
これは記録だ。当然のことながら。
「何よ。あなたね。私が楽しそうにしてるのって、そんなに珍しいかしら?」
「……ええ、そうね。そう、認めるわ」
「なかったわよ。今日ほどクリスマスが楽しいと思ったことなんて……ね」
二度目のハザマ、二度目の記憶の濁流に飲み込まれる。不思議なもので、脳を揺すられるような不快感にもどこか少し慣れを感じている自分がいた。初回ほどの苦痛はなく、かといって愉快なものでもない。記憶復元の完了後に脳裏によぎったのは、少し昔の光景だった。
ハザマでも、イバラシティでもない記憶。
年末の激務に疲れ果てた末に、主に憂さ晴らしのために良いものを食おうと意気込んで企画された食事会での一幕だった。ロケーションは場違いなほどに小洒落たレストラン。景色も良いと評判の、窓際の席を予約したのは少々失敗だったと感じた。冬の凍てついた冷気は、ガラス越しでも容赦なく伝わってくる。
ちょっと高めの上質な料理に舌鼓を打ちながら、空気に酔ったような浮ついた言葉も弾む。ここにいるのは二人だけ、邪魔するものは何もない。口うるさい上司も、やけに気を利かせたがる同僚も、厄介な業務も。客観的に見れば、自分は相当浮ついていた。傾けたグラスには飲めないアルコールではなく、それっぽいノンアルコールのカクテルが波打っていたのを鮮明に覚えている。
あの時は、空気ではないものに酔って前後不覚になった笹子さんの相手に四苦八苦したものだ──圧縮された十日分の出来事にも、同じようなシーンが収録されていたが、ある部分が決定的に違っていた。どこまで近づいても決して交わらない平行線の上に、過去の自分と今の自分が置かれている。
置かれた境遇や先に待つ未来が辛い時、人はしばしば記憶を慰めの種とする。幸せな過去さえあれば、人はそれなりに幸せを感じて生きられるものだと、誰もが信じている。己に言い聞かせていると言った方が正しいかもしれない。
存在は記憶の積み重ねだ。確かな記憶は人に安堵をもたらす。ならば、巧妙に上塗りされた偽りの記憶は、誰に何をもたらすのだろうか。
物事には順序がある。
正しい順序として、まずは抗議が必要だと感じた。
真っ先に浮かんだ言葉が「カスが」だったのは、その順序がこの上なく正しいことを完全に証明している。正しさは時として人を傷つけるが、ある程度のコラテラルダメージは必要悪として許容する大らかな心が人生には必要だ。何に対して憤慨したかといえば、無論タクシーの運転手その人に他ならない。というよりも、文句が言えるほどに理解できたものが彼以外にないのだから、これは仕方ない話だ。コラテラルダメージは必要悪だが、傷つけられない側は救われる。速度を出しすぎだ、運転が荒すぎる、走馬灯を見る羽目になった、客を乗せているんだぞ、二種免許初段か?
思わずため息がこぼれ出る。怒りの矛先であるタクシーが既に視界から走り去って久しい上に、当初の目的だった合流はまだ果たされていない。化け物を破壊し、タクシーを降り、徒歩で目標地点を目指している中、益体もない夢想は退屈しのぎに最適だった。指定された座標までの距離は少しずつ着実に縮んでいるが、それでも足取りが軽くないのは、持ち前の偏平足のせいではないことは確かだった。疲労感があるわけでもないし、インソールも入れている。
気分を入れ替えようとして、ワイヤー同様に偶然持ち込めた電子タバコを吸う。蒸気を肺までため込み、一気に放出する。視界を覆いつくさんばかりの煙は、一呼吸に満たぬ間だけその場に留まると、緩やかに霧散し、やがて跡形もなく消え去っていく。その感覚が心地よかった。
(そんなことしてる場合じゃない、と。これがまず初手ってことはまず間違いない。完全に気づいたぞ)
状況を確認する。終わったタスクとそうでないタスクを順序立てて整頓し、指を折りながら思考を巡らせていく。まず、合流のための戦闘の勝利に成功した。続いて、ハザマの特異性について学んだ。ついでに、使えそうな物資も回収した。
上司からの通信にあった通り、危機的な現状についても正しく認識出来ているはずであるし、合流の際に悪感情を持たれぬよう、なるべくオーダーには答える形で丁寧に対応していくつもりだった。右も左も知らぬハザマに放り込まれ、目的の達成どころか作戦行動すらままならないこの状況下にあって、恐らくは自分を知るほとんど唯一の人物であり、また唯一の味方であるはずの彼女との関係性を維持または改善するのは至上命題といっても過言ではない。彼女を疑うのは愚かでしかなく、実際に顔を合わせた際、相手にどんな反応を──好意的ではない、ともすれば敵意を──向けられようとも、まあ、なんとかするしかない。
ふと気づく。煙を吐いたということは、電子タバコが吸えたということだ。歩きタバコ禁止区域という意味ではなく、文字通りの意味で吸うことが出来た。こんな小さな棒からでも得られる情報はある。
(電池が戻ってるのか。リキッドも……増えてる。いや減ってないのか)
前回の通信後、新たに分かったこともいくつかある。
一つ。このハザマなる世界には件の化け物のような敵性存在が闊歩しており、極めて安全ではない道のりが予想されるが、殴ったり蹴ったり、ワイヤーを叩きつけるなどすればダメージを与えて倒すことが出来る。判明した事実の中では、これが一番重要だろう。脅威の存在は文字通り脅威的だが、対抗手段がないわけではない。
一つ。イバラシティでは大した事のない異能でも、こちら側ではそれなりに使える異能として強化されているらしい。有有有利有利有利(アドアドアドバンテージテージ)と勝手に名付けてそう呼んでいる直感強化異能も例外なく強化されているようで、格闘技のセンスなど持ち合わせていない割にナレハテとの戦いで理想的に動けたのは、この強化直感強化が発動していたためだろう。これは散発的に戦闘行為が生じる環境ではこの上なく役に立つ変化だった。ハザマの怪我は労災が下りないので、何とか上手く直感で気づいて攻撃を避けるしかない。
そしてもう一つ。新たに判明した事実として、ハザマに持ち込まれた物体は、イバラシティでは消費されたことにならないらしい。十日間の中には充電が切れて吸えなくなった記憶も残っていたのだが、指の間の電子タバコの充電状況及びリキッド残量から推察するに、向こうで吸った分とこちらで吸う分は別カウントされるようだ。向こう側にいる時は気づけないが、恐らくはその逆も同じことが起こるのだろう。
だが。
(そんなことはどうでもいいか。報告するまでもないかもしれない……いや、気づく。あの笹子さんが気づかないわけがない)
上司には全幅の信頼を寄せている。この信頼はかつて、寄せるに足るべき事実と経験による裏打ちを得たことに起因するものであり、こちら側としてはそれなりに理論的な判断だ。一方で、自分には全幅の信頼が寄せられていないのは少々さみしいものもあるが。悩みと同時に、独白に疑問符が浮かぶ。””あの””笹子さん?
無意識のうちに考える。あの笹子さんとは、どの笹子さんのことを指したのか。イバラシティで過ごしている笹子さんなのか、もうすぐ顔を合わせる笹子さんなのか、それとも別の笹子さんなのか、あるいは単に笹子さんを強調する定冠詞なのか。言葉の綾に意味を求めるのは間違っているとは分かっていても、言語化できない不安に理性は静かに上塗りされていく。
もちろん、どれでもないのかもしれない。実際、どれでもないのだろう。ただ、何を選んでも誤っている気がした──それも致命的に。どこかで何かをしくじったような、漠然とした、しかしはっきりと分かる不吉な感覚が胸の奥に居座り続ける。まだ誤っていない過ちを、未来のどこかで犯すのだと、強化された直感がお節介にも告げてくれているのかもしれない。直感と勘違いとは紙一重の差でしかなく、どちらが正しいのか、答えを導き出せぬまま人は生きるていくことしかできない。
孤独は人を夢想家にする。益体もない夢想は退屈しのぎに最適だが、孤独はしばしば人を追い詰めがちだ。気がかりなことがある場合、人は大概一人で悩む。誰かがいれば相談も出来るものの、今は一人しかおらず、孤独を受け入れるしかなかった。この広いハザマに、確かなものは己だけ。幼い頃は怪談が嫌いだった。空想を元に悪い想像を膨らませ、不要な恐怖を自ら生んでしまうから。
出来れば早く合流したかった。残された距離はわずかに違いないと言い聞かるうちに、自然と自分が歩みを早めていることに気づく。気づくのはよいことだが、この気づきからは己の焦りを気づかされた。世の中には気づかないことも必要だ。
今はただ、あの見慣れた白衣姿が恋しかった。””あの””白衣姿がどの白衣姿を指すかの問いには、気づかないふりを決め込んだ。