【LOG// http://dolch.bitter.jp/sub/agata/log/agata.html 】
「一生に一度、ひとつだけねがいが叶うとしたら
なにを願う?」
「なにそれ?」
蛍光灯が切れた薄暗い美術部室。
自然光で手元を照らし、ハヤミが勉強をしている。
アガタはその絵を描いている。
「よくある、『究極の選択』よ。
ゴッフォみたいに死んでから作品が永遠に残るか
生きている内に一時作品が認められるか
ふたつにひとつなら絵描きとしてはどっちがいいか、とかね」
「はー、なにそれ。
しょーもな…生きている内にも認められて、死んでからもずっと残るペカソがいいだろ。」
「それじゃ『究極の選択』じゃなかろ~。どっちかふたつにひとつなの。そういう遊びよ。
ほかにもあるよ、『あした世界が終わるとしたら今日何するか』
イパラミッドの石碑に予言がかかれてるんじゃて…再来年?隕石がおちてきて世界は終わるんじゃと」
「お前ね…、そんなことより、なんか余裕だけどちゃんと期末テストの勉強してんの。」
「再来年で世界が終わるんじゃったら勉強せんで絵描いとったほうがええじゃろ。有意義有意義」
「アホ。」
「『究極の選択』、ほかにもあるよ。カレー味のうん「それは本当にしょうもないから止めろ」
「ね~。ハヤミちゃん、教えてよ~。
一生に一度、ひとつだけねがいが叶うとしたらなに願う?」
「しょ、「しょうもなくないんよ。それがオレの異能じゃけえ」
放課後だ。日も陰ってきた。
少年は夕暮れの空を見あげる、まだ星のきらめかない時刻にも 一点の光があった。
「あれよ。」
「あのひかり、オレなの」
「アイフェイヨ~ンっていうよ。きれいじゃろ」
アイフェイヨ~ン
アガタの持って産まれた異能。日夜イバラシティ上空に浮かんでいる星。使うと落ちて「ねがいごと」を一つだけ叶える…と思われるが、使ったことがないし一生に一度しか使えないから叶う事を証明しようがない。
: : :
-ハヤミの自室-
|
「ハヤミさん!いまどこにいるんですか!? |
スマホに着信。
|
「アガタが事故にあったんですよ!車にぶつかって」 |
|
『アスファルトをひきずられて、顔が平らにすりおろされた』 |
ハヤミの耳元でイマジナリーフレンズが囁く。
: : :
寒さの残る春めく午前11時、通り慣れない道、区立病院に続く。
入院患者たちが院内公園で桜のつぼみを見ていたようにも思う。足早に通り過ぎたので解らない。
日差しの強さに焼かれて目がくらんだ。病院内がやけに暗く見える。
歩く。ワックスがけされた床がキュッキュと鳴く。
息をするのも忘れたように歩速を早めて、スライド式ドアを開く。
消毒の匂いが一足遅れて鼻孔にやってきた。
-病室-
|
「あ、ハヤミちゃ~ん!」 |
|
「……」 |
|
「お見舞い来てくれたん?うれし~わあ」 |
|
「…どうしたんだよ、なんでこうなる?」 |
|
「春じゃけえぼんやりしとってねえ、アイフェイヨ~ンをみとったんよ。 で、きづいたら車道あるいとって。信号、赤じゃったし、運転手さんにわるいことしたねえ。」 |
|
「バカ、…いやほんとバカ、ありえないだろ…自分の異能に殺されかけるやつ始めてみた…!」 |
|
「あははは」 |
|
「……笑ってるし。」 |
見舞い品の水を飲む。
|
「…お前、なんで嘘をついたんだ。別れたって言ってたけど、彼女亡くなったんだろ。」 |
ああ、と呆けた声をだして枕にもたれかかる。
|
「嘘ついたんじゃないよ、隠し事してただけよ」 |
|
「いっしょだろ。…なんで黙ってた」 |
|
「いやそりゃよう言わんじゃろ。重いやん。 大好きな彼女が死んで、だれかそばにいて欲しい…ってホラーじゃない? なにするかわからんと思われるし…それより楽しく過ごせた方がええと思うたんよ」 |
|
「………隠してるのも十分ホラーなんだけど」 |
|
「…まあいい、もういいよ。悪意はなかったんだな? もうほかに隠し事はないな?」 |
|
「あるよ~。だれしも隠し事の一つや二つ… 二つや三つ…三つや四つ」 |
|
「際限なく増えるな」 |
アガタはあいまいに笑う。
|
「…いい。詮索するつもりはない…」 |
確かに何もかも打ち明け合うなんて、親族でもそんな必要はない。
それに『彼女が死んでた』を超える隠し事はそうそうないだろう。
|
「… 怪我は大したことないの?」 |
するりと病院のシーツの下から腕を出す。
背筋が凍る。利き腕のひじ関節から先にギプスをはめていた。
|
「手首折れてしもうたわあ。 全治1か月か2か月くらいかね~ はは」 |
あははは。
: : :
-病院廊下-
|
「あ、どうも」 |
病室の前に鬼頭マネージャーが立っていた。互いにぎこちなく挨拶をする。
頭を下げながら、マネージャーのもつ大荷物が目に入る。
|
「それ…」 |
|
「画材です。」 |
|
「え……今絵を描かせるつもりですか?鬼頭さん知らないんですか?利き手骨折ですよ?」 |
見合う。
|
「アガタが持って来いと言ったんですよ。誰も“描かせたり”しません。あの人はかってに絵を描く、描きたがる。私だって鬼じゃないんです、相手がアガタじゃなければ画材を持ってきたりしない」 |
|
「ハヤミさん、帰るんですか? 世話をすると言ったんでしょう。しばらく見てやったら」 |
|
「はあ、そうスね…。 …って、いや。いや、俺なんですか?それ。家族に連絡は…?」 |
|
「え、ハヤミさん それもアガタからきいてませんか? 中学から知り合いなんですよね?その頃からずっとそういう話にならなかったんですね」 |
|
「アガタの家族、死んだんじゃないですか。 20年前…正確には21年前の事件か事故で。」
|
|
「当時7歳のアガタが夜中に目を覚まして、ガスの給湯器になにかしたらしいんですよ。 それで、夜が明ける頃には一酸化炭素中毒で一家全滅です。」
「……今はその時の事、よく覚えてもないんですって。 さわったかもしれないし、さわってなかったかも、みたいにはっきりしたこと言わないんです。」
|
・ ・ ・・・ ・ ・
ひだまり、
新しい絵が
描かれていく
・ ・ ・・・ ・ ・
…ハヤミと出会った中学生のころ、アガタはすでに5つの命を死なせていたということになる。
『人の心がない』と言われたことの中で一番印象的だったのは、その時のことだった。
自分のやったことで、罪のない4人の人間とペットが死んだ。
それはかけがえのない家族だった。だというのに、
彼は『一生に一度のお願い』を――《アイフェイヨ~ン》をその事で使わなかった。
この事故をなかったことにするとか、家族をよみがえらせるだとか
『一生に一度のお願い』にふさわしいものは、これ以上ほかに何があるというのだろう。
阿片せつせつが最初、速水徹也を気に入ったのは
彼が自身の異能《イマジナリー・フレンズ》で、亡くした母親を描きさえすれば、
もしかすると生き返ったように元の暮らしができるかもしれないのに
その異能を使う事をやめてしまったようだ、ということだった。
… …
逆手にはうまく力が入らない。
連携の取れないその動作は大振りで、ひょろひょろと迷い多い線筋になる。
描きかけの絵はなかった。いつも、絵は描き始めたら描き終わるまで他の事も特にしなかった。
功を奏したようにも思う。
そもそもがたしかな線筋を求められない絵であることも、
新しく描き始めたその絵が、いちから了まで不自由であることも。
キャンバスひとつをとって見れば、おそらくそうそういう表現なのだ。
展覧会に飾るにしても、そもそも多くは名声を見に来ている。
画家本人の事情は、偽られれば偽られたままでよい。
絵というものは失敗作になる事はない。価値を決めるのは鑑賞者だ。
アガタにとって意味は、絵を描いている時の救われた気持ちそのものにある。
そこに失敗はない。値打ちもない。救済がある。
普段使わない筋肉を使っているという事も、気分が変わって少しは楽しい。
ただ動かすことも禁じられた利き手は反射的に絵を描きたいと動こうとして、
それを制止するたびに集中が途切れた。
ここに描かれているのはその不自由さ。体が動かないという不満足と嘆き、
そして、ふだん預かっている『絵を描かせていただけること』が
どれほどまでに有難いことかという感謝の念。
うっすらと肌をしめらせる脂汗。自分の皮脂のにおいを感じた。
替えの筆はいつも空いた手の、指の股にはさんで持っていた。
今は腕は一本しかないので、口で加えて持つ。
校内に苦味が交じる。絵の具によってはなにか、金属系の身体に有毒な成分があったなと思い出す。
絵の具を飲んで昏倒するものや、自死するものはいるだろうか。
いやいや、そこまでの毒性はないだろうか。
利き腕が使えなくとも彼は絵を描いた。
阿と言えば吽と言うようには書けなかった、阿吽、阿吽、阿吽阿吽、短い呼吸を何回も確かめあいながら
色彩はそこに居住まいを定められ、
逆腕で描く絵は、いつもの3倍ほど時間がかかったが完成した。
病院のベッドに深く背を持たれさせる。
マネージャーに任せて持ってこさせた画材は、
ふだん自分が使っているものではなく、しばらく使っていない予備の道具一式だった。
画版の間に紙がはさまっている。昔の絵や昔のスケッチ、そしてなぜか、こどものころの絵。
それを夕日に透かす。
死んだ姉の服が脱がされていく絵。
これを描いたのは自分だ。という事は、脱がしたのもたぶん自分だった。
自分がなぜそんなことをしたのかもう覚えていない。
着せ替え人形のスカートを覗くのと一緒だったかもしれない。