
ブランブル女学院でクリスマスミサが終わると冬休み期間に突入する。
二週間足らずの短い期間ではあるが、家族と一緒に年末年始を過ごすとても大切な時期である。
大多数の生徒がそうであるように、降雪夜道もまた実家へと帰ってきていた。
「お父様は……お許しくださったのよね……この、時期なのに」
いくつもの感情が入り混じった表情で、手元の手紙を眺めている。
それが届いたのは数日前のこと。
書いていたのは聖が知り合った友達の事と、ここ数か月の成果の事。それと……帰省の許可について。
もっとも、それについてはいくつもの条件が課されていた。
そのどれもが夜道には納得できるもので、
そして、一年経とうとも未だ変わらない、冷たい現実を突き付けてくるものだった。
街はまだクリスマスムードが抜けきらないようだ。
イバラシティを抜けて隣の町へ。そしてそのまた隣へ。
それほど長い距離ではないものの、夜道にとっては遠く遠く離れた距離に感じていた。
今まで何度も引っ越しをして、新しい住居へと移り渡ってきていたが、今の一人の環境にはいつまで経っても慣れることはなく。
……彼女が共に暮らす誰かを思うと、その気持ちもまた一段と強くなるようだった。
電車のアナウンスが停車駅を告げる。
1年前から変わらない最寄り駅。
夜道に馴染みのない最寄り駅。
気持ちに躊躇する所がないわけではない。
けれど、それ以上に、会いたい気持ちの方がそれの何倍も、何十倍も、強かった。
例え、どんな条件が不随していたとしても……家族に会えるのならば、何を対価としても惜しくはない。
降雪夜道はそういう少女なのだから。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
「お土産は……これで良かったかしら。お母様は和菓子が好きだから……。
お父様は甘いの苦手なのよね。ふふっ、甘いお菓子なのに苦そうなお顔をして、それでも口にしてくださるのよね。
……懐かしい、ですわ。本当に……。もう、あれから一年、ですのね」
坂道を下りながら思い出を思い返していく。お父様が居て、お母様が居て。当たり前の日々を過ごす自身の姿。
けれど、今は一人別の街に居て、初めての学校で違う自分を演じている。
それが苦であると感じたことはないけれど、決して寂しいと感じない訳ではなかった。
色褪せない思い出。切なく胸を締め付ける思い出。
優しい笑顔。悲しい笑顔。
夜道の大好きだったかつての日々。夜道ではいられないかつての日々。
……到着した家の表札には確かに降雪の文字。
昼間なので玄関の扉は開いているだろう。
夜道は、静かに門の前にあるチャイムを鳴らした。
ビー。
無機質な機械音。家の中で微かな物音。
パタパタとスリッパの音が鳴って、そして──
「はい。お待たせー。まぁ、ヨミちゃん!大きくなったわね!さあ、あがって、あがって!今ちょうどクッキーが焼きあがった所なの!」
……ああ。
扉を開けて出迎えてくれたのは、降雪夜道の母の姿で。
お母さんが私に笑顔を向けてくれている
「ご無沙汰しております。桔梗おば様。まぁ、クッキーですの? うふふ、とっても楽しみですわ。
それでは、お邪魔致しますわね。……おじ様はどちらに?」
お淑やかに一礼をして微笑んで。家の中へと招き入れられる。父の姿が見えないことを不思議に思って尋ねてみた。父と会うのも久しぶりになる。少しソワソワした気持ちになってしまうのも仕方ないだろう。
「どうぞ、あがって、あがってー?
あー、あの人ねー。久しぶりのお客様だからって、お家のお掃除を張り切っちゃったみたいなの。大掃除だーっていって。ふふ、子供みたいでしょう? 興味のない振りをしていても、自分が一番楽しみにしているのよ。
今はまだ部屋で休んでいるわ。お昼前に起こしてくれーって言っててね。でも、ヨミちゃんが来たっていえば飛び起きてくるわよ、きっと」
クスクスと、楽しそうに笑いながら廊下を先導する母の姿。
明るくて、楽しくて。涙が出そうになるくらい、幸せそうな姿だった。
「まあ。いいえ、お休みになられているのでしたら、起こしてしまうのは忍びないですわ」
「いいの、いいの!今回のこともあの人から言い出したんでしょう?
それに、可愛らしいお嬢さんが来てくれるだけでとっても有難いんだから。
ヨミちゃんこそ大丈夫なの?この時期は忙しいんでしょう?」
心配そうにこちらを見つめる瞳は優しい色をしていて。
「ふふ、大丈夫ですわ。今年は喪中ですから、ご心配には及びませんの。
それと、つまらないものですけれど……」
話題を変えるようにして紙袋を持ち上げる。イバラシティで有名な和菓子屋の店名が入っており、それを見た母が瞳を輝かせて微笑んだ。
「あらあら!気を遣わせちゃったわね。ありがとう、ヨミちゃん。
あ、荷物はその辺りに置いといて、自分の家みたいに寛いでいてね?」
紙袋を手に取って、そのまま台所に向かおうとする背に、夜道は声を掛ける。
「……あ、僕もお手伝い致しますわ。何か出来ることはありますか?」
「えぇ~、お客様だから良いのに~。……でも、嬉しいわ。ありがとう。
それじゃ、せっかくだからお昼ご飯の準備もあるし、手伝って貰っちゃおうかなっ?」
夜道は笑みを浮かべて頷くと、手を洗ったりしてから台所で待つ母の元へ向かっていった。
二人で他愛のないおしゃべりをしながら、母の手料理を教わりつつ一品一品料理を完成させて。
気が付くとあっという間にお昼になっていた。
二階から父が降りてきたときも、夜道はきちんとヨミお嬢様のままで居られた。
それが、母に会う条件のひとつだったからだ。
「ヨミちゃん。よく来たね。……大丈夫かい? あまり、顔色が良くないみたいだけど」
心配して声を掛けてくる姿に、笑って答える。
「大丈夫ですわ。これくらいでしたら、全然……。
おじ様こそ、大丈夫ですの? 聞きましたわよ? 大掃除を張り切りすぎたって」
「あはは、僕ももう歳かな、なんて。慣れないことはするものじゃないね」
「ふふ、よくお言いになりますわ。お二人ともまだまだお若く見えますのに」
父も母も40近い年齢だが、20代に思えるほどに若々しい。
そんな話をしていると母が声を掛けてくる。
「ほら、二人とも。立ち話なんかしてないで早く席に着いて。
今日はヨミちゃんがお料理を手伝ってくれたのよ」
「へぇ。それは楽しみだな。
今日のメニューはなんだい?」
「ふふ、えっと──」
「──あの子が生きていたら、こんな感じだったのかしら」
ぼそりと零れ出た母の言葉。
夜道は自然な動作で、出来る限りの悲しい笑みを浮かべて、
「……いいえ、おば様。あの子が──慕が生きていたら、きっともっと楽しかったですわ」
今は亡き、偽りの幼馴染の話を切り出した。
「……そうかしら。ううん、きっとそうね。
ねぇ、ヨミちゃん。
娘の話をまた聞かせて?
あの子は、学校ではどんな様子で、どんな話をして……どんな風に笑っていたかしら」
……そうして食事の席での話が始まる。
母は笑って、喜んで。父は穏やかな笑顔でその様子を見守ってくれていた。
そして、夜道は──
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
-----Hazama Side-----
「グゥゥゥウウウウ……」
獣のような唸り声が、木の隙間を通って漏れ出ている。
蹲るようにして倒れているのは一本の樹で出来た歪な彫像。
「ウォォォオオアアアアアア!!!」
叫ぼうとも暴れようとも、樹にはあるはずのない《心》が、軋みをあげて焼いてくる。
燃え上がるのは黒い黒い、闇夜のような漆黒の炎のような情動で。
ただの樹にはそれがどういった感情なのか判別付けることなど出来はしないが、ただ一つの事実だけは理解できていた。
これが、この感情こそがヒトの持つ恐ろしさなのだと。
存在が軋むほどに、理解をしていた。