
──結城伐都を信じるな。
──結城伐都は裏切り者だ。
──結城伐都に心を許すな。
その匿名メッセージを確認したのは、次元タクシーを降りた後だった。
誰が、何のために。
先程の男、シロナミからとは考え難い。
彼はあくまでも、この世界に置いての説明役。いわば運営側の人間だろう。
だとすれば、この戦いに参加した、兄を知る誰かなのだろうか。
純粋な警告か、不信感を抱かせる為のものか、
この世界で行われるのが侵略戦争である事を考えれば後者の可能性が高いけれど、それにしてはやり方が杜撰な気がする。
こんな、ほんの一滴だけ、水を落とすような。
「……」
心の内に動揺が広がっている事実に、また動揺する。
──この街の一部を改変し、辻褄を合わせ、ごく自然に、巧妙に。
おかしな話だ。と切り捨てようとしていたある日の言葉が、繰り返し思い出される。
ここに来てから、ずっと引っかかっていた。もし、自分が知る人の中に、侵略者がいたら。
「……あ」
震える手から取りこぼした石が、ころりと足元に転がる。
手のひらに握り込める大きさの、小さな乳白色の石。
幼い頃から、『願い』を込めてきた、自分とっても兄にとっても特別な『おまもり』
「……行かなきゃ」
石を拾い上げ、猜疑心と震えを抑えるように両手で握り込む。
ここに来てから、既にそれなりの時間が経過している。その分だけ、兄はおまもりを持たずこの世界にいる事になる。
手遅れになる前に。否、既に手遅れだったら。先程とは違う焦燥感に背を押されるように、駆け出した。
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Cross+Roseの機能を頼りに兄の元へと向かう途中、先程戦った血色の生き物達に出会してしまった。
異能を使えば、振り切ることは造作もない。
そう判断し、石に祈りを込めた所までは良かった。けれど。
「……まずった」
ここに来てからの異能に関する変化は、実感していた。
そして、先の兄に対する焦りゆえに、いつもなら見誤らない異能の許容限界を超えてしまった。
手のひらには、無残にも砕けてしまった石ころ。
手持ちの中で役割を付与していない石は、もう他になかった。
「戦ってる暇なんか、ないのに……!」
吐き出した言葉は、誰にも届くことは無いと思っていた。
「退け」
立ち向かおうと振り向いた刹那、間に現れた大きな背中と、静かな、温度の無い声。
その男が生み出した炎は、圧倒的な熱量をもって全てを燃やし尽くしていった。
私と、直ぐ傍まで空を泳ぎ来ていた幼馴染を残して。
この男を前に逃げることは、叶わないと思った。
炎のように揺らめきながらも、熱を持たない瞳。
熱風に煽られた金糸から露出した右目には何もなく、その周りにも髑髏が覗く。
イバラシティにも、人以外の形をとった存在はいる、けれど。
異形とは言え、あの生き物達に対し、何一つ躊躇いなく、執着なく向けられた力。
その力を、行使し慣れていると言うことは。
「危ない所を、ありがとうございます。でも……アンジニティの住人が、わたし達に、何の用ですか」
「……はん。なんでもかんでも質問すれば答えてくれると思ってんのか。俺はお前らの先生じゃねえぞ」
「てめえもだ風船女。もう頭までふわふわさせたまんまじゃ居られねえんだよ。
――アンジティとイバラシティの戦争が始まった、此処、ハザマではな」
「"アンジニティが何故?"そこで立ち止まるなよ優等生。もう一歩踏み込めよ」
「首から上がついている意義を示せ。さもなきゃ俺が掻き切るぞ。
――問い。てめえらは、なんでまだ生きている?生き残る為にすべき選択はなんだ? 」
悠然と、自身へと近付く影は、大きい。
けれど怯えることも、後退る事もしたくなかった。
真っ直ぐに、淡々とした炎の色を見つめる。例えそれが意味のない事だと、わかっていても。
「……あなた、は」
"先生"、"もう"、"優等生"、"問い"
温かみなく紡がれていく言葉の選びに、違和感を覚えた。
そうして頭を過った可能性に、すっと、胸の底が冷えていく。
その色が重なる事実に、すぐには気付けなかった。
だって"彼"は、しかりと暖かな熱を帯びた瞳を、言葉を持つ人で、情に満ちた人で。
今の彼とは、表情や声音が全く重ならない。気のせいでは無いか、そんな希望を抱いてしまうほどに。
そうして私は、問いかけることが出来なかった。
彼の問いに答えるのが先だと、そう自分に言い訳をして。
「……。……あなたは、"先生ではない"。
善意ではなく、その上で私達に何か価値があるかもしれないと考えているから、助けてくれた」
現実を言葉にするのに、息が詰まりそうだった。
そのまま言葉を止めてしまいたかった。
手に温もりが重なったのは、その時で。その優しい熱の持ち主を、傍にいる幼馴染を、思う。
──どうやって生き残れば良いのか、"誰"と、生き残りたいのか。
一度俯き、意識して、息を吸い込む。
「生き残るために……わたしは、」
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先程命を救ってくれた男と、天文部が戦っている。
つなぐ先輩、ふたば先輩、リリィ先輩。
彼らは、ごく普通の高校生ではなかったのだろうか。
どうして、己の力を、そんな風に戦うために、ごく自然にふるえているのか。
恐らく誤解から始まった戦闘に、止める暇を与えてくれない程に、
それはあまりにも不自然で、あの日常からかけ離れていて、ただ呆然としている事しか出来なかった。
ふたば先輩の剣が、男の袖を切り裂く。
その一撃に、初めて男が感情をのぞかせたように見えた、刹那。
男の炎が、かつてない熱量を持つ。
まるで大きな蛇のように、その身を変えて。
ひとりひとりをそのまま焼き尽くさんとするような、その大口の前に"彼"が躍り出たのは、その時だった。
もし本当に侵略者が来たら、一緒に逃げようだとか、そんな事を言っておいて。
貧弱で軟弱な癖に、他人の喧嘩の仲裁に入るし、その結果のされるし。
そこまでの馬鹿ならまだ許せたのに。
こんな、この結城伐都と言う男は。
「──この馬鹿兄ッ!!」
幼馴染の制止の言葉で新たに生まれた一瞬を逃すことなく。
兄が命懸けで起こした無謀な行動に、声を荒げて駆け出した。
炎の顎から引き離さんと腕を伸ばし、飛び付く。
「この人は!さっき私とみゅーちゃんを助けてくれました!」
「この人たちは!私たちの友達で、先輩です!」
幼馴染の声を背に、襲い来る衝撃に息を詰めながらも。改めて伸ばした手を、兄へ。
そうして握り込ませるのは、互いにとって馴染みのある小さな熱。彼の命をつなぐ、『おまもり』
ひとつ、息を吐く。まだ、全ては終わっていない。
立ち上がり。炎と、異形の男と対峙する。
「炎を、消して下さい。彼らをこれ以上攻撃しないで。でなければあなたは、"イバラシティ"を一人失うことになる」
炎へと、一歩一歩、あゆみを進めながら告げる。
これは、賭けだった。ハザマの生き物たちから庇い、生き残るための選択をわざわざ問いかけて来た。
ここまで、突然襲ってきた形になる彼らの命を一瞬で奪うことが無かった、その相手だからこその。
「わたしは、選びます。ここで生き残るためなら、」
異形の男を見、それからまた一歩、炎の大蛇へと距離を詰める。そうして、幼馴染の隣に、立つ。
今度は、触れ合うことは無い。けれどその存在が、私の背を押す。
男が求めるものはきっと、操り人形でも駒でもなく。"人"なのだと思うから。
「あなたを利用し、利用されることを選ぶ」
今、このまま、首を差し出すだけでは終わらせない。その意思を示すように、男の炎の隻眼を見据えた。
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どれぐらい、そうしていただろう。
不意に炎の大蛇がぐるりと男に巻き付き、そのまま消えていく。
「友達?先輩?関係ねえな。そんなものは最早単なる火光(かぎろい)に過ぎねえ。
此処で必要なのは夢幻を書き換える凍てついた論理と揺るがされない己の『定義』だ」
「だが――……及第点、ということにしておいてやる。
理由はどうあれお前達は今、己が命を賭して俺(アンジニティ)を利用した」
「俺には『イバラシティ』を使って成し遂げたい目的がある。
不足だらけのひ弱なお前らには『アンジニティ』の力は欠かせない」
息を吐く暇も与えないかのように、緋色の眼光が射抜くように、こちらを見た。
「――――小娘。今の解答、決して忘れるな。『価値』を示せ。
俺は石ころひとつひとつの中から拾い上げてやるほど気が長くない」
それは、彼との間でしか、わからないはずの言葉。
あの日、集めた石ひとつひとつを日に透かして、お気に入りを教えてくれた"先生"は、
ここにいる男とは別の存在なのだと、思い知らされて。
きっとこの先も同じような感情を抱く事が幾度もあるのだろうと、胸が詰まる。
けれど、この場所で生き残るための術は得られた。幼馴染と、兄とも合流が出来た。
一番の目標に近づくことが出来た。
本当を知った痛みと、手に入れた希望は、正直まだ天秤に掛けられるような状態ではないけれど。
前にだけは進める。
全てをゆっくりと飲み込むのは、きっと後でも許される筈だ。