水辺、石像が林立するそこでの一戦を終えて、フェターレはゆるやかに水の一つの側に寄って行った。それを見て、やはりと思う。
『……主』
「……大丈夫だ。変な奴だけど、害はないから」
　不審に思っているのはそうだろうと、シャールの問いにはそう言っておく。ちらりとこちらを振り向いたフェターレの口元は笑んでいる。軽く手招けば、腕に何かを抱えてすぐに戻って来た。新しい一つ、これも氷。息をつく。くすりと笑う声。
『でも、氷　とは、仲は良い　でしょう？』
　少しぎこちなく流れる言葉に更に溜め息をついた。そうだけどと、短く答えて。
「……お前今何処にいるんだよ」
『それ　は、あなたが見つける事、ですから、　私からは何　とも』
「ならどうして来た」
『あなた　が、呼んだんでしょう？』
　肺の中の空気を全て押し出した。フェターレの頭を少し乱暴に撫でておく。温感も冷感もないそれにほんの少し眉根を寄せているうちに、彼女の腕の中のそれは消えていた。
『次はどこに？』
「何となくの方向はわかったから一旦地下に戻る。進まないとな」
　シャールの方を見やれば、無言のまま首を傾げる。フェターレもそれを見やって、そして首を傾げた。
　
　
　

　
『……あなたは？』
『何だと思います？』
　問いかけには問いが返って来た。人との会話が不器用なだけで、人の言葉を介さない、つまりは同類同士であれば会話に支障はないらしい。
　シャールは少し、沈黙を挟む。主の背に眼を向けてから、浮遊し滑るようにその後ろについて行く彼女を見やった。人間の姿に非常に近い彼女だが、その姿は小柄で、たとえ宙に浮かんでいたとしてもその頭は主の頭の高さを越えない。子供ではないだろうが、小さく見える。
『……家族、とか』
『近い、ですけれど』
『近い、ですか』
『ええ』
　考える。では主が来たのだという世界の人だ、ならばどうして己達と同じように、この世界の中から拾い上げられたエンブリオに。
『……そのうちわかりますよ。シャールにも、テラにも』
『……？』
『あなたたちが名を享ければ』
　わからないと首を振れば、どこか申し訳無さそうな表情が垣間見えた。私からはこれ以上はと言う声が聞こえて、主を見やった。すこし視線を落として、振り切るようにして彼の背に遅れないように、宙を滑って距離を詰めた。
　

　
　多頭の蛇。思い浮かべたそれには、苦く息を吐き出す。
　

　
　それがいるとわかっている状態で、またそこに行くのは気が引けないでもないが。あのままというのも、あまり気の良い話ではない。
　

また、会える事を望むように、ぽつりと呟いて。

――成程、と男は目を細める。
この男は、馬鹿ではない。蒙昧でも、白痴でもない。
聡く、そして賢しく、言を弄する部類。それも、先だって喩えた類の狂言家ではない。
言葉を選び、試みる。さながら、眼前の暗闇に石を投げ込むようなものだ。捉えた反響から、その先を特定する。

――そこが断崖か、否か。

その手の言繰りを、レンツォは下賤と断じない。
確かに手管としては悪趣味極まりなく、自らの領地へ唾を吐き棄てるに等しい行為。男にとってそれは、既に寛容の域を超えている。返す手首が鋒を振るい、相手の首を刎ねるまで僅かの逡巡さえ要しない。

だが、出来なかった。

指先へ力を込めるよりも尚早く、されど愾意を込めるよりは尚遅く。掛けられる言葉が、茨の様に突き刺さる。痛みのないそれはしかし、一定のリズムを伴って男の行動を妨げている。
故に男は、『悪意を以て』賞賛した。その魔術師めいた言操りは、憎らしく苛立だしく――それに乗る価値があると。

静かに、紡がれる言葉に愾意はない。空想を語り、思考の中に形作るように、言葉を並べていく。

物事において、偶発的か計画的かの判別はおよそ難しい。再現性のない事象など、星の数ほど存在するのだ。
それは時に奇跡と呼ばれ。
――時に、災厄と呼ばれる。

紫色の髪が揺れる。その合間から、金の瞳が覗き込む。
男は、決して眼を逸らさない。語りかける相手を、決して見逃さない。

残念だったな、とそう付け加えて。

――『否定』されたのだ、と小さく呟いた。

　
　いないと見て、安堵が八割。残りの何処かで少しばかり残念なのを押さえ込んで、獲物を握る。
　

　
　やり損ねたはそうなのだからと、四つを見据える。

冬青の瞳は、立ちはだかる彼らの、その奥を見る。
その眠たげな瞳に、何かを映したがっているかのように、真っ直ぐと。

戦闘が終わるやいなや、リリスへの軟派を始める山鼬を、きょとりと見守っていたけれど。

見回しても、望む姿はなく。小さくため息を落として。

最後の最後に、名前を。少し、和らいだ表情で。