暗闇の中から現れたのは巨大で不格好な怪物だった。
ぱっくりと割れた山羊とも人ともつかない顔から血を垂れ流し、昆虫のように不自然に細長い腕で地面を這い、水死体のように膨れ上がった尾鰭を引きずっている。
イバラシティでの名前は倉橋誠、その正体がこの怪物『カプリキューシュ』だった。
本来、この怪物が示す感情は怒りだけだった。
アンジニティにいた頃には常に何かに憤り、その怒りのまま手当たり次第に周囲を破壊した。
いちいち何が原因だったのか、それを何にぶつけたなどという事は覚えていない。
そういう存在だった。
イバラシティの住民として紛れ込んではいる間も彼は何かに憤り続ける短気な人物として知られていた。
見せる顔は顰め面ばかり、口から出るのは尖った言葉ばかり、他人に向けるのは拳ばかりの癇癪持ち。
友人と呼べるような人物もほとんどおらず、周囲は腫れ物に触るような態度で彼に接していた。
だが、彼がイバラシティで見せる姿はそれだけではなかった。
唯一、違った顔を見せる人物がいた。
イバラシティでの
“妹”だ。
彼女にだけは笑顔を向け、優しい兄として振舞っていた。
もちろん怪物であるこの身に家族などは存在しない。ワールドスワップの影響で偶発的に結び付けられた虚構の家族だ。
だが例え仮初の間柄であっても、侵略の為に作られた偽りの絆であっても、彼はこの想いを無視する事は出来なかった。
何故か
「それだけはしてはならない」 と強く感じていた。
それは彼の前世とも言える、怪物に成り果てる前の記憶に由来するものなのだが、もちろん怪物となってしまった彼には知る由もない。
妹を絶対に危険に晒したくはない。
もしもこのハザマに喚ばれてしまっているのなら、何としても見つけ出してアンジニティの咎人達から守らなければならない。
彼女は自分のこの姿を見れば恐れるだろう、繋がりを否定するだろう、あるいは兄である事など気付きもしないだろう。
それでも構わなかった。
むしろこ怪物の体だからこそ、咎人達と渡り合えるのだ。彼女を害そうとする者を叩き伏せる。それが出来るのならば他の事は些細な問題だ。
重たい身体を引きずって瓦礫を乗り越えたところで、背後から蹄の音が近付いてきた。すぐにそれが誰のものなのか気付いたが振り返りはしなかった。
アンジニティでもイバラシティでもやけに馴れ馴れしかった奴だ。
どうやらここでも付きまとってくるらしい。
サジタリテ。
仮面を被った人間の上半身と馬の身体を持つ、自分と同類の醜悪なアンジニティの怪物だ。
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サジタリテ 「カプリコさん、探しましたよ。タウタウさんは向こうにいましたけど、行かないんですか?」 |
タウラシアス、奴への怒りは他のものとは違うと自覚していた。
とても言葉に表せない。理由はわからない。奴を目にするだけで、名を聞くだけで、訳も分からず怒りが燃え上がる。
ただでさえ怒りを湧き上がらせる存在だというのに、奴はイバラシティで善人の皮を被っているらしい。
怒りのあまり我を忘れ、すぐ傍にあった瓦礫を掴むとサジタリテに投げつけた。
巨体を引きずらなければならない自分と比べ、サジタリテは身軽だ。それを簡単に避けると煽るように周囲を駆け回る。
普段ならばそれだけで追いかけ回しているところだが、今はそんな事をしている場合ではないとすぐに冷静になった。
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サジタリテ 「はぁなるほど。あなたは向こう側につくんですね。まあなんとなく予想はしてましたけど」 |
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カプリキューシュ 「……お前には関係ないだろ。俺は貴様らと手を組むつもりは毛頭ない。さっさと消えろ」 |
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サジタリテ 「いつもならタウタウさんいるとわかったらすぐ喧嘩売りに行ってたのに。 寂しいですねぇ超つまんないですねぇ」 |
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サジタリテ 「……まいっか」 |
サジタリテは何か考え込むような素振りを見せたが、すぐに別方向へ駆けて行った。
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サジタリテ 「皆、昔の事は忘れてるくせに、こんな姿になっても以前から何も変わらないんですね」 |