
-----【Side イバラシティ】-----
年の瀬である。
「さて、飲み物も来たし、それじゃ用意はいいわね」
そう言ってスッと立ち上がり、高らかに告げる。
「えー、高いところから失礼します。それでは、忘年会兼新研究所立ち上げ記念兼茅芽笹子所長代理就任祝い兼偽黒初研究員の歓迎会をこれより開催します……なっがいわね会の名前」
ちょっとだけ悪態をつき、しかし台本を噛まずに言えたことを少しだけ誇らしげに言って
「それでは乾杯のご発声を、僭越ながらこの私がって、えっ?……ねえ、挨拶も乾杯も私ってこの台本おかしくない?おかしくない?本当?」
「まあいいわ、乾杯!!」
そう言って助手の男とカチンとグラスをぶつける。
「あー緊張した。相手が貴方しかいないとはいえ慣れないことするもんじゃないわ本当に」
「お疲れ様です。いやー、忙しい最中に頑張って台本書いた甲斐がありましたよ」
「……あ、やっぱりあの時手が離せないとか言って台本書いてたわね。……本来注意をするべきところなのだけれども、まあいいわ。宴の席だし」
乾杯の発声を聞きつけたのかお店の人間が料理を持ってくる。下見の甲斐あって、どの料理も輝いて見える出来だ。
「……下見の時も思ったけど、ここの料理美味しいわね。良いお店見つけてくれて本当によかったわ。もし私に人事権があったら査定にばっちりプラス評価なんだけど」
「所長代理だし、ある程度は人事査定できるんじゃないですか? というか、報告書とかって出すものなんじゃないんですか?」
「うーん、そうはいっても実際のところ更迭だから厳しいのよ。貴方も、こんなダメ上司の所からはとっととエスケープした方がいいわよ」
「そんなこと、笹子さ……茅芽所長代理はこうしてよくしてくれますし、頑張ってるの少なくとも僕は知ってますから大丈夫ですよ。あ、いえ、僕にも人事権は無いので完全に会社的に大丈夫かは断言しかねるんですけど」
「……ねえ、たまに思うんだけど」
「なんでしょう、茅芽所長代理」
「貴方、ちょっとだけ言葉が多いって周りから言われない?」
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「それで、今後の話なのだけれども」
「はい」
「研究室をもっと片付けるべきだと思うのよね、あれじゃ新規製品の開発なんて夢のまた夢だわ」
「はい」
「そうすると、収納スペースなんかが必要になると思って、またホームセンターに行って見てみないとになりそうだと思わない?」
「はい」
「ちゃんと聞いてる?」
「はい」
「……ところで、イバラシティには女神ラヴナオリティス像というスポットがあって、私とっても興味があるんだけれど、今度一緒にどうかしら?」
「はい」
「……明日は槍が降りそうね」
「はい」
「……もう!そんなへそ曲げなくたっていいじゃない!」
「いやー、いや。余計なこと言って茅芽笹子所長代理の人事評価に響くとまずいので」
「悪かったわよ。んで、片づけ!あんまりへそ曲げてると、私もへそ曲げて一人でやらせるわよ」
そう言って店員が置いていった飲み物に口をつけ、ん?と首を傾げ
「それは困りますね。困るのでちゃんと意見を言いましょう。えっと、収納を購入するのは賛成です。あの資料たち、仕舞わないことには道すら作れてない有様でしたから」
「そうね、……正直、何の資料かわからないから仕舞うにも一通り何の資料か目を通さないと……一日で終わるかしら?」
「あー、それもありますが、収納置くスペースの採寸とかもしないと」
幅とか、奥行きとか、と手のひらを向かい合わせにして男が示す。
「あー、なるほどーなー」
道は長そうだとぼやき、グイと飲み物を呑み下す。
そして、何となく赤くなった顔で
「はー片づけかー年明け大変だなーやだなー」
「……所長代理?もしかして、これは可能性の話なんですけど……酔ってます?」
「えー?ウーロン茶だけどー?」
「……いや明らかに酔ってるでしょ。え、これウーロンハイじゃないですか?そうですよね?」
店員さーん!!と男が大きな声で呼ぶ。その様子がおかしかったのかケタケタと笑い
「大丈夫よ、大丈夫。そんなお酒に呑まれる様なか弱い女の子でもないわよ」
「いや、もう呑まれてます。嵐に巻き込まれて転覆しそうな船くらいの呑まれ方してますって」
「大げさねー」
そう言ってグイと飲み物を飲み干す。
「あ、失敗した。何で飲み物取り上げなかったんだ僕。あ、店員さんお酒!この人お酒ダメなんです!僕も今知りましたけど!!あれお酒入ってたみたいで!!!」
水、水を早くと店員に告げ、彼女に向き直る。
「今お水頼みましたから、……あの?所長代理?」
目の前で微笑む女性は明らかに目がトロンとしている。これは危ない。と、異能が知らせてくれる。
「み、水……早く水を……!」
男は砂漠の民にでもなったかのように水を祈る。何事かあってからでは遅い、今必要なのだ、水が。
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『ありがとうございましたー』
会計を済ませ、店を後にする。
「いや、どーしよ。……とりあえずタクシー呼ぶしかないよな」
店の外の椅子に掛けている女性はぐったりしている。うっすらと寝息すら立てて
「いや、本当に困った。店員さんにはめちゃくちゃ謝られるし、笹子さんはずっと笑ってるしで」
そう言って深いため息をつき、手元の端末でタクシーを呼ぶ。
生憎年末ということもあり、到着までしばらくかかるとの回答。とはいえそれを承知し、待つしかない状況であった。
「……起こした方がいいよな、うん」
と、男が声をかけようとしたその時
「…………はっ!ここは!?」
パチっと眼を開け、ガバっと彼女は飛び起きた。
「…………店、椅子、……なるほろ大体わかったわ。…………私、何か変なこと言ってたかしら?」
「えっと、そこそこ……いえ、いつも通りでしたよ。所長代理」
そう告げると彼女は頭を抱えるしぐさをし、
「…………帰る」
「あ、タクシー呼びました。なんでここで待ってる方がよりスマートに帰れると思います」
この場から逃げようとするも逃げ道を塞がれ、
「……もう!」
そして逆切れである。
「もう!忘れなさい忘れれ!」
まだ若干酔っているようで呂律がしっかりしていない。
「忘年会ですからなるべく忘れるように努力はしますけど、とりあえず今の状況で笹子さんを外には出せないのでタクシー来るまではお付き合いしますよ」
僕は車なんでいつでも帰れますし、と至極冷静な意見を告げて
「うぅ、ごめんねぇ」
なんだか落ち込んだらしく、申し訳なさそうな声色で彼女はそう告げる。
この気性の乱高下、間違いなく酔っ払いのそれだな。と少し笑いながら
「まあ、この埋め合わせはそのうちってことで、って寝てる」
乱高下の下辺、睡眠に至ったらしい彼女はまたしても穏やかな寝息を立てていた。
はぁと、再び大きなため息をつき、店員が申し訳なさそうに持ってきた温かいお茶を飲み終えるころ、タクシーが到着し、運転手の手を借りて彼女を車内に押し込む。
家の場所を聞き出すのに苦労したが、どうもタクシーの運転手はその場所に心当たりがある(レジデンスといったか、あのでかい?)様で、スムーズに出発した。
一人店外に出て、白い息を吐きながら。
「とんだ年の瀬になっちゃったな、大丈夫かな笹子さん。……来年は、酒難の無い良い年になりますように」
と、一人ぼやいて、年の瀬の夜闇に向け歩き始めるのだった。
-----【Side ハザマ】-----
一瞬であった。一瞬で、あれから数日間、あの街の年の瀬と新年が私の頭を駆け抜けていった。
得てして思い出したくない記憶というものは、最悪のタイミングで強く思い出すものだ。
いっそ私をここから消してくれと願う。私でない私がした私の失態を、こうもまざまざと見せつけられる。
これは、こんなことが、本当に起きたのだろうか。
確認する術はない、この記憶は私の記憶だからだ。
いや、術自体はある。これは私の記憶であるが、これがあの街での事実であるならあの男も同じ記憶を持っているはず。
だがそれを確認することはしない。あの男が信用できない以上、あの男から情報を得る行為自体がリスクにしかならないからだ。
貴方は危険ですかと尋ね、自分は危険なので信用しないでください。と答える奴はいない。肝に銘じねば。
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短期目標であった合流は済んだ。
目の前には例の男がいる。記憶に違わぬ男がいる。
その男がこちらを見る目が合う。瞳に自分が映るのが見える。
記憶の混濁が激しい、情動と記憶が一致しない。
吐き気が止まらない。止めろ、こっちに来るな。
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追加で訪れた記憶に起因する吐き気を抑えて男に指示を出す。
間違えたことは言っていないはずだ。少なくとも今は
自分の認識が信じられないということが、これほどまでに自身の精神を蝕むなどと思っていなかった。
今この私が正しいと思っていることが、別の『全うな』私の認識ではまるで馬鹿げていることである可能性が否定できない。
こんな堂々巡りの思考、普段ならば一笑に付す事柄だろう。しかし今は現実にそれが起きている。
悪い方向への予感が止まらない。あの街の私を記憶しているこの私とは別に、この私すらを包括して管理している私がいたとして、私は……。
気が狂いそうだ。
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あぁ、また、私が私でなくなる刻限がくる。