右眼で視る。
その先の世界を、解析する。
――視えている。視えているんだ。
一部の曇りも無く、どの色にも塗り潰されることなく。

カゼヨミは、変わらず世界をうつし続けていた、筈だった。



「――『あれ』は、何なんだ」



答えなど返ってくる筈も無い、そんな不毛な自問を零して。
翡翠の紋章。翡翠の瞳。絡め取るような菫色の茨。囚われた少女人形。
消え失せた筈の狂気の一部。打ち克った筈の脅威のひとつ。
閉じた右眼の瞼の裏にいたそれは、いつの間にか姿を消していた、筈だった。

それなのに。

砂地での戦いを想起する。それは、忌避すべき力。忌避すべき姿。
瞼の裏にあったソレに等しい、いびつに歪んだエンブリオの姿。

契約は無い。カゼヨミは何もしていない。
俺は何もしていない。――だけど、どうやってそれを証明出来る？

俺の傍へ現れて、容赦なく敵を蹂躙したそれが、俺の仲間などではないことを、どうやって説明出来る？


これじゃあ、まるで。



「俺も、『あれ』の仲間みたいじゃないか」



違う。
違う違う違う。

俺は、『あれ』じゃない。
この瞳は、カゼヨミは、誰かを護る為の力だ。
皆が俺を信じてくれた。皆が右眼を信じてくれた。
裏切るわけにはいかない。裏切るつもりもない。

だから。

違う。

俺が、一人で怯えているだけだ。

――Mai。

侵食度
659/666

深々と頭を下げる。

口から自然と疑問の言葉が漏れる。
この呪いは、私が『私』であるために積み上げてきた十字架だ。
暗殺少女として。Rotenweinとして。裏社会の英雄として。
――そして、ミモザ＝ブルーメンタールではない誰かとして。

そうする事で、『私』は生きる理由を。生きていく許可を探してきた。
私が殺めた親友たちとの約束に、ヘイアンとの道具の契約に。
そうしなければ、最後の一線である命さえも簡単に失ってしまいそうで。

――駄目だ。
この少年を私の目の前に置いていては、『ミモザ』の仮面の精度が歪んでしまう。
私が私でいられなくなって、もう一度存在価値のない何かになり下がってしまう。

それを許したら――もう二度と、今私が居る所へは、戻ってはこられない。

かつてそうしていたように、私は名乗りを上げる。
ミモザ＝ブルーメンタールとしての存在価値を失ってしまってからは。
こちらの名前の方が、私の在り方をよく表している。
ナイフを前方へと構える。握る。視界が滲む。腕が震えて、狙いが定まらない。
左手を添える。震えが強まる。私の周囲の『呪い』が、ぼやけていく。

再び私は、疑問の言葉を口から漏らした。
それは涙と共に地面に滲みて消えていくような、弱々しいそれで。

――もはや『仮面』は、被りなおせそうもなかった。

返答から感じる、乗り越えてきた経験を感じて、そう自分の言葉に付け加えます。

だからきっと、大丈夫ですよ、と、請け負います。

少し言葉を切って、言葉を選んでから、続きを口にします。

だから、気にかけてくださらなくても大丈夫です、と、くすりと微笑んで答えます。

　

　
それは、正直な羨望

　

　

　
ぐ、と拳を握って顏の高さまで掲げる。
応えてくれるのなら、その拳を打ち付けあうだろう。
　
　

　
敵は、徒党を組んでいたのか。
心が痛む。

　

　
常時ゲートがない閉鎖世界もあるという。きっと、それかそれに近い世界なのだろう。
閉じられた世界の中での排除
――それがどういうことか、私は『知っている』

　

成すでもなく、果たすでもなく、ただ――終わる。
彼自身の行く末を映しているかのように、瞳は昏く翳っていた。

知らず握り固めていた拳を、ゆっくりと開く。
無論。掌の中には何も存在しない。
たというのに――そこを見つめる瞳が、一瞬だけ揺らいだ。

だから後悔はない。
反省すら、しない。

不毛なものだな、と、ひとこと、嘯いた。

――――――　…

耳を澄ませると、不思議な詩が聴こえてきた。

――――――　…

聞き慣れない、だけど少し懐かしい言葉。

――――――　…　…　…

詩はどんどん近付いて、止む。

ふと足元を見ると、小さな子供がこちらを見上げていた。

紋章が宿った眼をじっと見つめている。　何かの力を感じ取ったようだが…

思い出したらしい。ふふふ、とむしろ楽しげに笑っている。
少年にとっては殴られたから笑いごとではないけれど。

同じ言葉をそのまま返してみる。
本能でしか生きてない自分だから。呑気に返す。それは少年に会った時から変わらない印象。

考えてみても思い当たらない。不思議そうに聞き返した。

言われ、じいと一歩近づき瞳を覗き込むように見つめる。そこに刻まれている
紋章にまあ、と驚いた様な声を。それから少し間をおいて。

先の練習試合でのことを思い出す。制御ができない、そういうことだろうかと。
返す様子はいつもの通りで。柔らかな笑顔にはこちらも穏やかな笑顔を返す。

一緒ですけれど。と自分自身を指さしながら。続く言葉によかった、と息を一つ。

ぜひよろしくお願いします。と頭を下げた。

視界を阻む敵の一群を前に、スライスされたたくあんを一口。

そういうとユキヒメの周りに紅く燃え上がる氷の結晶が現れた。