いくつか訂正してやろう。
裏切るも何も、俺はあの人間どもを仲間と思ったことは一つもない。利用されたと言うのも、結果論に過ぎぬ。俺は化かし合いに負けた。それだけのこと」 |
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「っ…そうだとしても!イバラシティにつく理由にはならない!!
カゲロウさんだって人間を憎んでいるはずでしょう、■■になりたいはずでしょう!?
なのに、なのにどうして!!」 |
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「話はそれだけか、アンジニティ。
世界より否定されし悪の者よ」
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「っ…カゲロウ、さん……」 |
それは一瞬、泣きそうに顔を歪める。
だが、意志は強く。
真っ直ぐ、意思を強く宿した深紅の瞳が、俺を見据える。
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「…まだ、まだ間に合います…! こちら側に、アンジニティについてください!」
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世界とは、何と残酷なのだろう。
昨日話した愛子も、軽口を叩いた知り合いも。
すべては夢物語。
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「阿闍砂陽炎は快楽を求め、今宵荊街堕ちした否定された者<-アンジニティ->。
誰が何と言おうとも、俺は俺の意思を変えることはせん」 |
悪いな、少年。
俺は考えを変えるつもりは無い。
その説得は無駄だ、無駄なのだ。
俺が俺である限り、彼奴がこの檻に居る限り。
彼が生きている事実こそが、俺の生きる意味なのだから。
…出会うのが少し、遅かったな。
刹那、燕だった者と阿闍砂陽炎の間を裂くように、銀色の閃光が走る。
砂上の楼閣 寄り添う者
陽炎を兄と慕う少年。陽炎が狭間であほみたいに叫び声をあげるものだから、心配してのど飴を用意した。
…奇抜な色をした大きな蜥蜴の様な生き物が、間に立ちはだかる。
触手のようなもので幾本もの刀を携え、燕と呼ばれた者に切っ先を向けた。
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「おそうなってすみません。ご無事ですか?兄上」 |
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「…あぁ。平良か。ああ、ああ…久しいな。ああ…」 |
『丁度いい。目障りな小蝿を祓え』
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「…御意に。それが貴方の願いならば。」 |
疲れた。
俺は、ここに居たくない。
この世界は、異様に疲れる。
だから、背を向けて見えないようにした。
どろり 、
、 液体が
伝って ゆく 。
『…ああ、大きくなったな。“はるか”』