それは御守公園の陽光桜が満開になった、とある1日のこと。
時刻は夜中の1時。太陽が沈み、暗闇が支配するこの場所で。静寂の中、小型犬の寝息が聞こえてくる。
そんな中。ふわり、降り立つ2つの幻想。その幻想のうち1つが、彼女を抱き上げ、一本の桜の木の前へと連れてきた。公園の中には無数の桜があるが、その桜は特別大きく、まるで公園の神樹だといわんばかりの存在感であった。
「……。桜のフォークロア。力を貸せ。」
「えぇ、勿論いいわよ。
私も興味あるもの。輪ちゃんの『内に潜む』ものが、なんなのか。何を想うのか。とっても、興味があるもの。」
一つの幻想は、竜骨の杖を。
一つの幻想は、桜の扇を。
構え、振るい、言葉を紡ぐ。
探る、潜る、呼びかける。
「なぁ、まだ残っているんだろう?」
くるり、はらり、夢を魅せる。
沈む、漂う、突き止める。
「なぁに、ただ私はお前に話を聞きたいだけだ。」
ふわり、ひらり、桜が舞う。
見る、認める、物語を開く。
「―― 花梨。今は亡き、慈愛に満ちた狗神憑きよ。」
呼応する。
奥深くに眠る物語を手に取り、開いてみれば。
「―― うして、」
小さな声が聞こえた。
その魂は潰えることはなく、されど輪廻転生することもなく。
ただ、オオカミの中に眠り続けている。それは着物を着た、美しい女性の姿で。
ずっと、泣いている。
終わりの来ない魂が、泣いている。
「違う、違う、私はあんなこと、望んでなかったのにっ……!!」
「私のことなんて、忘れて構わなかったのに!私のこと忘れて、―――が私の分まで幸せになってくれたら、それでよかったのに!」
「違う!違うの!私の幸せは―――が幸せになることなのに!!なんでっ、なんでなんでなんで、どうして!苦しんでほしくなかったのに!人間を殺してもいい!復讐してもいい!だって、あんまりな仕打ちを受けてきたんだから、人を憎むのは当然じゃない!!」
「お父さんを殺されて!お母さんを殺されて!人間に利用されるため殺されて!私たちの問題に巻き込まれて殺されて!確かに何人もの人間を殺した、私も村の人達は大好きだった、けれど!!けれど、それは私のためだった!私を守るためだった!!」
「勝手なのは人間の方じゃない!!ここでもそうよ、『財を喰らう』ことなんてあの子は知らなかった!被害者たちは咎めても仕方ない、けれど全く関係のない人たちからどうしてあんな仕打ちを受けなくちゃならないの!ただっ……ただっ……」
「あの子は、誰かの傍に、居たいだけなのにっ……」
「あぁぁぁああぁ……ぅぅうぅ……ぅぅぁあぁぁ
ああああああああああアアアアアア
アッッッ!!!!」
「…………」
慟哭を、静かに聞き届ける。
博愛の狂人かと思っていたが、どうやらそういうわけではなかったらしい。彼女もまた、かの小型犬のことが大切で。ただ静かに、幸せに暮らしていられればそれでよかっただけで。
……花梨は。―――にとっての、誰よりも大切な者だ。
狗神憑きと、狗神の暮らしは慎ましく穏やかなものだった。されど、狗神憑きとは忌み嫌われる者。村の者らが危険視し、彼女と狗神を殺そうとした。
実際に、彼女は殺され……死ぬ間際に、狗神は彼女を喰らった。その魂は、今もなお狗神、否、オオカミの中に眠っている。殆どもう、その存在は朧げであり、―――もその存在を知らないのであるが。
「……皮肉なものだな。」
つきの出る夜を、静かに見上げた。
桜の花が、陽光桜が。せせら笑うように、風に吹かれて音を立てた。