花が咲いた。


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確かにパイを焼いてくれないかとは頼んだ。
自信がないという話も聞いた。

だけどこれはちょっとどうしたものだろうか。
遥かに思ったよりも早く、尚且つ想像していたものよりも立派なカタチでそれはやってきた。

音はなくとも、見目と匂いで襲い来る蒼天の霹靂だ。
やはりこの娘、とかく料理の腕は確かであるらしい。

『はい　どうぞ』

差し出されたそれは、軒並みではあるが、『想像以上』だった。
‥生唾を飲み込むような真似こそしなかったけれど、平静を装えたかは怪しい。

『今度のはちゃんと美味しく焼けてるはずだよ』

ありがとう、と応える。
‥応えてから、その言葉の端がひっかかる。

「‥‥。今度、のは？」
『……こ、今度のは。』

視線を投げれば、すっと視線が逸れる。
その所作で、思い出すように悟る。
この娘は――樹里は、そういう努力は怠らない娘だったな。

それを此処で触れても彼女は益々困惑を極めるだろう。
"払った犠牲"を恥じるのかいささか慌てはじめる彼女にひとつ、わからないという顔を投げて遣って、
それから改めてパイに向き直るカタチを取った。
‥実際のところパイが冷めてしまうのも心苦しかったが、
何より先ほどから漂う香は‥特に酷い。
それはもう暴力的だと言わんばかりのものだ。

そもそもは小麦を練って焼いたものが狡いのだ。
小麦の持つそもそもの香りを残しながらまったく別のものに変容するうえ、部屋を満たすほどの勢いでその香は立ち広がる。
鼻腔を衝かれてしまってはもうダメだ。食事直後であろうともその誘惑たるや想像に難くない。
もうちょっと入りそうだしちょっとくらいなら‥ちょっとくらい‥なら‥ﾁｮｯﾄｸﾗｲﾅﾗの輪廻に巻き込まれてしまう。
しかも今回はそこに熟れた果実の、これまた焼ける香が上乗せされているのだ。
"甘いものは別腹"、という言葉がある。よくわかる。実際のところ先ほど生唾飲まずに済んだぼくはちょっと褒められてもいいと思う。
それくらい狡い。
どうしてこうヒトの作るものは狡いんだろうか。

平静を装えていたかは怪しい。すごく怪しい。
いただきますって言っただろうか。言ってなくても怒られはしないかな。
必死にかじりついてみたい衝動を抑え込みながら前脚でまずは皿を制圧して牙を立てた。

味については、折り紙とため息、余韻つきだった。
そこまで一口で堪能してしまってからようやく、なんだか心地がついた気がした。


今回は何も馳走になる為だけに呼ばれたのではないのだ。


樹里は、此処の世界の出身でなく、また少し異世界からの者とも違う様相を呈する娘は、
ここ数日どうやら酷く落ち込んでいるらしかった。
何があったのかはわからない。
イースとぼくが別の者であることを知っているのは、それを看破したあの紫の筆頭。
半分看破、半分こちらから働きかけ、のようなカタチとなったカカ殿。
そして今目の前にいる、この娘だけだ。
‥それ以外のメンツに詮索を入れることはなかなかままならない。

最悪の場合は、此方から訊きたいを訊くでもいいし。

姿勢を正して問を投げてみれば、しばらくの空白とともに問いがかえってきた。

一揆とは何か。

‥質問を投げる調子からするとそれは、まるっきり知らない言葉を口にする様子ではなかった。
最初は答え合わせ、ということかな。
もっと『とんでもない問』がいきなり来るかと思っていただけに、少し肩透かしを食ったような感じがしながらも、言葉を尽くす。
滞りなく言葉を繋げば、矢継ぎ早に次の問い。

『じ、じゃあ、一揆に参加したら、やっぱり国のえらい人から……その、犯罪者扱いされたりするのかな？』

‥これが今回彼女の問いたかったこと、なのだろうか？
心なしか先ほどよりも身を乗り出しているようにも見える。

これは出来うる限りで正確に答えなくてはならないだろう。
うーんと一つ唸って、思考を巡らせる。
犯罪者扱い。答えられる限りは尽くした。

ぼくの答を投げかけられた樹里は、なんだか緊張の糸が切れたような顔をした。
――ぴしり、と違和感。
何かいま、ぼくは失策を演じてしまったのではないだろうか。

犯罪者扱い。

‥‥。

けれど、疑問を自ら拭いに行くよりも。
その矢先にはじめて訊いた、樹里が主体で何かを望んでいる問いに、ぼくはその齟齬を埋める一縷を賭けることにした。

今突きつけても、今の彼女にはわからないだろう。
きっと話してもわかってもらえないと思う。

問題の先送りではあるだろう。
けれどそれにぶつかったとき、切れる札が大いに越したことはない。



――‥"エンブリオ"ってこの世界では、呼んでる。



エンブリオに影響され翻弄されるが侭なら、それを覆すのもきっとエンブリオなのだろう。
良い方に転ぶとしても、悪い方に転ぶとしても。望んで放れば覆る硬貨の表裏。

イース”ではない”イースを思い出す。
いつか出会った――そして、マァムブの力を得た時のこの竜の様子は、今現在と全く結び付かない。

頭の上に乗ったエンブリオは、機嫌がいいらしく、軽く揺れながら歌を歌う。

青年の肩に乗った鳥は変わらず竜を警戒している…。

言って、鳥のいない方の腕で手招きをしてみせる。

父は包帯が好きとのことだが、母親はどうなんだろう？と彼は尋ねた

しっぽを向けられた意図を理解できず、その動きをしばらく眺めていたが―

小首をかしげながら、ぐるりと回って再び貴方の目の前に立つ。
悩んでいる様子を目にすると、一度に複数の質問をしたせいと誤解したようで―

倒れるのに反応して、一歩後退り。

舌打ちをしながら、苛立たしげにメガネを拭き。