爪先から、踝へ。
浸せば、覚悟していた以上の痛みに息が詰まる。

花の妖精の溜息が、右頬を擽る。

「ほらご覧なさい。無理を押して良い事なんてないのよ」

私はそちらの『傷』は癒せないのだから、と。
その声は何処か、いじけた子どものようで。

「……ニゲラ。先輩には、」

「そう念を押さなくても、言うつもりは無いわ。
だからここの所、極力表に出るのを控えていたんじゃない」

強まる語気と、頬を叩く薄羽根の感触。
八つ当たりのようなそれに、砂と汚れを流した足を引き寄せ膝を抱えた。
爪の先で草臥れた足首をなぞり、そのまま踝の赤に触れる。
踵にも出来ていた靴擦れはすっかり、紫と黒の斑に変色していた。
水に濡れたその場所はぴりと痛んで、身体にのし掛かる疲労も、まだ引く気配は無い。

「……申し訳ない」

「本当に申し訳なく思っているのなら、なんて我儘を言うつもりはないけれど、
こちらの心配ぐらいは甘んじて受けてもらうわ」

膝に乗せた手の甲に感触。花弁のように柔らかな、妖精の手のひら。
丸い瞳が真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
眩むほど綺麗な空の色は、今は悲しむように細められ、曇っている。
……私が、そうさせてしまっている。

「貴方にしてみればこちらが勝手に抱いてるだけだと思うんでしょうけれど。
覚えておきなさい。縁を結んだ以上、この煩わしさは付いて回るものだって」

誰とでもね、と重ねられる言葉。
それきり口を閉ざす彼女と同じように、小川の流れを見つめる。
静かな、静かな夜。
彼はいない。だから、零せる言葉がある。

「……まだ、不安だから」

「ええ」

「……まだ、足りないから。
……、……もう少しだけ、我慢、していて欲しい」

「ええ、……わかっているわ」

震えるその肩に、濡れていない指の腹で、そっと触れる。
彼女は、知っている。
私と同じ予感を感じていて、だからこうして、止めずにいてくれる。

ただの杞憂であれば、良かったのに。
目を閉じれば、あの菫色が、瞼の裏でちらつく。

──もう少しだけ、我慢していて。

ささやかに心を揺らすだけだった焦燥と警鐘は、
あの時からもうずっと、鳴り止まない。

　
　多頭の蛇。思い浮かべたそれには、苦く息を吐き出す。
　

　
　それがいるとわかっている状態で、またそこに行くのは気が引けないでもないが。あのままというのも、あまり気の良い話ではない。
　

また、会える事を望むように、ぽつりと呟いて。

　
　僅かに、苦い顔をする。問いかけは、予想できたものではあったのに、答えはまだ用意できていなかった。
　

　
　――だから、大人しく本音を零した。いや、と前置いて。
　

　
　胸元のそれを押さえる。少し、言葉を探す間を置いて。
　

　

　
　明確な事は分からない、『来た』ことは分かった、『来なければならない』と彼女が判断したのだろうとこちらが判断したから、意識と身体の支配権を、抵抗せずに彼女に明け渡した。
　

　
　張本人、一応いるんだけどと、少し離れた所で群れている己のエンブリオの方を見やる。無視されるかはぐらされるか、素直に答えてくれるかは分からないが。
　
　少し、慌てた様子で話題を変えようとするのにはに、と笑うだけ。そうしておいてから、問いかけには少し、考えるように眼を虚空に投げて。
　

　

　
　わざと、粘着質に言葉を選ぶ。顔に笑みは浮かぶのは押さえずに。
　

　当たり前、の言葉にぱちりとまばたきをして、しげしげとその格好を眺める。
　――は、とすぐに面を上げ、ぎこちなく口を開く。

　一揆の参加者です、と付け足してから、自分の名を告げていない事に気付いて、申し訳なさそうに眉を八の字にして、名乗る。

　
　いないと見て、安堵が八割。残りの何処かで少しばかり残念なのを押さえ込んで、獲物を握る。
　

　
　やり損ねたはそうなのだからと、四つを見据える。

冬青の瞳は、立ちはだかる彼らの、その奥を見る。
その眠たげな瞳に、何かを映したがっているかのように、真っ直ぐと。

戦闘が終わるやいなや、リリスへの軟派を始める山鼬を、きょとりと見守っていたけれど。

見回しても、望む姿はなく。小さくため息を落として。

最後の最後に、名前を。少し、和らいだ表情で。