
ちぎる。
思い出を一つ、一つと破り捨てる。
不要な記憶、消すことは出来なくても、裁断して奥底にしまい込む事は造作もない。
花折美織としての記憶も、思い出も、こちら側にいる自分には不要なものだ。
なるべく粉々に、エピソードなども分散させて、箱の中に次々と放り込む。
夢の中の花澱御降が思い出しても、強く結びつきすぎないように。
強固な記憶ではなく、淡い思い出として、当たり障りのない認識として。
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狐 「私達……所謂アンジニティ側はその多くが存在そのまま反転する事で自分が自分である事を忘れながらあの世界を謳歌していた。 故に世界が裏返るまでは自己を自己と認識できない者も多いわ。 でも私はちょっと事情が特殊でね? 元々は魂と魄を切り離して、アンジニティとして動く自分を映画のように俯瞰してみていたのよ。で、つい最近私自身がそこに合流したってわけ」 |
ただ力だけを抽出して動かしていた端末がアンジニティとしての本体となり、花折美織の夢となった。
本格的に侵略を始めるに付き、魂魄が合一する事でこのハザマに顕現できたというわけだ。
しかし合一するに当たり、今まで俯瞰していたものが突然視点を変えて流れ込んできた。しかしそれは当然ロ言える事だ。魂にとって俯瞰で観たものは、魄にとっては主観で見たものである。
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狐 「む。それがどうしたって顔してるわね。けっこう大変なのよ?」 |
結果として、私は花折美織の世界を花折美織の視点で夢として見ることで覗き見た。
しかしそれは花折美織の物語を花折美織として見たという事である。
視覚は生物で最も大きな情報源であり、何者であれ、目で見たものが最も強い認識としてその意識に刻まれる。
目で見ただけでは分からないこともあるが、それは裏を返せば大抵の事は目で見るだけで分かってしまうという事でもあるのだ。
これが実に厄介だと言えよう。
認識は集合し記憶となる。
記憶を積み重ねればそれは人格となる。
それは大変危険だ。
自分の様な魔生……幻想の世界の住人は肉体よりも精神に重きを置く存在には特に。
少し脱線もするが、例え話をしよう。
明確に体系化されたのは最近のことだが、日本の神道に和御魂と荒御魂という概念がある。
神格というものは複数の側面を持ち、そのいずれが強く現れるかでその有り様が変わってくるというものである……という考え方だ。
この概念は言語化はされていないが、古今東西様々な宗教・魔術・神学の中でありありと見ることが出来る。
太陽の神は最高の恵みの象徴であると同時に日照りや干ばつの凶兆であり、夜叉や羅刹は悪鬼でもあり仏法の守護者でもある。
ではその側面をはいずれより生まれ出づるか?
答えは簡単で、全ては認識の集合に過ぎない。
宗教観、死生観、祈願、懇願、伝承、口伝、偶像崇拝、あらゆる人々の認識が積み重なって行った先に、強大な神格さえもやがてその身を引き裂かれるように分離し、別の霊格が新たな産声をあげる。
基督教の支配下にあった地域の土着の神格が軒並み悪魔としての側面を持っているのはそのためだ。
認識とは、時に強固な個を塗りつぶし上書きしうる世界の欠陥構造と言えよう。
人間だって例外ではない。
徹底的に追い詰め自身を救いようのない者だと誤認させ続け、快活な人格を臆病で従順な人形に作り変えるのは奴隷商人の常套手段だ。
「君は礼儀正しく勇敢だね」と、他人の評価を認識させる形で子供に言い聞かせると、本当にそんな子供に育つという話もある。
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狐 「あ、これは実は分かんないんだけどね、私子育てした事無いし」 |
話をそろそろ戻そう。
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狐 「さて……合一の結果、私の中には現在も、厳密には私ではない認識がどんどんと積み重なっていってるわけだけど。つまりこれってね、私の根本を分裂しうるものを溜め込んでるわけ。危険だと思わない?」 |
塵芥の如き認識すら、強大な御霊を別つ。
ではそれが自己のものとして処理されうる認識だとすれば?
それが自身の中に蓄積されているとすれば?
加えて言うならば花澱御降になる前……花折美織のそれは、元々が魄……
空っぽの肉体だけの器が反転した者が持つ魂の情報である。
本来存在し得ぬ魂からの記憶、それはとても恐ろしいものではないのか?
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狐 「忘れる事が出来れば良いんだけどね~。でもお姉さん物覚えが良いのよ。そこら辺割り切っちゃいるし、そう云う場面になったら絶対に手心なんて加えないっていう確信はあるんだけど」 |
自分以外にも存在における精神の比重が大きい者は大なり小なり居る筈なのだが、その者達はどうしているのだろうか?
下らないと切って捨てる事が出来るならば何ともまぁ図太い神経の持ち主だと言えよう。
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狐 「だからそれ以来、私は時々こんな風に頭の箱を具現化してるのよ。記憶できる容量を箱に化けさせて思い出に鍵をかけてるってわけ。こうして魔術的に切り離しておけば、即座に私自身には影響がないからね~。思い出したい時には引っ張り出せばいいし?」 |
そう言って頭から抜き出した写真、あるいはフィルムの様なソレをしまい込む。
鍵をかけ、目録を刻み、箱を閉じた。
豪奢な飾りの付けられたソレにやや乱暴に腰掛け、煙管に火を付ける。
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狐 「とまぁ、私はこうやってリスクヘッジしてるのよ。こう見えて努力家なの」 |
紫煙を燻らせながら傍らの魔女と白衣の霊に笑いかけた。
行動を共にするにあたって、自分達の最大の懸念はお互いがお互いの目的を妨げうる存在になることだった。
そういう事ならばと、世界線の入れ替わり前の事情も少し交えながら自身の抱えるリスクに付いて赤裸々に語ってみた次第だ。
どうせなら明け透けに話してしまえと思ってそれなりに掘り下げてみたが、さてさて、二人はどう思ったか。
これでこちらを危険であると見限るようなら、まぁそれまでの関係だろう。
ある意味痛いところではあるが、アンジニティに属している限りは共有しつつ敵側には黙さねばならない類の話である。加えて言うと、大前提として、私が記憶を扱える限りは私を追い詰める手段がなければその箱には手が届かない。
結果として、私としては全く痛くも痒くもない。なぜなら私は強いのだから。
その程度の判断もできない者ならば、寧ろ足手まといになる可能性があると言えよう。
これは自分が試される場であると同時に、自分が貯めてしている場でもあるのだ。
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狐 「私の番はこれで終わり。二人はどう? 何か話しておくことがあれば聞いておくわよ?」 |
そう笑いかける。
あいも変わらずの表情の二人は、内心どう思っているのやら。
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狐 「…………貴方は分かりやすかったわね」 |
そう言って箱の縁を指先でなぞる。
彼女の夢は終わった。
今は自分が夢を見る番だ。