
親に愛されて育ってきたと思う。
遊びたい時に遊んでくれた。
何かを達成すれば、偉いねと褒めてくれた。
悪いことをすれば、それはいけないことだと教えてくれた。
私が喜ぶことを喜んでくれた。
私の悲しみに寄り添ってくれた。
欲しいものを与えてくれた。
どれだけ欲しがっても与えられなかったものと言えば、『妹』くらいのものだろうか。
×××
小学校に上がる頃だったか。
その頃の私は何かにつけ妹がほしいとせがんでは、よく両親を困らせていた。
(友だちの妹がかわいかったとか、そんな些細なことがきっかけだった気がする)
勿論新しい家族なんて、クリスマスの朝にポンと枕元に置けるようなものでもなく。
経済的な状況や家庭環境など、考慮しなければならないことは山程ある。
そしてそれらがクリアできて、かつ本人たちも子供を望んでいても、必ずしも恵まれるとは限らない。
高校生になった私にはそれらが理解できるのだけど、何せ当時は子供だったものだから。
「妹がほしい」「あの子のうちにはきょうだいがたくさんいてずるい」「どうしてうちはいないの」とか。
今にして思えば、随分つまらないことをたくさん言ったように思う。
それでも、子供ながらにその内「この話をすると二人とも悲しそうだな」というのが分かってきて。
それに気づいてからは、駄々をこねることはやめた。
私はお母さんもお父さんも大好きで、困らせることはあっても悲しませることはしたくなかったから。
(結果的に、その判断は正しかったことを後日知った)
(両親はなかなか子供に恵まれず、不妊治療の末にやっと授かったのが私なのだと)
(中学生になった頃、父が教えてくれた)
(できれば、いたずらに両親を傷つける前に知っていれば、もっと良かったのだけど)
×××
母には妹がいる。私にとっては叔母にあたる人だ。
母と叔母はあまり似ていなかった。
母は穏やかで、いつも柔らかい話し方を好んだ。
叔母は気が強く、いつも自分の意見を言える人だった。
母はアンティーク趣味で、手芸や園芸など家でできる趣味を好んだ。
叔母は新しいもの好きで、いつもいろんな所に出かけては様々な土産話を聞かせてくれた。
まるで気の合わなさそうな二人がそれでも仲良かったのは、やはり血を分けた姉妹だからなのだろうか。
私が小学3年生の時、そんな叔母が子供を身ごもったと母から知らされた。
私は身近な人の妊娠はそれまでに経験がなく、まるで世界一の大ニュースのように思ったことを覚えている。
母が叔母の様子を見に行くというので、私もお願いして何度か連れて行ってもらった。
細身な叔母のお腹がどんどん大きくなって、その中で新しい命が作られていっているというのは何度見ても不思議で、私はそれに強く惹かれた。
私もこんな風に、お母さんのお腹の中にいたんだ。
いつか私も同じように、自分の中で新しい命を育むのだろうか。
叔母のお腹に手を当てさせてもらいながら、そんなことを考えていた。
不思議と、妹がほしかったことは思い出さなかった。
×××
「女の子なんだって」
定期診断を受けてきたというある日、叔母が嬉しそうに話してくれた。
「名前はもう決めてるの。
この子が将来、どこへでも行けるように」
「遥(ハルカ)って」
「ハルカ」
確かめるようにその名前を口にする。
「ハルちゃん。はやく会いたいな」