鼻をくすぐる焼きたてのパイの匂い。

焼き菓子とか、パンとか。
そういうのって、本当におなかの虫を騒がせるのが上手だと思う。

形を崩さないよう慎重に刃を入れて、切り分ける。
本来の1人前より少し大きめに切り取る。……自分で作ったものぐらい、ちょっぴり贅沢な切り分け方しても許されるはず。

ほんの少し大きめのアップルパイを、皿に載せ。
フォークとナイフはいらないから、かわりに顎が引っかからないように平たい皿の上において。

目の前の相手――　オウ君へと、ゆっくりと差し出した。





正確には、オウ君、じゃなくて、普段はイース君、の方で通っているらしい彼は、同じマァムブに集う仲間のうちの一人。
人格が入れ替わったりする、みたいだけど、詳しいことは聞いてないし、多分聞いてもよくわかんないんじゃないかな。

いや、一人、って表現はちょっとおかしいかな。
彼は、人じゃない。
人じゃないなら、じゃあ何なのだって聞かれるとちょっと困るんだけど。

だって、私の世界で彼みたいな生き物存在しなかったし。

ふわふわした毛皮とか、四足で歩く姿を見てると犬、なのかな、って考えるようなサイズなんだけど、角みたいな硬い部分もあって。
何の種族なんだろう、って聞くのも何か失礼な気がするし、結局聞けてないままだ。

「はい　どうぞ。今度のはちゃんと美味しく焼けてるはずだよ」
『ありがとう。……今度、のは？』
「……こ、今度のは。」

些細な言葉を拾い上げられ、自然と目線をそらしちゃう。
……何度も練習して前よりは全然上手にさっくりパイも焼けるようになったけど、やっぱりそれには失敗しちゃったときもあったし。
なんか、全部フライバイ君が食べてくれたけど。

此方のやや慌てる姿に首を傾げてるものの、とりあえずは納得してくれたみたいで。
いただきます、が終われば前足で器用に皿を押さえて、食べ始めた。

そう。人、ではない彼は、皮肉な事にこのマァムブ内で唯一私の言語を理解してくれる存在。
初めこそ突然語りかけられて驚いたものの、言葉による壁に心苦しく感じる事もあるこんな世界で、間近にこうやってお喋りできる人がいるのは本当にありがたい。
マァムブの外に出れば、そりゃ、色んな人がいるし、もしかしたら私と似たような世界から来たのかなって思うような、同じ言葉を操る人だっているけど、でも、同じ場所にいる、っていうのは、とっても大きいアドバンテージだ。

おいしい。そう言ってくれるのを聞けば、ほっとして気が抜ける。
食べ方、だけ見てると本当に犬みたいなんだけどなあ……。





『‥‥で、話したい事‥内容、何？』

アップルパイを食べるついでに、ちょっと聞きたいことがある。
そう言って、オウ君を呼び出したのは私の方で。
同じ、マァムブにいる人、でないと、不安で、正直ちょっと怖くて聞けないような事を聞いてしまおうって思った次第で。

先日見た、あの指名手配の紙を。心の中、どうしても残っている、マァムブ内の皆への疑いの心を晴らすため。
そのものを直接聞く勇気はないけど、遠まわしに…そう、ヒントぐらいは。そんなズルい手段も使える相手なんて一人しかいなかった、っていうのも本音のところ。
あーあ、私、嫌な女だなあ。こんなアップルパイ一つで罪滅ぼしできるわけでもないのに。

「え、えっとね……聞きたい事、っていうのは」
「一揆、って知ってる？この世界で普通に行われてることだって。どんなの？ 」

何も知らなくても、みんなについていけば間違いない！なんて、そんな風に思っていたけれど。
私が　何　をしているのか。それは、知らないといけない事だと思う。これに関しては、……現実を受け入れていこうと、思う。
私の推測が正しいなら、……指名手配にも、関係してることだと思うし。

マァムブの外、の人から聞いた単語……実は、もうある程度は予想がついてるなんて事までは言わずに、じっとオウ君の返事を待つ。

『一揆という言葉、そもそも、同じ事柄を志す者、集うこと。
　‥その中に政府に対して反乱、暴動を起こす‥含まれている。
　‥単に『一揆』と言われたら、主にこっち、意味する』

うん、やっぱり。

前にいた忍者や兵士、こないだ会った庭師のおじさんとかと戦ったり。
そういう　人　と戦うっていう事は、ずっと黄金郷カダイエを探す為、だと思っていたけれど、そうではなくて、今聞いた、一揆、に関係する事だった事を改めて確認できた。
一応、一揆、って言葉は私の世界にも存在するし、意味合い的にそう離れてはいないかな、って思ってたけど。

ああ、よかった。
私は安堵する。
もし、この一揆の意味合いが異なっていたら、私は次の質問が出せないまま、誤魔化す事になってしまってたから。

「じ、じゃあ、一揆に参加したら、やっぱり国のえらい人から……その、犯罪者扱いされたりするのかな？」

そうやって、政府、王国、そういった国に逆らう事をしてるのなら、犯罪者になっても仕方ない、はず……だけど。

『さて、ね。如何な事情、あっても‥破壊、略奪は犯罪だからそういう扱い、される。
　一揆があったこと、公になる‥あまり望ましくない。
　だから、根絶やし、する場合も、あるようだけど』

街中を歩いていた感じ、あんまり豊かな方ではないみたいではあるし、きっと優しいグリゴリさんはそんな国の状況が見てられなくなったんだって。
オウ君の言うような危険な、下手をすれば根絶やし……指名手配の汚名も厭わないっていうのなら、それって、本当に恰好いい事なんじゃないかなって。

何ていうか、うん、そうだ。物語の主人公、っていうのかな。こういう風に言ったら、きっとグリゴリさんには怒られちゃうんだろうけど。

じゃあ、あの日、クリス君と私に襲ってきたのは、……王国側の人なんだ。
カダイエを探して。国も守って。
そういう事の、お手伝いが出来てるのなら、ちょっと誇らしい気持ちになれる。
だって、私、これといった特徴もないような、普通の学生だったわけだし、……なんだか、選ばれた人、みたいな気持ち。

ああ、本当によかった。ここにいる人は誰も悪い人じゃなかった。

何だかほっとしてしまって、泣きそうになってしまう。同時に頬だって緩んじゃう。
昨日の不安で押し潰されそうになってた私が、なんだか馬鹿みたい。

『どう、した？
　アップルパイ、全然食べていない。美味しく、ない？』
「あっ、…ちがう、ちがうよ、食べる食べる。お話に夢中になっちゃって…！」

ようやく力が抜けた気がする。
そして、少しだけ皆のことがわかって、……自分の協力すべき方向性がわかって、……嬉しくなる。
へにょり、と笑みを浮かべれば、フォークで、ぷすり、とパイをさして、大きめの一口を口の中に運ぶ。

「え、えっとね、それでね。その、一揆で。
　みんな、不思議な力で戦ってるけど。どうやってああいう力、手に入るの？
　生まれもっての力？　それとも修行したりとか？」

もう、あの日見たものの心配はしなくてよくなったなら、じゃあ今度は一揆の為のお勉強だ。
前々から、不思議に思っていた事をこの際だからとついでに聞いてみる。

『‥物理的な"力"、じゃない力、ということ？‥うーん、そうだな‥。
　ああいうもの、ある意味で、勉強できる、料理うまい、みたいに延長線上にあるものとぼくは思ってる』
『その世界、普通にあるものは望んで、鍛錬、出来るれば手が届き始めるもの、思う。
　外界から来てても、たぶんそう。
　開けた世界である、こと、それだけ来る者、適応できるようにはなっているはずあるから』
『‥‥樹里の場合、もしそれに興味あって手を、伸ばそうとしているあるなら。
　その場合はそれこそいまこれまでを割り切って、此処で生きていく為に、腹を括っていかないと、いけないかも、しれない‥けど』

フォークを使わない割には、本当に綺麗にアップルパイの一切れを食べきってから、オウ君は顔を上げる。
獣、に見える彼とこうやって向き合って、真剣な話をするのは……やっぱり慣れない。
複雑げな表情をきっとしている私の事は触れず、私の質問に真摯に答えてくれるのだから、私もフォークを置いて姿勢を正した。

『これまでの世界に戻れるあっても、もうここを知った目線でしか見られなくなる』
『今の世界も、いまと違う広がりをみせるくる、思う。良いところも、悪いところも。たぶん、ずっと』
『望めば手に入る可能性はある。でも、それは今までの樹里、此れからの樹里が、殺すことだよ。‥』

けれど、……正直、多分、オウ君の言っている事の、半分ぐらいしか私は理解出来てない、と思う。
概念とか、その力の根源とか、…そういう事とかさっぱり。宇宙は何故出来ましたか、とか。恐竜は何故滅びましたか、とか。そんなものに似た話に思えて頭がぐるぐるしてしまう。

『そうなっても樹里は、‥　‥誰かの、力になりたい？』

一区切り置いて、たずねられた言葉には、誰かの、という言葉が入っていて。
ああ、何だか、何の為に戦いか、っていう事まで見透かされてる気がして、なんだか、つい、笑ってしまう。
説明はよくわからなかったけど、それなりにリスクのある事、価値観が覆されてしまう事、……私の未来に、影響がある事はわかった。

でも、元々、私はずっと思ってたんだ。
マァムブの皆の為になりたいって。助けてもらった恩返しがしたいって。
それが、人の為になるなら、……立派な理由がそこにあるなら、余計はりきっちゃう。
どうせ未来なんてわからないんだから、今、を精一杯頑張らなきゃ。

「うん、なりたい。……みんなの役に、立ちたいの。」

黙っている、迷っている時間はあんまり長くなかった。
答えなんて決まってるようなものだったし。
食べかけのアップルパイはそのままに、膝の上に手を置いて、しっかりと一度頷く。
意思はしっかりしてる、って……この姿勢とか態度で、伝わるといいんだけど。

『‥そう、わかった。‥じゃあ‥そうだな。この世界に、於いて。一番"力"に近いもの、教えるよ』



『樹里も、なりゆきでも、これまでに此処でいくつか、生き物を見てきただろう思う。
　動物、としか見えないもの。幽霊、としか思えないもの。
　あるいは、無機物に肢生えたようなもの。‥まあ、いろいろいた思う』
『全部じゃない。けれどあの中に、"力"を借りられるもの、いる。』

もうこの世界にきて、それなりの時間が経って。
私はこの時に、ようやくこの世界の大事な理を教えてもらうことが出来た。

その力を借りる為の方法、……赤く綺麗な花の存在を、ただただ集めなければならないという事と、そして――





『‥"エンブリオ"ってこの世界では、呼んでる』

力の、名を。

ﾋﾞｸｯ
　

……

ついついうたた寝をしてしまったことに恥かしがる

樹里が”危ない”の言葉の意味を覚える事を確認すると、
どこか安心した様な笑みを見せ、隠れて少しばかり憂鬱気に溜息を零した。

危険を示す言葉は、唐突に使われる。
『そうなった時』に知るにはあまりも遅すぎる。

――思うだけにしてはあまりにも不安が大きすぎた。

…

名前を呼ばれて、すぐに顔を向けるが何かに気付く様子も無く、
「お皿洗いをかってでてくれるのに躊躇したのかな？」と
わかりやすい方向に納得をしたようだった。

最後に、カミユの名前を挙げたときに少し悪戯っぽく笑ったのは、どんな意味を込めていたのだろうか。

腕を組んで首を傾げ、うーんと唸っている。

一語一語ゆっくりと話す。
そして自分を指差しながら。

自分の着たい服着ればいいと思うよ、うんうんと

ぎゅっ
じゅりちゃんの表情を見て思わす抱き締めてしまった。
自分より少し小さい体を包むように

そういいつつも尻尾ももふもふと・・・

アトはこんらんしている！
アトは賢者モードの体勢を取った！

アトからの翻訳を聞いたサイネルは、思わず噴出した。

こみ上げてくる笑いをあんまり堪えようとしない。
性格の悪さが見て取れる。

手を振りほどかれ、少し唖然として立ち尽くす。
っが、自分の手を見て直ぐに状況を理解する。
警戒はされてしまったようだが、引き離す事は出来たからよしとする。

めげずに握手を求める。
何より相手がちょっとだけ言葉が理解できるなら……なんとかなるはずだ。

姿やこの様子を見ればまぁ迷ってきたものだとは思うのだけど
不釣り合いなお金の数に思わず口が出る。

街のギルトの看板指差しつつ。

　まぁそういう趣味だったり、惹き付ける何かがあるのかもしれない。
　どうも純粋な興味があるようでそう問い掛ける。

　漢字を使う文化圏というのはそう広いものではないが、異世界まで含めると広大だ。
　とはいえ近しい世界同士は影響を受け易い事もある。

確かに、ジュリも言葉がわからなければ色々と大変だったのだろう。
そろそろ成人くらいとはいえまだまだ子供だからな特殊趣向の輩に狙われる危険性もきっとあるだろうな。
そういうのを踏まえ人が良い奴が飼育しているとは考えられる。

ついでにこれで俺も解読が進むというところか…
ペンと紙の礼は…いや、今回はまけといてやるか。
習い習われだ。未知というだけで価値はある。
向こうにとっても未知ではあろうが、私にとっては一般教養でそれほどの価値はない。
それにこの程度で毟ろうとしても面白く無い。

立ちながらというのは字もしっかりと書けるとは言えない。
故に机のある場所が望ましい。
近場の茶店を指さし手帳とペンを強調する。
ああいうところでやろうというニュアンスが伝わればいいが…

おびえた様子で自分の後ろに隠れようとする仕草の樹里を見ていたが、
自分が見せた『彼』にまつわる情報を見せた途端、彼女の反応が変わる。

肩を掴んで引き留めてから、首を傾げ、一つの事実に気づく。
ひとまず確認をそぞろに、再び両手をかざして待つようにジェスチャーをする。

残りの折り紙に文字を書き、それを見せると差し出す。
隼人を指差し、手紙を指差す。

秋月　義則　から　隼人へ
この子は俺やお前と同じように迷い込んだ日本人だが
俺等とは違う言葉の世界から来てるらしい。
言葉が通じないなりに彼女が帰る手段を探してるのが分かって、
お前さんが自分でこの世界に来たと聞いたのを思い出した。
分かる範囲で、教えられる範囲でいい、少し力になってやってくれないか。

　礼儀正しい少女のようだ。素直で、感情も豊かそうに思える。
　しかし、時折見せる妙な図太さに対し、ほのかに感じる儚さ、――危うさは何だろう。

　少女が先程見せた絵図は、あまりにも無警戒過ぎた。故に、気軽に扱わぬようにと注意する。
　しかし、それと同時に彼女が、怪異とは縁の薄い世界から来たのだと推察する。

　どうやら、故郷は同じ方向にあっても、世界の軸が微妙に異なっているようだ。
　似ているだけで違う世界への帰還方法を教えても、今より状況を悪くするだけだろうと口を噤んだ。

　馬鹿正直に正体を明かしている自分に、苦笑する。
　ばらしてしまっては、この先少女を騙して愉しむことも出来ないというのに。

　もはや遠い記憶に、思い巡らし。
　一方で、先程のやり取りに、セーラー服を欲しがる変態と思われなくて良かったと汗を掻き。

倒れ掛かった身体を少女の両手が抱きとめる。
受け止められた衝撃で喪失しかけたリオンの意識が、かろうじて現実に引き止められ。

少女が心配げにかけた言葉と身体に伝わってくる暖かい温もりに、知らず微笑みを浮かべてそう言いかけたところで―――

はっと我に返るとメルンテーゼ語で謝りながら、慌てて抱きとめられていた身体を引き離し。
そして今まで魔法の呪文のようにしか聞こえなかった少女の言葉が完全に理解できていることに驚いて目を見開いて見つめ返す。

もし少女が改めてリオンの全身を見たなら、リオンの身体が前よりひとまわり大きく成長していることがわかるだろう。
といっても、リオン本人もまだ気づいていないようだが。

しかし願っただけで少女の言葉が理解できるようになるなんて、そんなことがあるんだろうか。
それじゃまるで――――-

すらすらと出てくる少女の国のものと思われる言語はキチンと伝わるだろうか？と思いながらも、取り合えずしっぽと耳をたれつつぺこりと深く頭を下げた。

はっきりと聞き取れた、謝罪の言葉。
身を縮こませている少女の頭に手を乗せ、その流れで傷口のあった場所へ触れる。
白く、細い指先が頬を優しくなぞる。

消えるのが少し早くはないか。
そんな考えは、脇腹に響く鈍痛と共に秘めておく。

頬に触れていた指が、今度は胴体を指さしていた手を握る、少し強めに。言い聞かせるように。

目の前の少女には理解できないであろうそんな言葉を、いや、理解できないであろうからこそ、そんな言葉を呟いた。

言われた事が何を指してるのか判らず、ぽかーん
頭の上に？？？などと見えたかも知れない

掌を向け左右に振りつつず首を左右に振る
どうしてこうなったのか…
考えた所で…そうだ、服装が珍しかったんだ！

ポンっと掌をグーで叩き

今言葉を少し話せたようだし…簡単に聞いてみよう

なんでカタコトなんだと自問しつつ…
愛想笑いっぽい物を浮かべて
服とスカートを指差しつつ聞いてみた

当然、この状況で、逃げられるという展開を予想しない者は居ない。
魔女は、特に驚くこともなく、のんびりと消えゆく背中を見つめていた。

ぶつぶつと呟く。

言うが早いか、魔女の元を離れた大鎌が、回転しながら吹き飛ぶように少女の脇腹めがけて飛んでいった。

あまりにも唐突に。白髪の女が、背後から総黒塗りの剣で朔を斜めに切り裂いた。

身体を斜めに割かれているはずの朔は、斬られた瞬間に青黒い血を吹き出しただけで、すぐに服の下で何かが蠢きだして傷を治しだしているようだ。

女は、無言でもう一度、今度は横薙ぎに剣を一閃させた。

朔は力なく懐から巨大な布を取り出すと自らに被せ――数瞬の後に姿を消してしまった。
女はそれを見届け、確かに姿を消したことを確認してから、樹里に歩み寄ってきた。

こういう形では言葉が通じないのは分かっている。
ただそれでも、言いたいことはそのまま言っておきたい。
それが普段の人付き合いにおける、トガノの考え方でありスタンスだった。

そんな最中、ジュリの口から紡がれた「ありがとう」と「好き」という言葉。
「まち」というのは恐らく敬称の類だろう。
自分の好きに動いているこんな現状でもお礼を言ってもらえたことに、トガノは少しだけ気分が高揚した。

ジュリの笑顔に返すような形で答える。他意はない。
ただ、この場合の「好き」が友人的な意味か恋人的な意味か。はたまたそれ以外の何かか…。
それはきっと本人にもよく分かっていないのだろう。
気付けば2人の距離は近付き、握る手にも少し力が入る。

手元の物品を1つ1つジュリに突き出すようにし、名前を復唱する。
言葉を覚えたいのだろう、ということは察せたようだ。

そして慌しくあちこち見回すジュリを楽しそうに見つめながら、ジュリが目を留めたと思われる商品数点を手に取って購入する。
その一連の振舞いは…ジュリのためというよりは、ただ反応を楽しむためだけに、という風にも取れるかもしれない。
そしてジュリが店の外に目線をやったかと思うと、追い掛けるようにして示された方向を見る。

そしてジュリの顔に目線を向け…ポン、とジュリの背中を一度叩いた後に手を沿え、軽く押す。
急に手を引くよりは、きっとこの方が動きやすいだろう。

そのへんの仔犬を指差し。その後そのへんの野良猫に寄って行き撫でながら。

猫を解放し立ち上がり、そのへんを通りがかった綺麗な女性を指差して。

最後にそう言って、無邪気に笑った。

小さく、隣の人に聞えるかどうか、といったそんな声。
震える手をぎゅ、と握り締めれば獲物を構え。
不安げな表情を無理やり内へと押し込めれば、顔を上げた。

刃を構えるのをやめれば、はああ、と深く息を吐いた。
自分が無事なことに、仲間にも致命傷がないことに心底安堵をする。

倒れた相手に近寄れば、傷の度合いを知るために声をかけようとして――
問いかけは、途中で止めた。

ふるり。首を横に振る。
そのまま、結局何も言わずにその場を去った。

銀色のコインを手の中で弄ぶ。