期末テスト期間が過ぎて、冬休みがやってきた。
今回の数学のテストは赤点を免れたから補習もない。
1年生の頃は赤点ばかりだった私もすこしは成長できてるのかなあ。
同じ寮に住んでいる人の中には帰省する人もいるけど、私は今年も寮に残る組。
キラキラと輝くイルミネーション。心弾む曲があちこちで流れるクリスマス。
久しぶりに顔を合わせてあれやこれやと語らう親戚。
家族で団らんのひとときを過ごし、新たな一年を清らかな気持ちで迎えるお正月。
サンタを信じて待つ子供たち。
お年玉をもらってはしゃぐ子供たち。
……あの日からずっと。冬休みは、毎年いつもちょっぴり憂鬱で。
◆◇◆
愛用している紺色のスクールバッグが、どさりと足元に落ちる。
教科書、ノート、花柄の布で包まれたお弁当箱、菓子や美術作品を作る際にときどき使っているクロッキー帖、うさぎのマスコットが付いたお気に入りのシャープペンシル、ドーナツやチョコレートなどの小包装菓子……チャックが開いたままの口から、中身が地面に豪快に飛び散った。
「ひ、」
それらには微塵も興味を示さず、先刻まで今にも飛びかからんとしていた血のように赤いドロドロとした化物は一転、今度はじりじりと、獲物が逃げ道を失った事実を確信したかの如く緩慢な動きで少女に這いよっていく。
あれに触れたら即死? それともヘビに狙われたカエルのように、あのゼリー状の体で丸呑みされる? あるいは酸に似た性質をしていて、皮膚からすこしずつ溶かされる?
痛み
――――それとも。あれに触れればいつまでも終わらない現実という夢から目が覚める?
化物の動きが遅くなったのは、追い詰められた自分の感覚が狂ったからなのではないかと思うほど。
「…………ぁ」
悲鳴は声にすらならない。尻餅をついて、逃れるように退いた身体と手。その爪先に、こつん、と重量を持ったものがぶつかった。
軽い外装、ゆらりと波打つ中身。茶入りのペットボトル。その液体が――――
少女の指先が触れた瞬間に、明らかに変色した。
―――触れた感触のもとを辿る。
ペットボトルが視界に入った瞬間、ぞわり、と悪寒に襲われた。
見間違いだと思いたかった。けれど、
嫌な予感。不快な感覚。きっと、この現象は。
いつもよりも、もっとずっと程度の酷いやつだと直感的にわかった。
……それが、私の異能によるものだから。
この際、なりふりかまっていられない。この窮地を脱しなければいけない―――
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァ………」
少女が動きを止めても化物の様子は変わらない。悲しそうに。苦しそうに。辛そうに。恨めしそうに。地を這う呻き声と共にゆっくりと近づいてくる。まるで、助けを乞うかのように。
その距離数メートル。20センチメートル。10、8、7―――…………
「――――……ッ!!」
少女はペットボトルを握ってキャップを捻ると、この空間の空のように赤黒く変色した中身を目の前に勢いよくぶちまけた。
◆◆◆
「……っは…………はぁ、……ひぁ……」
触れれば夢から覚めるかもしれない。そんな淡い期待よりも、眼前に差し迫った悲観的観測の方が優った。反射的に体が動いてしまった。
ペットボトルの中の液体をぶち撒けてスライムが怯んだ隙に、少女は鞄を拾い上げて応戦した。幾度か思い切りぶつけたのちに、スライムは後味の悪い悲鳴を残してようやく動かなくなった。
どろりと溶けた赤黒い水溜りは染みを残して徐々に地面に吸収されていく。まるで何も存在しなかったかのように。
「………ふえぇええぇぇ………
けほっ、けほ……」
戦闘前と同様、地面にぺたりとへたりこむと少女は数度咳き込んだ。目じりにはうっすらと涙が浮かんでいる。
「けほっ……」
これからどうするべきか。ここでこのまま何もせずにいるか、動くべきか―――
―――……ザ、 ピピッ ……ザザッ
迷う少女のもとに、ノイズ混じりの通信が届く。それらを聞いた後で。途方に暮れながら、少女はふらりと歩き出す。自らの拠り所を、求めるかのように。
The Evening2.